第三十五話「選ばれた側」
第三十五話「選ばれた側」
日曜日。植物研究室での作業が一段落したところで、太田が時計を見た。
「井上さん、そろそろ昼にしましょうか」
「はい」
二人で研究室を出て、食堂へ向かう。その途中、向こうから歩いてくる花村と鉢合わせた。
「あ、井上さん。太田さん」
「こんにちは」
「花村さん、今日は訓練ですか?」
「はい。午前の分が終わったところです」
花村は二人の向かう先を見た。
「これからお昼ですよね。私も一緒にいいですか?」
「もちろん」
三人で食堂へ向かう。
「花村さんも、食堂使うんだね」
「結構使ってます。外より安いんで」
「それ分かるかも」
「ですよね」
そんな話をしながら、それぞれ昼食を受け取った。空いている席を見つけ、三人で座る。
食事を始めてしばらくしたところで、達也がふと思い出した。
「そうだ、花村さん」
「はい?」
「報告遅くなったけど、橙色の実、ちゃんと実ったよ」
「…………え?」
花村の箸が止まった。
「本当ですか!?」
「うん。ちゃんと橙色になった」
達也も嬉しそうに笑う。
「ダンジョンの外で最後まで育ったんだ」
「すごい! 見たいです!」
「写真撮ってあるよ」
達也はスマートフォンを取り出し、収穫前に撮った写真を開いた。
「これ」
「おお……!」
花村が画面を覗き込む。
「本当に橙色だ……!」
「綺麗に色ついたでしょ」
「すごいですね……!」
向かいでは、太田もニコニコしながら写真を見ている。
「研究室の方も順調ですよ」
「そっちもですか?」
「はい。光属性の株は、もう実が色づき始めてます」
「もうそこまで育ってるんですね!」
「他の株も問題なく育っていますし、次の実もできています」
そう話す太田の顔は、ずっと緩んだままだ。花村はもう一度、達也のスマートフォンを見る。
「ダンジョンにあった植物が、ここで実をつけてるんですよね」
「うん」
達也も写真へ目を落とした。
「ちゃんと育ったなあ」
その声には、嬉しさが滲んでいた。
そのとき、食堂のテレビから聞き慣れない言葉が聞こえてきた。
『――続いては、ダンジョン出現後に設立された団体についてです』
達也が顔を上げる。画面には、大勢の人が集まる会場が映っていた。
『こちらの団体では、ダンジョンの出現には意味があり、適性を持つ人々を“選ばれた者”と位置づけています』
「選ばれた……」
達也が呟く。
「あ」
花村もテレビを見る。
「前にも言われましたよね」
「うん」
第四階層で会った三人のことを思い出す。せっかく選ばれた側なのに。あのときも、そんなことを言われた。
「私、あの配信見てました」
「そうだったね」
「報告も上がってきましたから、私も知っていますよ」
太田が言った。
「確か……『能力まで得たのに、やってること草むしりじゃん』でしたか」
「よく覚えてますね」
「覚えてますとも」
太田は箸を置いた。
「あの三人には、草むしりがいかに成果になったか、しっかりとお伝えしましたよ。ええ」
「……」
「灰色の木は杖になりましたし、植物から回復薬もできましたからね」
「ああ……」
達也の頭に、少し前に廊下で会った三人が浮かんだ。
「そういうことだったんですね」
「何がです?」
「いえ」
達也は首を振った。太田は、とてもいい笑顔だった。
テレビから、団体の代表らしい人物の声が聞こえてくる。
『あの災害を、二度と繰り返してはなりません』
画面が切り替わった。魔物へ向かっていく探索者。炎が走り、剣が振り下ろされる。次に映ったのは、ダンジョンの壁際で何かを調べている人だった。戦ってはいない。さらに画面が切り替わる。植物の前にしゃがみ込み、葉を調べているトマト頭の男。
「……僕だ」
「井上さんですね」
花村も気づいた。映像はすぐに切り替わり、再び魔物と戦う探索者たちが映る。
『そのために、私たち一人ひとりに、何ができるのでしょうか』
食堂のざわめきの中に、その声が流れる。
『与えられた力には、意味があります』
『その力を持つ者には、果たすべき役割があるのではないでしょうか』
「……意図的ですね」
太田が呟いた。
「何がですか?」
「映像の並べ方です」
太田はテレビを見たまま答える。
「あの災害は、記憶に残っている人も多いでしょうし」
「……ああ」
達也はもう一度、テレビを見る。戦っている人。戦っていない人。そして、また戦っている人。
「比較してるんですか?」
「そう見えるようには作っていますね」
太田の声が少し低くなる。
「戦っていない方が悪いとは、一言も言っていませんけど」
「……私も、そう見えました」
花村が言った。太田は眉を寄せる。
「……これは駄目でしょう」
「太田さん?」
「井上さんがどれだけ貢献していると思ってるんですか」
「え」
「灰色の木も、回復薬の原料になった植物もそうです。今育てている橙色の実だってそうですよ」
「太田さん、怒ってます?」
「怒ってますよ」
即答だった。
「戦っていないから何もしていないように見せるのは、見過ごせません。抗議します」
「するんですか?」
「します」
太田はきっぱりと言った。
「遠藤さんのところへ行ってきます」
「あ、遠藤さんなんですね」
「まずは広報です」
花村が少し身を寄せ、達也に小声で言った。
「井上さん、止めなくていいんですか?」
「……止まるかな」
二人で太田を見る。
「……止まらないですね」
「うん」
「聞こえてますよ」
「あ」
太田はまだテレビを見ていた。
「そもそも、適性がある人が全員戦えるわけじゃないんですよ」
「そうですね」
花村が頷く。
「でも、普通に生活してたら、分からない人もいるのかもしれませんね」
「何が?」
「戦わない人もいるってことです」
花村は少し考える。
「やっぱり、戦ってる配信って目立つじゃないですか」
「ああ」
「魔物が出てきて、魔法を使って、倒して」
花村がテレビを見る。
「そういうのを見てたら、適性がある人はみんな戦えるって思う人もいるのかなって」
「僕は無理だなあ」
「井上さんは植物ですからね」
太田が言う。
「うん。僕は今のままでいいかな」
「……でも、最近はそういう人にも厳しいんですよね」
花村が少し困ったように笑った。
「そういう人?」
「適性があっても、戦わない人です。最近、SNSでも色々言われてるんですよ」
「さっきの団体みたいな?」
「団体の名前が出てるわけじゃないんですけど」
花村は少し考える。
「『能力があるなら使った方がいい』とか、『適性がある人には役目がある』とか」
「へえ」
「前はもっと、『探索者にならないの?』って感じだったと思うんです」
花村がテレビから視線を戻す。
「最近は、『なんでならないの?』って」
達也も少し考えた。
「……違うね」
「ですよね」
花村が頷く。
「りぼんちゃんも最近ちょっと言われてます」
「姫宮さんが?」
「はい。適性があって、光属性なのに、なんで探索者にならないんだって」
達也は眉を寄せた。
「姫宮さん、色々やってるよ」
「そうなんですけどね」
「服のこともやってるし」
「それも楽しそうにやってます」
花村は少し困ったように笑った。
「でも、『光属性なのにもったいない』とか、『適性がない人もいるのに』とか」
「……それは姫宮さんが決めることですよね」
太田が言った。
「私もそう思います」
花村は頷いた。
「ただ、海外の災害のことを言ってる人も結構いるんです」
「海外の?」
「はい。『また同じことが起きたらどうするんだ』とか。『戦える人が戦わなくて、誰が止めるんだ』とか」
達也はテレビを見る。さっきまで流れていた映像が頭に残っている。
「怖いっていうのは、分かります」
花村が言った。
「私だって、日本であんなことが起きたら怖いですから」
「うん」
花村は少し考えてから続ける。
「それに、私が戦えるのも魔物が魔素になって消えるからっていうのはあると思います」
「消えるから?」
「はい」
花村が頷く。
「倒した魔物が、そのままずっと残るわけじゃないじゃないですか」
「ああ」
「血とか、死体とかがずっと残ってたら……私も今と同じように戦えてたか分からないです」
花村はそう言ってから、少し笑った。
「もちろん、強くなりたいのは変わらないですけどね」
「花村さん、ずっとそう言ってるもんね」
「はい」
答えは早かった。
「私は、もっと強くなりたいです」
花村は箸を持ち直す。
「でも、それは私がそうしたいからです」
「うん」
達也は頷いた。
テレビでは、再び団体の会場が映っていた。
『団体側は、探索や能力の使用を強制するものではなく、それぞれが与えられた力の意味について考えることを呼びかけているとしています』
三人はしばらくテレビを見ていた。やがて画面が切り替わり、別のニュースが始まる。
「花村さん」
「はい?」
「姫宮さん、気にしてる?」
「多少は。でも、今のところ何か言い返したりはしてないですね」
「そっか」
達也はそれだけ言って、残っていた昼食に箸を伸ばした。少しして、花村も食事を再開する。
「そうだ」
花村が思い出したように太田を見る。
「太田さん、このあと橙色の実、見に行っても大丈夫ですか?」
「栽培している場所だけでしたら大丈夫ですよ」
「本当ですか!」
さっきまでの表情が、一気に明るくなる。
「見たいです!」
「じゃあ行こうか」
「はい!」
食事を終え、三人は食器を返した。
「それじゃあ、井上さん。花村さん」
太田が言う。
「先に研究室へ戻っていてください」
「太田さんは?」
「広報へ行ってきます」
「本当に行くんですね」
「行きますよ」
太田はそのまま広報室の方へ歩いていった。花村がその背中を見送る。
「……本当に怒ってましたね」
「うん」
二人はしばらく太田の背中を見送った。
ーーー
「遠藤さん」
「はい?」
広報室で声をかけられ、遠藤が振り返った。太田が立っていた。
「少しいいですか」
「……何かありました?」
「井上さんの映像が使われています」
「どこにです?」
「例の団体です」
遠藤の表情が変わった。
「どう使われてました?」
「先程のニュースで、戦闘している探索者の映像の間に挟まれていました」
「……なるほど」
「その直後に、海外の災害を思わせる話と、『与えられた力には意味がある』『果たすべき役割がある』です」
遠藤は少し黙った。
「映像そのものは?」
「井上さんが植物を調べているところです」
「それだけなら、公開配信からですかね」
「問題はそこではありません」
「分かってます」
遠藤はすぐに答えた。
「使い方ですね」
「そうです」
太田が大きく頷く。
「井上さんがどれだけ貢献していると思ってるんですか」
「……太田さん」
「灰色の木も回復薬も――」
「分かってます。分かってますから」
「橙色の実も今――」
「それはまだ広報してません」
「そうでした」
一瞬だけ、太田が止まった。遠藤は息をつく。
「映像の出所と、使用方法についてはこちらで確認します」
「お願いします」
「ただ、公開されている映像の引用だと、こちらからどこまで言えるかは確認が必要です」
「それでもです」
「はい」
遠藤が頷く。
「確認します」
「お願いします」
太田はもう一度、しっかり頭を下げた。
ーーー
「おお……!」
鉢の前にしゃがんだ花村が声を上げる。
「本当にできてる!」
葉の間には、小さな橙色の実がついていた。まだ色は薄い。
「これが次の実ですか?」
「うん」
「思ってたより小さい」
「まだこれからだからね」
「触ってもいいですか?」
「実はまだやめておいた方がいいかな」
「はい」
花村は素直に手を引っ込め、そのまま近くから実を眺める。
「かわいいですね」
「最初はこんな感じなんだよ」
達也も鉢の前にしゃがんだ。葉にそっと触れる。植物親和を通して、ぼんやりとした感覚が伝わってくる。
「水はまだ大丈夫そう」
「順調ですか?」
「うん」
達也は葉の間にある小さな実を見る。
「大きくなれよ」
隣で花村が達也を見た。
「今の、植物親和ですか?」
「違うよ」
「違うんですか?」
「普通に応援しただけ」
「……」
花村が小さな実を見る。
「大きくなれー」
達也が笑う。少しして、研究室の扉が開いた。
「戻りました」
「あ、太田さん」
「どうでした?」
「遠藤さんが確認してくれるそうです」
「よかったです」
太田は二人の前にある鉢を見る。
「何してたんですか?」
「応援です」
「応援?」
「大きくなれって」
花村が答える。太田は小さな実を見た。
「……なるほど」
少し考える。
「では、私も」
太田が鉢の前にしゃがむ。
「大きくなってください」
「太田さんもやるんですね」
「やりますよ」
三人で、小さな実を見る。葉の間で、まだ色の薄い実が揺れていた。
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