第三十話「知っている顔」
第三十話「知っている顔」
日曜日の昼前。達也は自動販売機で買った緑茶を片手に、植物研究室へ向かっていた。
廊下を歩いていると、少し先にある会議室の扉が開いた。
「ありがとうございました!」
聞き覚えのある声に、達也がそちらを見る。何人かの大人と一緒に部屋から出てきたのは、姫宮りぼんだった。今日は撮影のときのような衣装ではないようだ。
「あ」
りぼんも達也に気づいた。
「トマトさん!」
「こんにちは」
「こんにちは! お久しぶりです」
「お久しぶりです」
りぼんは一緒にいた人たちに一声かけてから、達也のところへやってきた。
「この前、見ましたよ」
「何をですか?」
「ツルの調査です。実働部隊の人までリボン振ってましたよね」
「ああ」
「ピンクの」
「ケンちゃんですね」
「面の人ですね」
「はい」
りぼんが笑った。
「私が巻きつかれたときの切り抜きはいっぱい出ましたけど、調査の方まで切り抜かれてましたね」
「あれも切り抜かれるんですか?」
「されますよ。面白かったら何でもされます」
「そうなんですね」
達也には、その基準がいまいち分からない。
「でも、ちゃんと調べてもらえてるんですね」
「まだ分からないことも多いみたいですけど」
「私以外の人にも巻きついたら危ないですもんね」
「そうですね」
りぼんは頷いた。
「そういえば、今日は撮影じゃないんですね」
「今日は打ち合わせです」
「打ち合わせ?」
「はい。スポーツウェアを作ってる会社が、探索者向けの服を作るんです。それで、今度コラボすることになって」
「探索者向けの服ですか」
「はい」
「前とはだいぶ違いますね」
「違いますね」
りぼんが苦笑する。
「あのときはヒールまで履いてましたから」
「途中で折れてましたね」
「折れました」
あの日のことは達也も覚えている。ヒールが折れ、衣装は泥で汚れ、最後にはツルに巻きつかれた。
「でも、あれがあったからだと思うんです」
「撮影がですか?」
「はい。探索するときの服って、可愛いだけじゃ駄目なんだなって」
「動きやすさとかも必要ですもんね」
「そうなんです。私、そういうの全然分からないので、詳しい人に教えてもらってるところなんです。実際に探索してる女性の方にも話を聞いてて」
「それなら、ちゃんと使える服になりそうですね」
「はい。そこはちゃんとしたいです」
りぼんは頷いた。
「最近、やりたいことが増えちゃって」
「忙しそうですね」
「大変ですよ」
そう言うわりに、声は明るかった。
「アイドルもやりたいし、探索服も作ってみたいし、他にもやってみたいこと、これから出てきそうですし」
「もっと忙しくなりますね」
「そうなんですよ!」
りぼんは笑った。
「でも、楽しいんですよね」
「それならいいですね」
「はい。分からないことは、教えてもらえばいいですから。詳しい人に教えてもらって、実際に使ってる人にも聞いて、ちゃんと覚えます」
「大変そうです」
「大丈夫です」
りぼんは胸を張った。
「私は可愛さ担当ですから!」
「そこなんですね」
「そこだけは任せてください!」
「はい」
「可愛さは譲れませんから!」
楽しそうに話すりぼんを見て、達也も笑った。
「どんな服になるか楽しみにしてます」
「はい! ちゃんと探索に使えて、すっごく可愛い服にします!」
そこで、りぼんがはっと待たせている人たちの方を見た。
「あ、そろそろ行かないと」
「はい。お疲れさまです」
「お疲れさまです!」
りぼんは手を振って、待っていた人たちのところへ戻っていった。
ーーー
植物研究室へ向かっていた達也は、廊下の向こうから歩いてくる三人を見つけた。
「あ」
三人も、ほとんど同時にこちらに気づいた。第四階層で会った、あの三人だった。
「……」
「……」
「……どうも」
達也が軽く頭を下げる。
「……どうも」
一人が返した。残りの二人も、少し遅れて頭を下げる。
そのまますれ違うのかと思ったが、三人は動かなかった。達也もなんとなく足を止める。
「……この前は、すみませんでした」
不意に、一人が口を開いた。第四階層では、ほとんど口を出していなかった男だった。
「俺も。止めなかったんで」
もう一人も頭を下げる。
「すみませんでした」
「いえ」
達也は答えた。
「僕は大丈夫です」
二人が少しだけほっとした顔をする。
残る一人は黙っていた。あの日、植物を踏み、達也を押した男だ。しばらくして、男は達也から視線を外したまま、ぼそりと言った。
「……悪かった」
「はい」
「……」
「……」
また静かになった。気まずい。たぶん、向こうも同じだ。
「あの」
一人が、沈黙に耐えきれなくなったように口を開いた。
「はい」
「あの後、色々聞いたんですけど」
「何をですか?」
「その……植物のこととか」
なぜか、そこで三人の視線が少し泳いだ。
「植物?」
「まあ、色々です」
「そうですか」
男はそれ以上は言わず、隣の仲間が腰に下げている灰色の杖を指した。
「これも、あんたが見つけた植物なんですよね」
「灰色の木ですね」
杖を持った男が、自分の腰元を見る。
「これ、試験用で支給されたやつなんですけど」
「そうなんですね」
「結構使いやすいんですよ。魔法の方向を決めるのが楽で」
「人によっては使いやすいみたいですね」
「……あんたは使わないんですか?」
「僕は植物に触るので、手が空いてる方がいいんです」
「そういう理由なんだ……」
男は灰色の杖を見下ろした。
「でも、これ見つけたの、あんたなんですよね?」
「見つけたというか、調べただけですよ」
「でも、それが杖になったんですよね?」
「杖にしたのは研究した人たちです」
「……」
三人が黙った。
「あと、最近話題になってる薬も」
「薬?」
「傷に使うやつです。植物から作ってるって」
「ああ」
「この前使いました。結構効きましたよ」
「そうなんですね」
「それも、あんたが見つけたんですよね?」
「植物は僕が採りましたけど、薬にしたのは製薬会社の人たちですよ」
「……」
また三人が黙った。
「いや……十分すごくないですか?」
「そうですか?」
「そうですよ」
三人は揃ってうんうんと頷いている。
「なんか、思ってたのと違うな、この人」
「俺も今それ思った」
「?」
達也には、やっぱりよく分からなかった。
「じゃあ、僕は研究室に行くので」
「あ、はい」
達也が三人の横を通り過ぎようとしたところで、杖を持った男が声を上げた。
「あ、そうだ」
「はい?」
「今度から、ダンジョンで植物見つけたら気をつけます」
「あ、それは助かります」
「……踏んだりもしないんで」
「はい?」
「いや。植物も大事なんだなって」
「そうですね」
達也が頷くと、なぜか三人とも少しだけ居心地悪そうな顔をした。
「知らない植物は危ないものもあるので、触らない方がいいですよ」
「……そっち?」
「はい。この前、キノコから痺れる液体が出ましたし」
「あの干し椎茸みたいになったやつか……」
三人が揃って微妙に顔を引いた。
「じゃあ、これで」
「あ、はい」
達也が軽く頭を下げ、三人の横を通り過ぎる。
「……おい」
後ろから声がした。振り返ると、あの日一番突っかかってきた男が立っていた。
「はい?」
男は少しだけ顎を上げた。
「俺、ベランダでミニトマト育て始めっからな!」
「……え?」
「なんで対抗してんだよ!」
「お前、そこ張り合うところじゃないだろ!」
両脇から同時に突っ込まれた。
「うるせえ! 土属性から勉強すんだよ!」
「ベランダのミニトマトに属性関係ねえだろ!」
「うるせえ!」
男は耳まで赤くしながら、二人を押すようにして廊下を歩いていった。
「待てって!」
「なんでお前が先に行くんだよ!」
三人の声が遠ざかっていく。達也はその背中をしばらく見送った。
「……ミニトマト、日当たりが良いといいな」
一人で頷いて、植物研究室の扉を開けた。
ーーー
植物研究室では、今日も机の上にいくつもの鉢が並んでいた。
「井上さん、こっちお願いします」
「はい」
呼ばれた机へ向かい、達也は手袋を外した。鉢の植物に触れ、伝わってくる感覚を確かめる。
「……前より、少し根の方が強い気がします」
「前より?」
「はい。ただ、何が原因かまでは分からないです」
「分かりました。こっちでも測ってみます」
研究員が記録を書き込む。達也もノートを開き、感じたことを書き足した。
「井上さん、次こっちもいいですか?」
「はい」
今度は別の机に呼ばれる。植物に触れ、感じたことを伝える。それを研究員が記録して、必要なら測定する。いつもの流れだった。
「ありがとうございます。今日はこれで大丈夫です」
「はい」
達也が手袋をつけ直していると、近くにいた研究員が笑いながら言った。
「井上さんも、そろそろこっちに来てくれたらいいのに」
「植物班ですか?」
「そうです。もう毎週のようにいるじゃないですか」
「でも、会社がありますからね」
「やっぱり辞めません?」
「辞めませんよ」
達也も笑って答えた。
「残念」
そのやり取りを聞いていた太田も笑う。
「諦めてください。井上さん、ちゃんと本業がありますから」
「分かってますよ。言ってみただけです」
「それならいいですけど」
「でも、来てくれたら助かるんですけどね」
「それは僕も思います」
「太田さんまで」
達也が笑う。
「まあ、今まで通りなら来られますから」
「じゃあ、来週もお願いします」
「はい。日曜日なら」
「結局、毎週いるんですよね」
「まあ、休みの日はだいたい来てますね」
「それなら十分です」
研究員が笑った。達也も笑って、ノートを鞄にしまった。
研究室を出る頃には、昼を少し過ぎていた。達也はそのまま食堂へ向かった。
ーーー
昼時のピークを過ぎた食堂には、まだ何人かの職員が残っていた。昼食を受け取り、空いている席を探していると、聞き慣れた声がした。
「たっちゃん、こっち」
見ると、健吾が片手を上げている。同じテーブルには坂口と瀬戸もいた。
「お疲れさまです」
「お疲れ」
達也は昼食を持って、空いていた席に座った。
「そういや、あのキノコの通路」
坂口がメンチカツを口に運びながら言った。
「普通に通れるようになったらしいぞ」
「本当ですか?」
「ああ。あれから戻ってくることもなくて、他の探索者も普通に使ってるってよ」
「よかったです」
達也はほっとした。
「切らずに小さくできたなら、あの痺れる汁も飛び散りませんし」
「あれは厄介だったな」
瀬戸が静かに頷く。
「風と光で乾燥させて小さくするとは思いませんでした」
「坂口さんが風を出して、ケンちゃんが光を出してくれたので」
「井上が乾燥を嫌がってるって分かったからだろ」
坂口がお茶を飲みながら言った。
「あれがなきゃ、普通に切ってた。助かったよ」
「役に立ったならよかったです」
「おう」
坂口はそれだけ言って、またメンチカツを口に運んだ。
「それより、あの汁は勘弁してほしいな」
坂口が嫌そうな顔をする。
「俺も嫌です」
健吾が頷いた。
「大剣で切ってたら、たぶん一番かぶってたし」
「ケンちゃん、前にいるもんね」
「そういう役だからな」
「痺れた場合は回収します」
瀬戸が淡々と言った。
「回収って」
健吾が苦笑すると、坂口が笑った。達也も笑いながら、昼食に箸をつける。
「そういえば、瀬戸さん」
「はい」
「この前の壁、助かりました」
「いえ。あれくらいなら」
瀬戸はそれだけ答えて、冷茶を一口飲んだ。
「また何かあれば呼んでください」
「はい。お願いします」
「植物でもキノコでも構いません」
「キノコも植物班が呼ばれるんですね」
「呼ばれてましたね」
「呼ばれてたな」
「呼ばれてたね」
三人から返ってきた。
「……そうですね」
達也も頷いた。何を担当しているのか、時々分からなくなる。
「たっちゃん、飯冷めるぞ」
「あ、うん」
達也は味噌汁を一口飲んだ。少しぬるくなっていた。
「まあ、何を担当してようが、必要になったらまた呼ぶからな」
坂口が最後のメンチカツを食べる。
「はい」
「じゃ、俺たちは午後から巡回行ってくる。お前らもゆっくり食えよ」
「お疲れさまです」
「お疲れさまです」
坂口と瀬戸が食器を持って席を立った。二人を見送って、達也はまた昼食に箸をつける。
「ケンちゃんは?」
「俺はもう少ししたら」
「そっか」
「たっちゃんは?」
「今日はもう帰るよ」
「じゃあ、途中まで一緒だな」
「うん」
健吾も昼食の続きを食べ始めた。向かいでご飯を食べている健吾を見ていると、ふと学生の頃を思い出した。
「何?」
「いや」
「なんだよ」
「昔もこうやって一緒にご飯食べてたなと思って」
「ああ」
健吾も少しだけ笑う。
「食ってるもんは大して変わってないけどな」
「そうだね」
「たっちゃん、昔からそういうの変わんないし」
「ケンちゃんもでしょ」
「俺は変わったよ」
「そうかな」
「変わったって」
達也は笑いながら、もう一口味噌汁を飲んだ。
「やっぱりぬるい」
「だから早く食えって」
「うん」
食べ終わったら、二人で途中まで帰る。そんなところも、昔とあまり変わっていなかった。
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