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第三十三話「撤退」

第三十三話「撤退」




 第五階層。達也は岩の脇にしゃがみ込み、細長い葉を眺めていた。


「……これもだ」


 葉の先が、黒く変色している。手袋を外し、焦げた部分を避けて葉に触れた。


「トマトさん、そっちもですか?」


「はい。研究室に持ち帰ったものと似てます」


 少し離れた場所から杉本が覗き込む。達也はノートを開き、手早く書き込んだ。


「こっちにもあるぞ」


 健吾が指した先では、小さな草が半分ほど茶色く変色していた。


「見てみる」


 達也が立ち上がろうとした、そのとき。


「何かいるぞ」


 健吾が大剣へ手をかけた。杉本の表情も引き締まる。


「向こうから気配がありますね」


「ああ」


 達也も手袋をつけ直した。


「たっちゃん、俺たちより前に出るなよ」


「うん」


 健吾と杉本が前へ出て、達也はその後ろへ下がった。


 ザリッ。


 硬いものが地面を擦る音が響く。岩陰の向こうが、ぼんやりと赤く照らされた。


「……火?」


 やがて、大きな影が姿を現した。四本の脚。地面すれすれを這う長い胴体。太い尾。全身を覆う赤黒い鱗。その背中から、炎が立ち上っている。


「トカゲ……?」


 炎をまとった頭が、ゆっくりと三人へ向いた。


「先輩」


「ああ。来るぞ」



『なんだあれ』

『燃えてない?』

『トカゲ?』

『身体から火出てるぞ』

『こんなの第五階層にいた?』



 炎のトカゲが地面を蹴った。


 ドンッ!


 一気に距離が縮まる。


「翔太、左から回れ! 正面は俺が止める!」


「了解です!」


 健吾が待ち構えていた大剣を振り抜く。


 ガァン!


 光をまとった刃と、赤黒い頭部がぶつかり合った。健吾の身体が後ろへ押し込まれる。


「固ぇ……! 翔太、いけ!」


「任せてください!」


 杉本が横から踏み込み、炎をまとわせた西洋剣を叩きつけた。


 ガッ!


 火花が散る。


「くっ、通らない……!」


 トカゲが身体を捻り、太い尾を薙ぎ払った。


「翔太、離れろ!」


「うわっ!?」


 杉本が飛び退く。直後。


 ドガッ!


 太い尾が岩へ叩きつけられ、表面を砕いた。


 達也は周囲を見回した。岩の脇に、細いツタが伸びている。


「ケンちゃん、そのまま引きつけて!」


 達也はツタへ走り寄り、手を触れた。


「伸びて!」


 ツタが地面を這い、前脚と後脚へ巻きついていく。


「止まって!」


 ギリッ、とツタが締まり、動きが止まった。それを確認した健吾が踏み込む。


「いくぞ、翔太!」


「はい!」


 大剣を振り上げた、その瞬間。


 ボッ!


 トカゲの背中から炎が噴き上がった。


「なっ……!?」


 ツタを伝って赤い炎が走る。


「ケンちゃん、離れて!」


 健吾が大剣を身体の前へ出した。至近距離で炎が弾ける。


「ぐっ……!」


 健吾の身体が後ろへ吹き飛ばされた。


「先輩!」


 焦げたツタを千切り、炎の中からトカゲが飛び出してくる。


「この野郎……!」


 杉本が剣を握り直した。


「翔太、追うな!」


「っ、はい!」


 杉本はすぐに踏み止まり、トカゲへ剣を向け直す。


 健吾も立ち上がった。大剣を構え直そうとした右腕が、わずかに震えて止まる。探索服の袖が焼け、その下の皮膚が赤く腫れていた。


「ケンちゃん、火傷……」


「動く。まだいける」


 右手で柄を握り直す。だが、大剣の切っ先がわずかに下がった。杉本が一度だけ健吾の腕を見て、すぐに前へ視線を戻した。



『面の人!?』

『腕焼けてる!』

『火傷してるじゃん!』

『これまずいぞ』

『下がって!』



 炎のトカゲが、再び低く身構える。


「先輩……これ、前のと似てません?」


「ああ。俺もそう思った」


「前?」


 達也が尋ねる。健吾はトカゲから目を逸らさない。


「本来いるはずのない階層に、魔物が出たことがある。詳しい話は後だ」


 大剣を握り直す。


「たっちゃん、撤退するぞ」


「っ、分かった」


 達也は一瞬だけ目を見開いた。それでも、すぐに後ろへ下がる。


「翔太、通報!」


「了解! 第五階層、危険個体! 炎をまとったトカゲ型! 三名撤退、一名右腕に火傷あり!」


 送信。


「走るぞ!」


 三人が一斉に駆け出した。


 ドンッ!


 岩場を蹴る重い音が、すぐ後ろから追ってくる。


「追ってきてます!」


「そのまま走れ!」


 達也は走りながら視線を巡らせた。岩の隙間に、小さな草。


「伸びて!」


 手を触れると、伸びた茎がトカゲの脚へ絡みつき、一瞬だけ動きが止まった。


「今だ!」


 三人が距離を稼ぐ。


 ボッ!


 背後で炎が上がり、草が焼け落ちた。



『また燃えた!』

『逃げろ!』

『追ってきてるぞ』

『速すぎる』

『面の人その腕で大丈夫か!?』



 ガァン!


 背後で鈍い金属音が響く。追いついたトカゲの頭部を、健吾が大剣で受け止めていた。


「ぐぅっ……!」


「先輩!」


 杉本が横から飛び込み、頭部へ一撃を叩きつける。トカゲの首が逸れた。


「今です、走ってください!」


「翔太も引け!」


 三人が再び走り出す。それでも、足音は離れない。健吾の右腕では、もう長く受け止められない。このままでは、また追いつかれる。


 そのとき、達也の視界に、岩壁から伸びた太いツタが入った。


「ケンちゃん、あそこ!」


 健吾が一瞬だけ見る。ツタ。その先の岩場。


「分かった!」


「え!? 何がですか!?」


「翔太、こっち!」


「何するんです!?」


「いいから来い!」


 三人がツタのところへ駆け込む。達也は手袋を外し、ツタへ触れた。


「僕たちに巻きついて!」


「はぁ!?」


 太いツタが動き、達也の腰へ巻きつく。続いて健吾。さらに杉本。


「トマトさん!? 俺たち捕まってますけど!?」


「大丈夫です!」


「何がですか!?」


 背後から炎のトカゲが迫る。達也は前方の岩場を見た。


「引っ張って!」


「えっ――」


 グンッ!!


 三人の身体が、一気に地面から浮いた。



『飛んだ!!www』

『!?!?!?』

『三人まとめて飛んだwww』

『なんでwww』

『ワンコだけ何も分かってないw』

『面の人なんで即対応できてんだよwww』

『それ魔物捕まえるやつだろwww』



「えぇええええええええ!!??」


 杉本の絶叫が、三人と一緒に遠ざかっていく。そのまま岩場を飛び越えた。


 ドサッ!


「うわっ!」


 達也は勢いで数歩よろめく。


「たっちゃん、大丈夫か!?」


「大丈夫!」


「俺は全然大丈夫じゃないです! 今の何ですか!?」


「文句は後だ、走るぞ!」


「はいっ!」


 ボウッ!


 直後、先ほどまでいた場所を炎が舐めた。



『まだ来てる!』

『逃げろ!』

『今ので振り切れてないの!?』

『ワンコの声めっちゃ遠ざかってったw』

『笑ってる場合じゃねえ!』



 三人はそのまま走り続けた。しばらくして。


「いたぞ!」


 前方から声が飛んできた。岩の向こうから、三人の探索者が現れる。見覚えのある顔だった。達也の頭に、ミニトマトを育てると叫んでいた男が思い浮かぶ。


「お前ら!?」


 先頭の男が目を見開く。


「なんでツタで飛んでんだよ!?」


「今それ聞いてる場合ですか!?」


「塚本! 来るぞ!」


「分かってる!」


 後ろから飛んだ声に、塚本が炎のトカゲへ向き直る。


「寺岡、戸川! いくぞ!」


「おう!」


 三人が散った。


 バシャッ!


 戸川の放った水が、炎のトカゲへぶつかる。ジュッ、と白い蒸気が上がった。


「寺岡!」


 風が吹き抜ける。水が広がり、トカゲの身体へ叩きつけられた。背中の炎が揺らぐ。


「塚本!」


「見えてる!」


 塚本が横へ回り込み、トカゲの注意を引きつける。


「無理するな!」


 健吾が叫ぶ。


「分かってる! 怪我人連れてさっさと行け!」


 健吾は一瞬だけ三人を見た。


「……たっちゃん、翔太。行くぞ」


「うん!」


「はい!」


 達也たちは三人の横を抜け、そのまま走った。背後で、水音と風の音が響いた。



ーーー



 第四階層へ続く通路に近い場所まで戻ったところで、健吾が壁際へ腰を下ろした。


「先輩、腕……」


「動かすと響くな」


 杉本が焦げた袖を見る。そのとき、通路の向こうから複数の足音が近づいてきた。


「足立さん!」


「白石さん」


 白石が医療用の鞄を持って駆け寄ってくる。その後ろにも、救護のために来たJDA職員が続いていた。


「腕、見せてください」


「はい」


 白石は焼けた袖を避け、火傷を確認する。


「動かさないでください」


「はい」


 鞄から取り出したのは、植物由来の回復薬だった。火傷した部分へ、薄く塗り広げていく。


「これなら跡は残らないと思います。ただ、治るまで三日くらいは見てください」


「三日ですか」


「回復薬を使って、です。今日は右腕を使わないでください」


「分かりました」


「ふぅぅ……よかったぁ……」


 杉本が大きく息を吐いた。


「翔太、お前が治療受けたみたいになってるぞ」


「先輩があの腕で戦おうとするからでしょうが!」


「退路開かないと逃げられなかっただろ」


「そうですけど!」


 達也が健吾の腕を覗き込む。


「回復薬って、火傷にも使えるんだね」


「たっちゃん、回復薬何回も見てるだろ」


「傷に使うところは見たけど、火傷は初めて見たから」


「ああ、そっち」


 健吾が右手を軽く握る。


「まだ痛い?」


「さっきよりはマシ。でも、動かすと痛いな」


「だから動かさないでください」


「はい」


 しばらくして、通路の奥から、三人分の足音が近づいてきた。


「おい」


 先頭の男が片手を上げる。


「無事だったか?」


「ああ。大丈夫だ」


 健吾が右腕を軽く上げようとして――途中でやめた。


「そっちは?」


「倒した」


「水が効いたな」


 戸川が言う。


「炎が弱まれば、だいぶマシだった」


 寺岡も頷く。杉本が塚本を見た。


「塚本さんも火属性なんですね」


「ああ。あれ相手じゃ使いづらかったけどな」


「俺もです」


「だろうな」


「ですね」


 火属性同士で短く言葉を交わす。それ以上話す間もなく、複数の足音が近づいてきた。


「全員無事か!」


 坂口だった。瀬戸たち実働部隊も一緒だ。


「大丈夫です!」


 健吾が返す。坂口は全員を見回した。


「討伐したのは?」


「俺らです」


 塚本が答える。


「場所は?」


「あっちです。まだ消えてないと思います」


「瀬戸、急ぐぞ」


「了解」


 坂口たちはすぐに戦闘地点へ向かった。魔物は倒されれば、やがて魔素へと還って消える。確認できる時間は長くない。


「……先輩」


「ああ」


 遠ざかっていく坂口たちを見ながら、杉本が小さく声をかける。


「やっぱり、前のと同じですかね」


「まだ分からん。確認待ちだな」


 しばらくして、坂口たちが戻ってきた。


「確認できた」


 坂口が健吾たちを見る。


「フレイムゲーターだ」


「フレイムゲーター?」


 達也が聞き返す。


「ああ。第五階層で確認されてる種じゃない」


「……やっぱり」


 杉本が呟いた。健吾も黙って頷く。坂口が小さく息を吐いた。


「……またか」


「また?」


 達也が聞き返す。


「前にもあったんだよ。本来いるはずのない階層に、魔物が出たことが」


「いるはずのない……」


 達也は、来た道を振り返った。研究室へ持ち帰った、葉先の焦げた草。今日、第五階層で見つけた、同じような焦げ跡。そして、その近くに現れた炎をまとった魔物。


「……もしかして」


 あの炎なら、植物が焦げていてもおかしくない。原因だと決まったわけではない。それでも、研究室へ持ち帰った葉のことが、少しだけ繋がった気がした。






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