第五話「画面の向こうの違和感」
第五話「画面の向こうの違和感」
JDA初期訓練施設の一角。簡易的に組まれたモニター室では、いくつもの画面に、受講者たちの映像が映し出されていた。配線がむき出しのまま床を這い、機材はどれもまだ試作品めいた無骨さを残している。
「テスト配信、開始します」
技術者の一人がそう告げると、画面上部のランプが点滅を始めた。
映像はどれも賑やかだった。騎士風の兜を被った受講者が、覚えたての火属性で威勢よく炎を吹き出している。仮面をつけた別の受講者は、木刀を勇ましく構え、内田を相手に素振りを見せている。動物顔のアバターをつけた誰かは、水を飛ばして周囲を笑わせていた。
「思ったより、皆さん楽しんでますね」
モニターを見ながら苦笑する技術者に、隣に座る別の職員が、資料をめくりながら軽く相槌を打った。
「まあ、休日を潰されてる分、多少はしゃぎたくもなるでしょう」
その中に一つ、明らかに毛色の違う映像があった。
目も口もない、ただの丸いトマトを頭に載せた受講者が、おどおどとした足取りで画面の隅をうろついている。歩くたび、頭の上についた緑色のヘタが、頼りなく左右へ揺れていた。
「……あのトマト、設定ミスですかね」
モニターを覗き込んでいた職員が真顔で呟くと、記録を確認していた隣の職員が答えた。
「いえ。本人が選択したみたいです」
「……そうですか」
二人はしばらく無言でその映像を見つめた後、どちらからともなく苦笑いを浮かべた。
「まあ、いいんじゃないですか。個性ってことで」
「そうですね。害はなさそうですし」
このときの二人には、それがどれほど的外れな感想だったか、まだ知る由もなかった。
ーーー
「それでは、模擬エリアに訓練用の魔物を解放します」
内田のアナウンスとともに、柵で囲まれた実地訓練場へ、いくつかの影が放たれた。
現れたのは、ぬめった粘液を纏った芋虫のような魔物と、鱗に覆われた小型の爬虫類のような魔物だった。どちらも見た目こそ地味だが、皮膚や外皮がやたらと硬い。受講者たちが振るう木刀も、覚えたての属性の力も、ほとんど効いていなかった。
「うわ、硬い……!」
「火、効かないんだけど……!」
騎士風の兜をつけた受講者が渾身の一撃を叩き込んでも、爬虫類の魔物はびくともせず、逆に尻尾で薙ぎ払われて尻もちをついた。仮面の受講者は、木刀を叩きつけるたびに手が痺れるのか、しきりに腕を振っている。
あちこちで悲鳴に近い声が上がる。訓練とはいえ、実際に体当たりされれば普通に痛い。統制の取れた動きなど、誰にもできていなかった。
達也も、その一人だった。
「うわ、うわ、うわ……!」
小型の爬虫類が一匹、達也の方へ向かってくる。腰が引けた達也は、木刀を構える余裕すらなく、ただじりじりと後ずさりするだけだった。配信画面では、トマトのヘタが落ち着きなく揺れている。
このまま体当たりされるのでは――そう思った瞬間、視界の端に、一株の植物が留まった。青みがかった茎を持つ、ひょろりとした草だ。
揺れていたヘタが、ぴたりと止まる。
(あ、この草……)
以前、訓練施設で触れたときの感覚がよみがえる。触るとネバネバして、空気に触れるとすぐ固まる――そんな感覚だった。
(……触るなって言われてたよな)
そう思ったが、迷っている余裕はなかった。考えるより先に、身体が動いた。
達也は腰の家庭菜園用ナイフを抜き、逃げながらもその草を根元からさっと刈り取ると、迫ってくる爬虫類の魔物の足元へ、ほとんど反射的に投げつけた。
次の瞬間。
魔物の足が、その草を踏みつけた。ぷちりと茎が潰れ、中の粘液が地面に広がる。粘液は空気に触れると見る間に固まり、魔物の足は地面に縫い付けられたように動かなくなった。
「……え」
魔物は足を引き抜こうともがいたが、それ以上、達也に近づいてくることはなかった。
「よかった……やっぱり、固まった……」
達也は胸を撫で下ろした。配信画面では、ぴんと強張っていたトマトのヘタが、安堵するようにゆらゆらと揺れている。本人は、まったく気づいていない。
だが、安心している暇はなかった。
「ひっ……」
今度は反対側から、芋虫型の魔物がゆっくりとこちらへ這い寄ってくる。ヘタが、びくっと跳ねた。
速度こそ遅いが、達也は逃げ場を塞がれるように、壁際へと追い詰められていった。
(うわ、うわ、うわ……)
後ずさりながら、必死に周囲を見回す。配信画面のヘタも、達也の動きに合わせて右へ左へと忙しなく揺れる。
逃げ道はない。木刀は結局、一度もまともに使えていない。
ふと、足元にある、独特の刺激臭を放つ雑草の茂みが目に入った。忙しなく揺れていたヘタが、今度はそちらへ傾く。
訓練初日、植物を片っ端から触って回ったとき、似たような匂いの根に触れた記憶がある。
(この匂い……虫が嫌がるやつだ)
確証はない。けれど、触れた瞬間に感じたあの感覚が、頭に残っている。
達也はしゃがみ込んでその草を根元から引き抜くと、震える手で芋虫型の魔物へ向かって突き出した。
魔物の動きが、目に見えて鈍った。触角のようなものを嫌がるようにびくびくと動かし、じりじりと後退していく。やがて興味を失ったように、別の方向へと這い去っていった。
「……え、逃げた」
達也は呆然と、手にした草を見つめた。配信画面では、トマトのヘタも草の方へ傾いている。
自分が今やったことが、本当に正しかったのか。正直なところ、よく分かっていなかった。ただ、なんとなく、そうすればいいと思った。
それだけだった。
ーーー
モニター室では、その様子を見ていた職員たちが、椅子から半ば腰を浮かせていた。
「今、何をした……?」
「ちょっと待ってください」
植物研究班の太田敬介が、慌てて手元の資料を捲る。
「あの青い草……訓練施設にも検体が入っています。毒性については問題なし。ただ、性質まではまだ確認できていません」
「受講者には?」
「不用意に触らないよう伝えているはずです」
職員の一人が、モニターの映像を巻き戻した。達也が草を刈り取り、魔物の足元へ投げる。踏み潰された茎から粘液が広がり、急速に固まっていく。
「……凝固作用か」
「みたいですね」
太田が頷くと、別の職員が首をひねった。
「でも、なんで知ってるんだ?」
誰も、答えを持っていなかった。
そして、それだけでは終わらなかった。
「太田さん、これも見てください」
別の職員が映像を少し先へ送ると、芋虫型の魔物が、刺激臭のする草を突きつけられ、明らかに嫌がって後退していく場面が再生された。
「あの根も、記録上は効果未確認です」
「……二度目か」
太田は映像を見つめた。一度目は、青い草。二度目は、刺激臭のある根。どちらも研究側では、まだ用途まで確認できていない。それを達也は、それぞれ違う方法で使った。
「一度なら偶然かもしれません。でも、二種類ともとなると……」
映像の中の達也は、どう見ても熟練者ではなかった。パニックになって逃げ回り、木刀はほとんど使えていない。動きもぎこちなく、それに合わせてトマトのヘタまで忙しなく揺れている。その場にあった植物を必死に使っただけの、どこにでもいる素人に見える。
なのに、その使い方だけがおかしい。研究側がまだ確かめていない性質を、知っているかのようだった。
「……あの受講者、名前は?」
「井上です。井上達也」
「適性は?」
「土属性です。植物に関係があるらしい、という申告だけですね」
「それだけですか?」
太田は資料を受け取り、自分でも確認した。名前、年齢、所属。適性について書かれている内容は、確かにそれだけだった。
再びモニターを見ると、画面の中では、達也が手にした草を不思議そうに眺めていた。トマトのヘタも、同じ草へ向かって傾いている。
「植物に関係があるって、どの程度なんでしょうか」
「そこまでは分からん」
隣の職員が答えた。
「あの草をどうして選んだのか。何が分かって、ああいう使い方をしたのか……」
太田はもう一度、モニターへ目を向けた。
「本人に聞いてみるしかないですね」
画面の中では、目も口もないトマトの頭が小さく揺れ、それに合わせて緑色のヘタもゆらゆらと揺れていた。どうやら本人は、魔物が離れていったことに、ただほっとしているだけらしい。
太田は、その映像をしばらく眺めていた。
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