第三十九話「CM撮影」
第三十九話「CM撮影」
平日の午後。
達也は会社の同僚とともに、都内の撮影スタジオを訪れていた。
「……よし」
隣で同僚が小さく呟いた。
手元の資料を確認し、腕時計を見る。
それからネクタイの位置を直し、スマートフォンの画面で髪型を確かめた。
「……よし」
「何か忘れ物?」
「いや、大丈夫だ」
「そう?」
「ああ。問題ない」
そう言いながら、今度はジャケットの襟を整えている。
達也は少し首を傾げた。
「井上、今日はよろしくな」
「うん。よろしく」
「しかし、部長もよく井上をこの案件につけてくれたよな。津島社長と知り合いなのは助かるよ」
「そうかな?」
「そうだよ」
同僚は頷き、また腕時計を見た。
「……まだ時間あるな」
「集合時間まではね」
二人は受付で身分を確認してもらい、渡された入館証を首から下げた。
今日訪れたのは、東洋メディカルが一般向けに販売する回復薬のCM撮影現場だった。
達也の勤める商社は、回復薬の量産に必要な資材を供給している。今回は津島社長から声がかかり、取引先として特別に撮影を見学させてもらえることになった。
案内されたスタジオでは、スタッフたちが撮影の準備を進めていた。
白を基調としたセットの中央には小さなテーブルが置かれ、回復薬の容器が並んでいる。
「おお……」
同僚がセットを見渡す。
「すごいな」
「そうだね」
「井上さん、お久しぶりです」
声をかけられ、達也が振り返る。
「あ、津島社長。お久しぶりです」
東洋メディカルの津島哲雄だった。
「本日はお越しいただきありがとうございます」
「こちらこそ、お招きいただきありがとうございます」
同僚が一歩前へ出て、丁寧に頭を下げた。
「先日ご相談いただいた資材の件ですが、追加分についても予定どおり手配を進めています」
「ありがとうございます。販売開始に向けて、引き続きよろしくお願いします」
「はい。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
同僚は落ち着いた様子で受け答えをしていた。
津島からいくつか確認があっても、資料を開いてすぐに答えている。
達也も必要なところで言葉を添えた。
しばらくして、津島はスタッフに呼ばれ、セットの方へ戻っていった。
同僚は資料を閉じ、改めてスタジオを見渡した。
そのときだった。
「本日はよろしくお願いします!」
スタジオの奥から、明るい声が響いた。
現れたのは、姫宮りぼんだった。
淡い色合いの衣装を身につけ、スタッフたちに笑顔で挨拶している。
隣で同僚がぴたりと動きを止めた。
「……来た」
「うん?」
「本物だ……」
達也が隣を見ると、同僚はりぼんの方をじっと見ていた。
りぼんはスタッフと話しながら歩いていたが、ふと達也に気づいた。
「あっ!」
ぱっと表情を明るくする。
「お久しぶりです!」
「こんにちは。お久しぶりです」
「今日はどうしたんですか?」
「仕事で来ました」
「えっ、お仕事だったんですか!」
「はい。取引先の関係で」
「そうだったんですね!」
りぼんは嬉しそうに笑った。
「今日はよろしくお願いします!」
「こちらこそ」
そこへスタッフが声をかける。
「姫宮さん、準備お願いします」
「はーい!」
りぼんは軽く頭を下げ、セットへ向かっていった。
その後ろ姿を見送っていると、同僚が達也の袖をぐいっと引いた。
「……井上!」
「何?」
「お前、姫宮りぼんさんと知り合いなのか!?」
顔を近づけ、声だけは小さく詰め寄ってくる。
「う、うん。前にJDAで会ったことがあって」
「マジかよ……! 俺、ずっと配信見てるんだぞ!」
「そうだったんだ」
「羨ましいな、おい!」
同僚は頭を抱えた。
達也は朝から落ち着かなかった同僚の様子を思い出した。
どうやら、理由はこれだったらしい。
同僚は一度深く息を吐き、資料を開いた。
「……よし、仕事だ」
「うん」
もっとも、同僚の視線はまだ少しだけセットの方へ向いていた。
ーーー
撮影が始まった。
最初に撮影するのは、りぼんが商品を手に取って紹介する場面だ。
「では、姫宮さん。お願いします」
「はい!」
カメラの前で、りぼんが笑顔を作る。
「毎日の、小さなもしもに!」
手にした回復薬を、カメラへ向ける。
「東洋メディカルの回復薬!」
「はい、カット!」
監督がモニターを確認する。
「いいですね。もう一回、最後の商品を少しだけ高くお願いします」
「分かりました!」
りぼんは頷き、立ち位置を確認した。
同じ台詞を、商品の高さや顔の向きを変えながら何度も撮影していく。
「……結構細かいんだな」
同僚が小声で言った。
「そうだね」
「商品を見せる角度まで決まってるんだ」
「ラベルがちゃんと見えるようにしてるんだろうね」
「ああ、なるほど」
同僚は頷いた。
「確かに、商品名が見えなきゃ意味ないもんな」
その後も撮影は続いた。
りぼんはスタッフの指示に合わせ、笑顔や声の調子を少しずつ変えていく。
「すごいね」
「何が?」
「同じ台詞なのに、毎回少しずつ違う」
「ああ。さすが慣れてるな」
同僚も感心したように頷いた。
やがて、商品の撮影が一段落した。
「では次、光の演出をお願いします」
スタッフの声に、りぼんが立ち位置を移動する。
ここからは、光属性の魔法を使った撮影だった。
りぼんが手のひらを上へ向ける。
ふわり。
小さな光球が浮かび上がった。
光球はゆっくりと動き、りぼんの周囲を回り始める。
それに合わせて、衣装や髪に柔らかな光が流れていった。
「おお……」
同僚が声を漏らした。
普通の照明とは違い、光そのものが動きながら、りぼんの表情や衣装を次々と照らしていく。
「姫宮さん、そのまま光を少し上へ動かせますか?」
「はい!」
光球がゆっくりと上昇する。
「いいですね。今度はもう少しゆっくり回してみましょう」
「分かりました!」
光球の動きが緩やかになった。
スタッフがモニターを確認する。
「……いいですね。これならいけそうです」
りぼんは光球を動かしながら、カメラへ笑顔を向けた。
その周囲を、光が柔らかく巡っていく。
「はい、カット! ありがとうございます!」
りぼんが手を下ろすと、光球がすっと消えた。
「いやあ、面白いな」
同僚が感心したように呟いた。
「普通の照明じゃ、ああいうふうには動かせないよな」
「そうだね」
「魔法って、光を出すだけじゃないんだな」
達也も頷いた。
「知り合いも、使い方をいろいろ練習してたよ」
「へえ、そうなんだ」
「うん。人によって得意なことも違うみたいだし」
「なるほどな」
同僚は少し考え、それから笑った。
「仕事と一緒か。使えるものがあっても、どう使うかは別なんだな」
「そうかもしれないね」
二人は再び撮影セットへ目を向けた。
スタッフたちは先ほどの映像を確認しながら、次の撮影について相談している。
「でも、こうして見ると普通の撮影とあんまり変わらないんだな」
「そう?」
「使ってるものは違うけど、みんなで相談して、少しずついいものにしてるだろ」
「……確かに」
達也も頷いた。
ーーー
「すみません、少しよろしいでしょうか」
声をかけてきたのは、JDA広報の遠藤だった。
「あ、遠藤さん」
「井上さん、お疲れさまです。今日はお仕事で?」
「はい。津島社長に招待していただきまして」
「そうでしたか」
遠藤は同僚にも軽く頭を下げた。
「JDA広報の遠藤と申します。本日はよろしくお願いします」
「あ、こちらこそ。お世話になっております」
同僚も名刺を差し出し、挨拶を交わした。
「実は、先ほどのお話が少し聞こえまして」
「先ほど?」
「魔法を使った撮影についてです」
同僚が首を傾げる。
「ああ、普通の撮影とあまり変わらないって話ですか?」
「はい」
遠藤が頷く。
「今回、東洋メディカルさんのCMとは別に、JDAでもネット向けのメイキング映像を制作しているんです」
「そうなんですね」
「光属性の能力が、戦闘以外の場面でどう使われているかを紹介する予定でして」
遠藤は撮影セットへ目を向けた。
「私たちは普段から能力者の方と接する機会が多いので、どうしても能力を使う側の説明になりがちなんです」
「なるほど」
「でも、実際に初めてご覧になった方がどう感じたのかも、紹介できたらと思いまして」
同僚は少し驚いた顔をした。
「……俺の感想ですか?」
「はい。もし差し支えなければ、お名前や会社名は伏せたうえで、匿名の感想として使わせていただけないでしょうか」
「いや、別に構いませんけど……」
同僚は達也をちらりと見た。
「そんな大したこと言ってないですよ?」
「だからこそ、参考になると思うんです」
遠藤が笑う。
「実際に見た方の、自然な感想ですから」
「そういうものなんですね」
「もちろん、掲載する内容は事前に確認していただきます」
「それなら大丈夫です」
「ありがとうございます」
遠藤は手元の端末に簡単なメモを残した。
「それでは、後ほど確認のご連絡をさせていただきます」
「はい。よろしくお願いします」
遠藤はもう一度頭を下げ、スタッフの方へ戻っていった。
「……何が仕事につながるか分からないな」
同僚がぽつりと言った。
「そうだね」
「ただ感想言っただけなのにな」
「でも、分かりやすかったよ」
「そう?」
「うん。僕もあまり考えたことなかったから」
同僚は少し照れたように笑った。
「じゃあ、役に立ったならよかったよ」
ーーー
その後、撮影は順調に進んだ。
テレビCM用の映像に加え、JDAが公開するメイキング用の撮影も行われた。
りぼんが光球を動かす様子や、撮影スタッフと相談する場面。
そして、光を出し続けると疲れることや、細かな操作には練習が必要なことなども、短いインタビューで紹介される予定だという。
「姫宮さん、ありがとうございました!」
「こちらこそ、ありがとうございました!」
撮影を終えたりぼんが、スタッフたちに頭を下げた。
その後、達也たちの方へ歩いてくる。
「今日はありがとうございました!」
「お疲れさまでした」
「お疲れさまです!」
同僚も少し緊張した様子で挨拶する。
「CM、完成するの楽しみですね!」
「はい。楽しみにしています」
りぼんは嬉しそうに笑った。
そのとき、同僚が思い切ったように口を開いた。
「あ、あの……!」
「はい?」
「いつも配信見てます! も、もしよかったら、サインをいただけませんか?」
「ありがとうございます! もちろん、いいですよ!」
りぼんは笑顔で頷いた。
同僚は慌てて鞄から手帳を取り出した。
「ありがとうございます!」
りぼんは手帳にサインを書き、丁寧に返した。
「これからも応援よろしくお願いします!」
「はい! もちろんです!」
同僚は何度も頭を下げた。
りぼんはスタッフに呼ばれ、控室の方へ戻っていった。
その後ろ姿を見送りながら、同僚は手帳を開いた。
「……井上」
「何?」
「今日、来てよかった」
「そうだね」
「いや、本当に」
同僚は嬉しそうにサインを眺めていた。
ーーー
帰り道。
同僚は上機嫌だった。
「いやあ、まさかサインまでもらえるとはな!」
「よかったね」
「ああ! 大事にするよ」
同僚は鞄の中の手帳を確かめ、満足そうに頷いた。
「……さて、仕事の話もしないとな」
「うん」
「CMが放送されたら、注文も増えるだろうし、追加発注の準備を進めておこう」
「そうだね」
「戻ったら今日の報告もまとめないとな」
「僕もやるよ」
「頼む」
二人は駅へ向かって歩き出した。
ダンジョンが現れてから、四年。
魔法を使ったCMが撮影され、回復薬が一般向けに販売されようとしている。
そんなことも、今では会社の仕事の一つになっていた。
「……それにしても、今日はいい日だったな」
同僚が嬉しそうに呟いた。
「そうだね」
「よし。帰ったら報告書、さっさと片づけるか」
「うん」
同僚は上機嫌なまま、駅へ向かって歩いていった。
お読みいただきありがとうございました。
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