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第四十七話「つながる記録」

第四十七話「つながる記録」




 第三階層の入口から続く本道を少し外れたところに、プレハブの小さな詰所がある。


 屋根の上には細い金属の柱が一本立ち、その先端で、手のひらほどの機械が緑色のランプをゆっくり点滅させていた。ダンジョン内部の通信を地上へつなぐ中継機だ。ダンジョンが発生してから五年、今では第三階層の主な通路沿いにいくつもの中継機が並び、そのそばの詰所には一般の探索者がアルバイトとして交代で入っている。


 今日は健吾と二人で、第三階層の植物を調べに来ていた。


 開け放たれた窓の向こうでは、二十歳前後の青年がパイプ椅子に座り、小さなモニターを眺めていた。その前を通りかかったとき、健吾がふと足を止めた。


「通信、問題ないですか」


「はい。今日は切れてないですよ」


 青年はモニターへ目を戻してから、詰所の脇に置かれた箱を指した。


「交換用の機材も、さっき届きました」


「分かりました。何かあったら連絡してください」


 青年に軽く頷いて歩き出した健吾が、ふと口を引き結んだ。


「ケンちゃん?」


「……いや。今日は部隊じゃなかったな」


 今日の健吾は、実働部隊の見回りではなく、達也の護衛として来ている。少しばつが悪そうに頭を掻く健吾を、達也は見上げた。


「いつも確認してるの?」


「見回りのときはな。……つい聞いちまった」


 達也は小さく笑って、詰所のほうを振り返った。


「ここができてから、配信も安定してるよね」


 以前は場所によって映像が乱れたり、JDAとの連絡が途切れたりすることもあった。今は第三階層の奥にいても、コメント欄は止まらずに流れ続けている。


 緑のランプは、もう木々の向こうに隠れて見えない。それでも、自分たちの頭上を見えない線が通路の奥へと伸びていくような気がした。



『面の人、聞き方が慣れてる』

『なんでだろうね』

『なんでだろうね〜』

『え、何?』

『そういえば最近、全然切れないな』

『昔は第三階層でもカクカクだったのにね』



ーーー



 本道沿いをしばらく進むと、日当たりのいい斜面の下で、二人組の探索者がしゃがみこんでいた。一人は二十代半ばくらいの女性で、手袋をはめた指先を止めたまま、赤い葉の草をじっと見つめている。隣の男性は、端末の画面を彼女のほうへ差し出していた。


「葉は似てるけど、裏が違うんじゃない?」


「待って。そっちの写真も載ってる」


 男性が画面を指で拡大する。女性は草の葉を一枚、そっと裏返した。


 達也の足は、自然とそちらへ向いていた。赤い葉――止血草だ。そのそばには、葉の裏以外ほとんど見分けのつかない草が混じって生えていることがある。


 健吾が小声で言った。


「……行くのか?」


「ちょっとだけ」


 達也は二人から少し距離を取ったところで声をかけた。


「こんにちは。採取ですか」


 女性が顔を上げる。達也を見て、それから後ろに立つ大剣の健吾を見て、少しだけ目を丸くした。


「あ、こんにちは。止血草の依頼です。似てるのがあるって聞いてて」


「そうなんですよ。ほら、これ」


 男性が端末をこちらへ向けた。気さくな人らしい。達也が画面をのぞき込むと、男性は「どうぞ」と端末を差し出した。


 inoueアーカイブ。画面のいちばん上に、そう表示されていた。


(……inoueになったんだ)


 研究室で、太田たちが「井上アーカイブ」と呼んでいた記録だ。海外とも情報を共有するようになって、表記を改めたのだろうか。自分の名字がローマ字で画面に並んでいるのは、なんだか少しくすぐったい。


 止血草の項目には、葉の表と裏を並べた写真と、似た草との比較写真が載っている。その下に、短い文章がいくつも続いていた。



 ――葉の裏:つるりとしている。触れると少し冷たい(探索者報告:トマト)

 ――類似種:葉の裏に細かな毛。これまでの試験では止血作用は確認されていない(植物研究班)

 ――第二階層東側でも、類似種の群生を確認。位置は地図記録を参照(探索者報告:黒猫)

 ――根元を残した株で再生を確認。採取方法との関係は調査中(探索者報告:白い鳥)



 「触れると少し冷たい」。何年も前に、自分がノートに書いた言葉だった。言い回しまで、ほとんどそのままだ。


 その二つ下に、見覚えのある名前があった。黒猫。交流会で手帳を見せてくれた、あの人だ。目立つ植物だけは地図に残している、と言っていた。


(……載せてくれてたんだ)


 けれど、達也の目はさらにその下で止まった。


「……根元を残すと、また生えてくるんですか」


「まだ確認中みたいですけどね。根を傷めない方がいいかなと思って、残すようにしてます」


「へえ……」


 達也が画面へ顔を近づける。黒猫さんの地図記録を開き、報告の日付を確かめ、また比較写真へ戻る。


「たっちゃん。端末、返してやれ」


「あ、すみません」


 慌てて端末を返すと、男性は笑って受け取った。


「よく使うんですか、これ」


「使いますよ。似た草があるので、採る前に確認してます」


 女性が当たり前のように答えた。男性も頷く。


「前は、中継機のあるとこまで戻らないと開けなかったんですけどね。最近はこの辺ならどこでも見られるんで、すごい助かってます」


 女性がもう一度、葉の裏を指先でなぞった。


「……毛、ある。こっちは違うね」


「じゃあ、こっちの株か」


 二人は隣の株に移り、つるりとした葉の裏を確かめてから、根元を残して丁寧に刈り取った。採取袋に収めたあと、女性がふと達也を見上げる。


「護衛付きってことは、研究の方ですか?」


「……まあ、そんな感じです」


「そうなんですね。お疲れさまです」


 二人は軽く会釈して、斜面の向こうへ歩いていった。



『本人に見せてて草』

『言わないんかい』

『ヘタめっちゃ揺れてる』

『アーカイブの名前……』

『言うなよ』

『黒猫さんの名前ある』

『交流会の人じゃん』

『現場じゃアバター見えないからな』

『面の人も黙ってるの笑う』



ーーー



 二人の背中が見えなくなってから、健吾が口を開いた。


「言わなくてよかったのか」


「何を?」


「最初の一行、たっちゃんのだろ」


「うん。でも、僕のはそこだけだったよ」


「そうか?」


「根元の話は知らなかったし。あとで太田さんに聞いてみようかな」


 健吾は小さく笑った。


「そっちが気になるんだな」



ーーー



 調査を再開して一時間ほど経った頃、細い水の流れに沿った窪地で、達也は足を止めた。


 止血草の群生がある。そこに、裏に毛のある似た草が混じっていた。それ自体は珍しくない。ただ、似た草が生えているのは、流れのすぐそば、土が湿っている側ばかりだった。少し離れた乾いた斜面には、止血草しかない。


 しゃがみこんで、両方の葉にそれぞれ触れる。止血草からは、いつもと変わらない落ち着いた感覚が返ってくる。似た草のほうは、水を十分に吸っているときの、どこか満ち足りた感覚だった。


 達也は端末を取り出し、類似種の項目を開いた。生育場所の欄には、まだ詳しい記載がない。画面を下へ送ると、関連記録の欄に小さな水滴の印が一つだけついていた。



 ――第三階層・本道東の流れ 水量の定点記録(探索者報告:青い魚)



「……魚さんだ」


「交流会の?」


「うん。この流れも測ってたんだ」


 開いてみると、半年分の水量が表になって並んでいた。記録された時期によって、少しずつ増えたり減ったりしている。


 達也は表の日付を指でたどった。水量の数字の横に、同じ場所から撮られた写真が並んでいる。


「何か分かったのか?」


「ううん。でも、水が増えたとき、どこまで流れてたのかと思って」


 写真を一枚開く。今より流れが太く、岸の石が半分ほど水に隠れていた。達也は顔を上げ、目の前の石と見比べた。


「……あれかな」


「どれだ?」


「あの、先が白い石。写真にも写ってる」


 健吾も画面をのぞき、それから流れへ目を向けた。


「ああ。同じだな」


 その石のそばには、裏に毛のある草が生えていた。今は水から離れているが、水量が増えれば近くまで流れが来るのかもしれない。


 達也は端末を持ったまま、少し上流へ目を向けた。ただ湿った場所が好きなのか。それとも、水が増えたり減ったりすることにも関係があるのか。一か所だけでは、分からない。


 端末をしまい、代わりに鞄から、表紙の角が少し丸くなった100均ノートを取り出した。もう何十冊目になるのかは、数えていない。ペンのキャップを口にくわえて外し、膝の上でページを開く。



 【止血草・類似種】

  第三階層、本道東の窪地で確認。

  類似種は水の流れに近い、湿った土に生えていた。

  乾いた斜面では止血草だけを確認。

  類似種からは、水が足りているような感覚。

  過去の写真では、類似種の生えている場所の近くまで水が来ていた。

  他の場所でも同じ傾向があるか。

  魚さんの水量記録と照合する。

  要検証。



 書き終えて顔を上げると、健吾が少し離れたところから、達也の手元を見ていた。


「たっちゃんは、そっちなんだな」


「こっちの方が書きやすいから」



『いつものノート』

『手書き安定』

『端末も使うんだ』

『そのうち誰かが確認してくれそう』



 達也はノートをしまい、立ち上がった。


「ケンちゃん。もう少し、水の流れに沿って見てもいい?」


「いいけど、足元気をつけろよ」


「うん」


 少し先の湿った土にも、赤い葉が見えていた。






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