第四十二話「発見!絶叫!大歓喜!」
第四十二話「発見!絶叫!大歓喜!」
第五階層。ごつごつとした岩肌の通路は、相変わらず緑が少なかった。乾いた風が低く吹き抜け、足元の砂利がかすかに鳴る。
岩の隙間から、細い草が数本だけ遠慮がちに伸びていた。達也はその前で足を止め、じっと眺める。以前にも見かけた種類だ。けれど、葉の先が少し白く変色している。
「こっちも変わってるなあ」
しゃがみ込んで、ノートを開く。
健吾はその少し後ろに立ち、大剣の柄に手を添えたまま周囲に目を配っていた。植物の少ないこの階層では、達也のツルもあまり頼りにならない。警戒を緩める理由はなかった。少し離れた場所では、杉本が通路の奥をうかがっている。
「トマトさん、何かありました?」
「葉の色が変わってるんだ。前に見たものとは違うみたい」
「へえ」
杉本が視線を向けた、そのときだった。
「……ん?」
草のさらに向こうの岩陰に、黒っぽい塊が見えた。石にしては妙に艶がある。その上から、何本もの細長いものがにょきにょきと伸びていた。
「先輩、あれ何ですか?」
「どれだ?」
健吾が近づき、岩陰を覗き込む。
「ヒッ!」
喉の奥から、聞いたことのない声が漏れた。
「え、何ですか?」
「翔太、近づくな! たっちゃんも!」
「ケンちゃん?」
健吾は岩陰から目を離さないまま、じりじりと後ずさった。
「……でかい虫がいる」
達也が岩陰へ視線を向けた。そこには、猫ほどの大きさの黒い虫がいた。硬そうな艶のある胴体に、きっちりと折り畳まれた節だらけの脚。そしてその背中からは、薄茶色のキノコが何本も、生け花のように伸びている。
「……あ」
達也が目を丸くする。配信画面の中で、トマトのヘタがぴんと立った。
「冬虫夏草みたいだ」
「……何?」
「虫に寄生するキノコだよ。こんなに大きいのは初めて見たけど」
「そりゃそうだろ……」
健吾の声には、まるで力がなかった。杉本が横から首を伸ばす。
「うわっ!? 何ですかあれ!」
「だから近づくなって言っただろ」
「いや、あんなの想像してなかったです!」
杉本は大きく飛び退き、健吾の背中に半分隠れた。
そんな二人をよそに、達也は少し離れた場所へしゃがみ込んだ。虫そのものより、背中から伸びるキノコの方に目が吸い寄せられている。
「キノコの根元、どうなってるんだろう」
「トマトさん、そこ気になるんですか!?」
「うん。植物班にも見てもらおうかな」
「……先輩」
「なんだ」
「俺、あれ持って帰るの嫌です」
「俺もだよ」
小声のやり取りは、達也の耳には届いていないようだった。
達也は頭上に浮かぶ配信用ドローンを、岩陰の虫へ向けた。画面いっぱいに、猫ほどもある黒い虫と、その背中から伸びる何本ものキノコが映し出される。
『うわっ』
『何これ!?』
『虫!?』
『でっっっか』
『無理無理無理』
『モザイクかけろ!!』
『トマトさん離れて!!』
『キノコ生えてない!?』
『面の人が警戒するの分かる』
『ワンコ逃げてwww』
ーーー
JDAの植物研究室。達也の配信を見ていた研究員は、パソコンの前で固まっていた。マウスに置いた手が、ぴくりとも動かない。
「……無理。絶対無理」
画面には、猫ほどもある巨大な虫。しかも、背中から何本ものキノコが伸びている。
「なんだよ、これ……」
それでも仕事は仕事だ。研究員はなるべく画面を視界の端へ追いやりながら、公式コメントを送ろうとキーボードに手を伸ばした。
その瞬間、画面に虫の脚が大きく映った。
「ひえっ!?」
跳ね上がった指が、キーボードの上を盛大に滑った。
『JDA植物班>あsdfghjkl;!!』
「どうしたんですか?」
悲鳴を聞きつけた近くの研究員が、画面を覗き込んだ。一瞬の沈黙。
「……えっ、すごい!」
「え?」
椅子の上で縮こまっていた研究員が顔を上げる。同僚の目に浮かんでいたのは、恐怖ではなく、純度の高い輝きだった。
「太田さん! ちょっと来てください!」
「どうした?」
「これ見てください!」
呼ばれた太田が、資料を手にしたまま画面を覗き込む。
「……えっ、これキノコか!?」
「ですよね!?」
「宿主は虫?」
「みたいです!」
「大きさは?」
「猫くらいあるそうです!」
「猫!?」
その声に、ほかの研究員たちもわらわらと集まってきた。
「何ですか?」
「うわ、でかっ!」
「キノコの根元、どうなってるんですか!?」
「羽はあるのかな?」
「横からも見たいですね!」
「大型モニターに映しましょう!」
「頼む!」
研究員たちが次々とパソコンへ身を乗り出す。肩と肩がぶつかり、誰かの白衣の袖が机の書類を払い落としたが、拾う者はいない。最初に座っていた研究員は、いつの間にか椅子ごと後ろへ押し出されていた。キャスターがからからと虚しく鳴る。
「……なんでみんな平気なんだよ」
その呟きに答える者は、誰もいなかった。
ーーー
「あれ?」
コメント欄を確認していた達也が、首を傾げた。
「植物班からコメントが来たけど……」
表示されていたのは、意味の分からない文字の並びだった。
『なんだ今のwww』
『公式が壊れた!?』
『植物班どうしたwww』
『誤送信?』
すぐに、次の通知が表示された。
『JDA植物班>失礼しました! 可能であれば横からも撮影していただけますか?』
「あ、横からだね」
達也はドローンを少し横へ移動させた。
「たっちゃん、今のコメントは何だったんだ?」
「間違えたのかな?」
「……そうか」
健吾はそれ以上考えないことにした。考えたところで、ろくな答えは出ない気がした。
横から映された虫の脚が、画面いっぱいに広がる。節ごとに生えた細かな毛まで、くっきりと見えた。
『ぎゃあああ』
『横から映すなwww』
『訂正したと思ったらそれかよ!』
『植物班、むしろ元気になってない?』
『公式コメントの「!」増えてて草』
配信画面の中で、トマトのヘタが嬉しそうに左右へ揺れていた。さらに、植物班からコメントが届いた。
『JDA植物班>ありがとうございます!! 背中のキノコの根元も確認できますか!?』
「あ、根元だって」
達也はドローンの位置を調整した。レンズが、虫の背中へぐっと寄っていく。
「たっちゃん!」
「うん?」
「近い!」
「あ、ごめん」
達也はドローンを少し離した。背中から伸びるキノコの根元が、画面に映る。黒い殻の継ぎ目を割るようにして、白っぽい菌糸のようなものが覗いていた。
『JDA植物班>すごいです!! ありがとうございます! 羽の有無も確認したいです!』
「羽かあ」
達也が虫を眺める。
「キノコの陰に隠れてるのかな……」
「探さなくていい!」
健吾が言った。
「トマトさん、もう十分じゃないですか!?」
「そうかな?」
そのときだった。キノコの陰から、薄いものが左右に広がった。
ばさっ。
「「うわあああっ!!」」
健吾と杉本が同時に飛び退いた。砂利が派手に跳ねる。
虫の背中から、薄く透けた羽が左右に広がっていた。乾いた茶色の膜に、細い筋が幾本も走っている。その上には、相変わらず何本ものキノコが伸びていた。
「……羽、あったね」
達也が呟く。
「そういう問題じゃないだろ!」
「動きましたよ! 今、動きましたよ!」
「うん。でも生きてるのか、反射なのかは分からないね」
健吾は大剣を半ば構えかけたまま、固まっていた。斬るべき相手なのかどうかすら、判断がつかない。達也は距離を取ったまま、観察を続けた。配信画面では、トマトのヘタがぴんと立っていた。
『ぎゃああああ!!』
『羽!?』
『飛ぶの!?』
『やめてやめてやめて』
『ヘタもびっくりしてるwww』
『面の人とワンコの反応が正しい』
『もう帰ろう!!』
ーーー
JDAの植物研究室。
「羽あった!!」
「撮れてます!?」
「撮れてます!!」
「保存して!!」
「もう保存してます!!」
大型モニターの前で、研究員たちが一斉に声を上げた。ちょっとした歓声だった。
「すごいですね!」
「羽の構造も残ってるんですね!」
「これ、持ち帰れませんか!?」
太田が頷いた。
「採取したいな。実物を調べてみたい」
「容器はどうします?」
「この大きさだと、普通の採取袋では無理ですね」
「大きいケースが必要ですね」
研究員たちが、額を寄せ合って相談を始める。その後ろで、最初の担当者が顔を上げた。
「……持って帰るんですか?」
「はい!」
「……ここに?」
「もちろんです!」
「…………」
研究員は再び顔を覆った。指の隙間から大型モニターの羽が見えてしまい、慌ててもう一度ぎゅっと目を閉じる。代わりにキーボードの前へ座った新しい担当者が、軽やかに公式コメントを入力する。
『JDA植物班>羽の確認ありがとうございます!! 大変貴重な記録です!!』
続けて、太田が指示を出した。
「実働部隊にも連絡してくれ。現地での採取を頼みたい」
「分かりました!」
研究員が端末を操作する。しばらくして、公式コメントが送られた。
『JDA植物班>採取用の容器を準備し、実働部隊と現地へ向かいます! 安全な場所で待機をお願いします!』
ーーー
「……植物班」
健吾が低い声で呟いた。画面に並ぶ感嘆符の数が、向こうの熱量を雄弁に物語っている。
「楽しそうだな……」
「めちゃくちゃ楽しそうですね……」
配信画面の上部には、植物班が現地へ向かうという通知が表示されていた。
「……え?」
杉本が画面を二度見した。
「来るんですか?」
「そうみたいだね」
達也が頷く。
「じゃあ、ここで待ってようか」
「……トマトさん」
「うん?」
「持って帰るんですか?」
「植物班が調べたいみたいだからね」
達也は少し離れた岩に腰を下ろし、ノートを開いた。
健吾と杉本は、岩陰からさらに距離を取った。それでも視界の端から虫は消えてくれず、二人そろって微妙に体の向きを変える。
「……先輩」
「なんだ」
「今日の待機って、坂口さんですよね……」
「あぁ……」
二人は顔を見合わせた。言葉にしなくても、考えていることは同じだった。
「坂口さんも来るのかな?」
達也が顔を上げる。
「そうだろうな」
「そっか。久しぶりだね」
達也は嬉しそうに頷いた。配信画面のトマトのヘタが、左右に揺れた。
『坂口さんwww』
『これから来るのか』
『かわいそうに……』
『面の人とワンコ、仲間が増えるぞ』
『いや植物班も増えるんだよなあ』
達也は開いていたノートへ目を落とした。さっき撮影した虫の姿を思い出しながら、ペンを走らせる。
【寄生きのこ】
第五階層。岩陰で発見。
猫ほどの大きさの虫。
背中から複数のキノコ状のもの。
冬虫夏草に似ている。
羽あり。刺激に反応して開いた?
生死不明。
寄生の状態――要確認。
書き終えると、達也はもう一度岩陰へ視線を向けた。
「持ち帰ったら、詳しく分かるかな」
「……たっちゃん」
「うん?」
「それ以上近づくなよ」
「うん。ここで待ってるよ」
達也はノートを閉じた。
ーーー
しばらくして、通路の向こうから複数の足音が聞こえてきた。岩壁に反響するその足音は、どこか弾んでいる。
「トマトさん!」
先頭を歩いていた太田が、大きな荷物を提げたまま手を上げた。
「あ、太田さん。お疲れさまです」
「いやあ、配信で見ていましたけど、実物はまた違いますね」
太田は挨拶もそこそこに、岩陰へ視線を向けた。
「……これは」
隣にいた研究員も、興味深そうに覗き込む。
「本当に大きいですね」
「キノコの根元も、はっきり見えますね」
二人は早速、虫の前にしゃがみ込んで話し始める。
その少し後ろでは、坂口と白石が周囲を確認していた。
「……足立」
坂口が声をかけた。
「はい」
「周囲の状況は?」
「今のところ、変化はありません」
「魔物の反応は?」
「ありません。翔太にも確認させています」
「分かった。引き続き警戒を頼む」
「了解です」
坂口は端末で周囲の地形を確認した。指示はいつもどおりだった。声の調子も、立ち姿も、普段の現場リーダーそのものだ。ただし、その視線は一度も岩陰へ向かなかった。
「……坂口さん」
杉本が小声で声をかけた。
「なんだ」
「見ないんですか?」
「何をだ」
「……あれです」
「報告は受けている」
「……そうですか」
杉本はそれ以上聞かなかった。聞いてはいけない気がした。
『坂口さん、ずっと反対向いてるwww』
『なんで面の人、坂口さんに声かけられてんの?』
『護衛だからな』
『警戒は大事だからな』
『面の人もいつもどおり護衛してる』
『ワンコ、そっち側に仲間増えてよかったな』
そのとき、白石が岩陰へ近づいた。足取りに迷いはない。
「あ、これですね」
白石は虫を覗き込んだ。
「へえ……本当に大きいんですね」
少し身を乗り出す。医師らしい、遠慮のない観察の目だった。
「これ、虫の体はどのくらい残っているんでしょう?」
「まだ分からないんです」
達也が答える。
「でも、形は結構残ってますね」
「そうですね。中がどうなっているのかも気になります」
「僕も気になってました」
二人が頷き合う。
「……白石」
坂口が、やはり岩陰を見ないまま声をかけた。
「はい?」
「お前、今日は同行予定じゃなかっただろ」
「はい。でも、配信を見ていたら気になっちゃって」
「……そうか」
「すみません。お邪魔でした?」
「いや、そういうわけじゃないが……」
坂口は言葉を濁した。
「白石先生、こちらも見ていただけますか?」
太田が声をかける。
「あ、はい。今行きますね」
白石は嬉しそうに研究員たちの方へ歩いていった。
「……坂口さん」
杉本が小声で尋ねた。
「なんだ」
「白石先生、めちゃくちゃ楽しそうですね」
「……そうだな」
坂口は端末へ目を落とした。岩陰では、太田たちが採取方法について話し始めていた。
「なるべく形を崩さずに持ち帰りたいですね」
「動いたと聞いていますので、慎重にいきましょう」
「用意した容器なら大丈夫そうです」
坂口はそちらを見ないまま、周囲へ視線を向けた。
「足立、杉本。俺たちは周囲の警戒だ。白石も頼む」
「了解です」
「はい」
「はい」
採取したいと言い出したのは植物班だ。危険がないよう警護はする。必要なら魔物にも対処する。だが、あれを持ち上げるのは自分の仕事ではない。
「……太田」
「はい?」
「採取は任せた」
「はい! ありがとうございます!」
太田は嬉しそうに頷いた。坂口も頷く。
どうぞ、好きなだけ調べてくれ。ただし、俺に渡すな。
ーーー
太田たちは、持参した容器を広げて採取の準備を進めていた。
「これなら入りそうですね」
「念のため、固定しておきましょう」
少し離れて作業を見守っていた杉本が、ふと容器に目を留めた。
「……太田さん」
「はい?」
「それ、何ですか?」
「キャリーケースです」
「……ですよね」
「大きさがちょうどよかったので。中には透明な密閉容器を入れてあります」
太田は何でもないことのように答えた。
手袋をはめた研究員たちが慎重に虫を持ち上げ、容器へ移していく。羽がまた開くのではないかと、健吾と杉本は息を詰めて見守った。幸い、虫はぴくりとも動かなかった。
しばらくして、採取が終わった。
「よし。入りました!」
太田が持ち上げたのは、持ち手のついた四角いケースだった。丸みのある樹脂製の本体。正面には網のついた扉がある。どう見ても、ペットを運ぶためのキャリーケースだった。そして、その網の向こうには、猫ほどの大きさの虫が収まっていた。黒っぽい胴体に、折り畳まれた脚。背中からは、何本ものキノコが伸びている。
「…………」
杉本が一歩下がった。
「……先輩」
「なんだ」
「猫じゃないですよね」
「見れば分かるだろ」
「……猫の方がよかったです」
「俺もだよ」
その横で、坂口はケースとは反対の方向を向いていた。
「太田」
「はい?」
「それはお前が持て」
「もちろんです!」
太田は嬉しそうに頷いた。
「きれいに収まりましたね」
白石が網の扉に顔を近づける。
「思ったより余裕がありましたね」
「そうですね。持ち帰ってから詳しく調べられそうです」
太田と白石が楽しそうに話している。その様子は、まるで新しく迎えたペットを覗き込む飼い主たちのようだった。杉本は二人を見つめた。
「……先輩」
「なんだ」
「なんであの人たち、平気なんですかね」
「俺に聞くな」
坂口は端末で帰路を確認した。
「周囲の警戒を続けるぞ。植物班は中央を歩いてくれ」
「はい!」
太田が元気よく返事をした。達也はその横で、ケースを眺めている。
「持ち帰ったら、僕も見に行っていいですか?」
「もちろんです! ぜひお願いします」
「ありがとうございます」
配信画面のトマトのヘタが、嬉しそうに左右に揺れた。
『キャリーケースwww』
『猫じゃねえええ!!』
『網から見えてる!!』
『せめて隠してくれwww』
『白石先生まで楽しそう』
『ワンコの反応が正常』
『面の人も嫌がってるwww』
『坂口さん最後まで見ないの草』
『トマトのヘタだけ元気』
帰り道。植物班を中央に挟んだ一行は、来た道を引き返していた。太田の手元でキャリーケースが揺れるたび、網の向こうのキノコも一緒に揺れる。杉本は、なるべく前だけを見て歩いていた。
達也が、ふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、ケンちゃん」
「なんだ?」
「ほかにも生えてるのかな?」
「……何が?」
「寄生キノコ」
「…………」
健吾が足を止めた。
「……たっちゃん」
「うん?」
「探すなよ」
「え?」
「絶対に探すなよ!」
その横で、杉本が何度も大きく頷いていた。
『次回、寄生キノコ探しwww』
『面の人、必死すぎる』
『ワンコも全力で頷いてて草』
『トマトさんなら本当に探しそう』
配信画面の中で、トマトのヘタが嬉しそうに揺れた。
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