第二十四話「成長と判断」
第二十四話「成長と判断」
JDAの植物研究室には、大小さまざまな鉢がずらりと机に並んでいた。
「井上さん、こっちお願いします」
「はい」
達也は呼ばれた鉢へ手を伸ばし、葉にそっと触れた。指先から、植物親和を通して葉の内側の感覚がぼんやりと伝わってくる。
「……もう少し水が欲しいみたいです」
「こっちは?」
隣の鉢にも、同じように触れる。
「まだ大丈夫ですね」
「同じ日に水を与えてるんですけどね」
「少し違うみたいです」
研究員が手元の記録へ書き込んでいく。
鉢に植わっているのは、第三階層で採取された【橙色の実】。その種から発芽した株だった。自然光。植物育成用の人工光。健吾が作った光。別の光属性適性者が作った光。条件を分けて始まった栽培試験は、その後も続いている。どの株も今のところ大きな問題はなく、葉を増やし、茎を伸ばし、それぞれ順調に育っていた。
「七番、水分測ります」
「お願いします」
「葉の枚数も増えてますね」
「昨日開いたやつじゃない?」
「あ、これか」
研究員たちが鉢の間を忙しなく行き来する。達也はその横を通り過ぎた。
「井上さん」
「はい」
「今週の記録、いただけます?」
「持ってきました」
鞄から栽培ノートを取り出し、研究班から渡されている記録機材のデータも一緒に提出する。自宅で育て始めてから、毎週欠かさず続けている作業だった。
達也は平日、会社へ行っている。毎日研究室へ通うことはできない。そのため株を一つだけ自宅へ持ち帰り、朝や帰宅後に状態を確認していた。鉢のそばには温度と湿度の分かる計器を置き、定点で記録する。水を与えた量、光の状態、葉や茎の変化。植物親和で感じたことも、すべて栽培ノートに書き留めてある。
健吾が作った光球は三日ほどで消えるため、以前は研究班へ受け取りに行っていたが、今では新しいものが宅配で自宅へ届けられるようになっていた。
「それと、鉢も持ってきてます」
「お願いします」
達也は研究室の入口近くに置いていた台車を押してきた。その上には、大きな鉢が一つ載っている。
「やっぱり大きくなりましたね」
「最近、持ってくるのが大変になってきました」
「もう台車じゃないと厳しいですね」
「持てなくはないんですけど」
「落としたら困るので台車でお願いします」
「はい」
台車から鉢を下ろし、研究室の株の隣に並べる。違いは一目で分かった。達也の株の方が大きい。葉の数も多く、茎もしっかりしている。以前から少し成長が早いことは分かっていたが、その差は週を追うごとに少しずつ広がっていた。
「今週も伸びてますね」
「はい」
「記録と合わせても、やっぱり一番成長が早いです」
「なんででしょう?」
「それを調べてるところです」
「ああ」
達也は納得して頷いた。
「ちょっと失礼します」
別の研究員が株へ近づき、葉の枚数を数え、茎の太さを測る。
「先週より太くなってます」
「高さは?」
「こっちも伸びてます」
「記録お願いします」
「はい」
その横で、太田が葉の間を覗き込んだ。何かに気づいたように、ふと動きが止まる。
「……ん?」
「どうしました?」
「井上さん、これ」
手招きされて、達也も覗き込む。葉の付け根に、今までとは少し違う小さな膨らみがあった。
「新しい葉ですか?」
「いや……」
太田がさらに顔を近づける。
「花芽っぽいですね」
「花?」
その一言で、近くにいた研究員たちが一斉に振り返った。
「花芽?」
「どこです?」
「ここ」
「あ、本当だ」
「まだ断定はできませんけど」
「他の株は?」
「見てきます」
研究員たちが、弾かれたように鉢の間へ散っていく。
「一番は?」
「ありません」
「二番もなし」
「三番、葉芽だけです」
「こっちもないです」
「光属性群は?」
「今確認してます」
しばらくして、研究員の一人が顔を上げた。
「……今のところ、井上さんの株だけですね」
「早いな」
「成長そのものが一段先ですからね」
「今週の記録、もう一度見ましょう」
「水量も確認したいです」
「光の位置も」
太田がモニターの方へ向かう。
「井上さんもいいですか?」
「はい」
ーーー
モニターには、達也の部屋の窓際が映し出されていた。鉢と、温度と湿度を表示する計器。その上には、健吾が作った小さな光球がふわりと浮かんでいる。
「月曜日からいきます」
朝の映像だった。画面の中の達也が鉢の前にしゃがみ、葉に触れる。しばらくそうしてから立ち上がり、そのまま画面の外へ消えていった。
「水なし」
「はい。まだいらなかったので」
「記録もそうなってます」
翌朝。また達也が葉に触れ、今度は水差しを持って戻ってくる。
「百ミリリットル」
「はい」
「その日の夜」
帰宅した達也が、また葉に触れていた。少しして、光球の位置を動かす。
「ここですね」
「何かありました?」
「もう少し光が欲しそうだったので」
「翌朝には?」
「そのままでよさそうでした」
映像はさらに進んでいく。水を与えない日。少しだけ鉢の向きを変えた日。葉を確認しただけの日。その一つ一つは、これまでにも研究班が確認してきたものだった。
「今週だけ、特別なことをしたわけではないですね」
「はい」
「温度と湿度も大きな変化なし」
「日照も先週と大差ありません」
「水量も極端には変わってない」
「となると、水や光だけでは説明できないか」
「自宅と研究室で環境そのものが違いますからね」
「井上さんは個体の状態を見て、水やりのタイミングも変えてますし」
「光の位置も変えてる」
「植物親和の影響も切れません」
「触れていること自体も条件ですね」
「項目増やします?」
「増やしましょう」
「葉の数は今までより細かく」
「茎の太さも」
「枝分かれも記録した方がいいですね」
「根も見たいな」
「抜いたら駄目ですよ」
「抜きませんよ」
「非破壊で見られないか確認してきます」
話が次々と進んでいく。達也には分からない話も増えてきたので、研究員たちのやり取りを聞きながら、近くの鉢を順番に見ていく。先ほど触れた七番の鉢にも、もう一度手を伸ばした。
「あ」
「どうしました?」
「これ、さっきより水欲しがってます」
「七番?」
「はい」
「測ります」
「こっちもお願いします」
研究員たちがまた動き出す。慌ただしい気配の中で、達也は自分の株へ視線を戻した。
大きくなった、と思う。最初は小さな鉢に収まっていた株が、今では台車がなければ運ぶのも面倒なほどになっている。
「太田さん」
「はい?」
「これ、もっと大きくなりますよね」
「おそらく」
「どうしましょう」
「ああ……」
太田も株を見る。
「井上さんのところで育てるのは、そろそろ大変ですか?」
「置けなくはないですけど、このまま伸びたら困ります」
「研究室へ戻します?」
「そうすると、今までみたいには見られないです」
「ですよね」
「剪定しますか」
近くにいた研究員が言った。
「切って大丈夫ですか?」
「そこも含めて確認しながらですね」
太田が頷く。
「どのみち、栽培を続けるなら大きさを管理する方法は必要になるでしょうし」
「なるほど」
「ただし」
研究員が、研究室に並んだ株を見渡した。
「剪定したら、ここから先は単純には比べられなくなりますね」
「切るから?」
「はい。枝を切れば、その影響も出ます」
達也も並んだ株へ目をやる。
「じゃあ、こっちも切る?」
「いえ」
太田が首を振った。
「研究室の株は、このまま育てましょう」
「僕のだけ?」
「はい」
太田は少し考えてから続ける。
「ここまでの違いは、今まで通り記録しておきます。その上で、井上さんの株は、自宅で観察を続けられて、定期的にこちらへ運べる大きさに維持する」
「研究室のは?」
「今まで通りです」
「分けるんですね」
「そうしましょう」
研究員が記録へ書き込んだ。研究室の株は、これまで通り。達也の株は、持ち運べる大きさを保ちながら育てる。決まったのは、それだけだった。
「じゃあ、どこ切るか決めましょう」
「はい」
「花芽らしきところは残したいですね」
「そこは残しましょう」
「井上さん、切る前と切った後、触ってもらえます?」
「分かりました」
研究員たちが株を囲み、額を寄せ合う。
「高さはこのくらいまでにしたいですね」
「でも、ここで切ると枝が――」
「こっちを残した方がいいんじゃない?」
「写真撮ってからにしてください」
「測定も先です」
「あ、そうだった」
達也は少し離れたところから、そのやり取りを眺めていた。
やがて剪定する場所が決まり、枝が一本ずつ切り落とされていく。最後の一本が切り終わると、研究員が振り返った。
「井上さん、お願いします」
「はい」
達也は葉に触れた。指先に伝わってきたのは、少し驚いているような気配。けれど、嫌がっている感じではない。
「……大丈夫そうです」
「弱ってる感じは?」
「今のところはないです」
「記録します」
研究員が書き込む。達也は、少し小さくなった株を見つめた。
「これなら、まだ台車で運べますね」
「しばらくは」
「また大きくなったら?」
「そのとき考えましょう」
「分かりました」
達也は頷いた。
ーーー
植物研究室を出た達也は、台車を押しながら廊下を歩いていた。台車の上には、剪定を終えた【橙色の実】の株が載っている。
訓練場へ行く曲がり角から、見覚えのある女性が姿を現した。
「あ! 井上さん!」
こちらへ走り寄ってくる。
「こんにちは!」
「花村さん」
花村幸だった。
「訓練?」
「はい。今終わったところです!」
「お疲れさま」
「ありがとうございます!」
そう答えた花村の視線が、台車の上へ落ちる。
「……それ、何ですか?」
「これ?」
「はい」
「橙色の実」
「…………」
花村が株を見て、達也を見て、もう一度株を見た。
「え?」
「前に採ったやつ」
「えっ?」
「種から育ててる」
「えっ!?」
花村が台車へ駆け寄る。
「これ、あの橙色の実ですか!?」
「うん」
「配信で見た!?」
「たぶんそれ」
「すごい!」
花村が身を乗り出して株を覗き込んだ。
「こんなに大きくなったんですか!?」
「育ったよ」
「ダンジョンの外で!?」
「うん」
「すごい……!」
花村の目がきらきらと輝いている。
「触ってもいいですか?」
「いいけど、優しくね」
「はい!」
花村は両手で包むようにして、そっと葉に触れた。
「本物だ……」
「本物だよ」
「すごい……」
葉を見て、茎を見て、また葉を見る。
「実は!?」
「まだないよ」
「あ」
「今は育ててる途中」
「そうですよね」
花村が少しだけ恥ずかしそうに肩をすくめる。
「でも、花が出そうなんだって」
「花!?」
「まだ花芽らしいって段階だけどね」
花村がもう一度、葉の間を覗き込んだ。
「どこですか?」
「この辺」
「これ?」
「たぶん」
「小さい……」
花村は顔を近づけたまま、しばらくそれを眺める。
「じゃあ、本当にここで実ができるかもしれないんですね」
「うん。できたらいいね」
「すごい……」
「研究室のも育ってるけどね」
「でも、これは井上さんが家で育ててるんですよね?」
「見てるのは僕だね」
「すごい……!」
「そんなに?」
「そんなにです!」
即答だった。
「だって、あのときダンジョンに生えてたものですよ!」
「うん」
「それが、今ここで育ってるんですよ!?」
「育ってるね」
「やっぱりすごいですよ!」
「……そっか」
ここまで真っ直ぐに言われると、少しだけ嬉しかった。
「実ができたら教えるよ」
「本当ですか!?」
「うん」
「ありがとうございます!」
花村がぱっと笑った。そのままもう一度、名残惜しそうに葉を眺める。けれど、ふと何かを思い出したように表情が変わった。
「あの……井上さん」
「ん?」
さっきまでの勢いが少しだけなくなっていた。
「この前の配信、大丈夫でしたか?」
「この前?」
「コメントのことで、ちょっと困ってませんでした?」
「ああ」
達也にもすぐに思い当たることがあった。
「見てたんだ」
「見てました」
「最初は助かったんだよね」
「植物を見つけてもらってたやつですよね?」
「うん。自分で気づかなかった植物を教えてもらえたし」
「はい」
「でも、そのうち『右に行って』とか『戻って』とか増えてきて」
「やっぱり」
「花村さんも、ああいうことある?」
「ありますよ」
「どうしてる?」
「全部は聞かないです」
「そうなんだ」
「全部聞いてたら無理ですよ」
花村は小さく笑った。
「右って言う人もいますし、左って言う人もいますし、戻ってって言う人もいますし」
「ああ」
「全部聞いてたら、その場から動けなくなります」
「確かに」
「私は、情報として見るくらいです」
「情報?」
「はい。『あそこに何かあった』って言われたら、あったかもしれないって覚えておく。でも、行くかどうかは自分で決めます」
「なるほど」
「危なそうなら行かないですし、今やってることがあったら、そっちを優先します」
「それでいいんだ」
「いいんですよ」
花村がはっきりと頷く。
「井上さんの配信なんですから」
「僕の配信……」
「はい」
達也は少し考え込んだ。
「この前も、似たようなことコメントで言われたな」
「ああ、ありましたね」
「行くかどうかは僕が決めればいいって」
「はい。私もそう思います」
「そっか」
達也は頷いた。
「花村さん、詳しいね」
「井上さんよりはSNS見てると思います」
「それはそうだと思う」
「即答ですね」
「僕、あんまり見ないから」
「知ってます」
「知ってるんだ」
「配信見てれば分かります」
「そうなの?」
「そうなんです」
花村がくすくすと笑う。
「あと、コメントを見すぎない方がいいですよ」
「見すぎない?」
「はい。見てると、全部応えないといけない気がしてくるので」
「ああ……」
「コメントしてる人だって、『絶対そこに行け』って意味で書いてる人ばかりじゃないと思います」
「教えてくれてるだけ?」
「そうです。見つけたから書いただけとか」
「なるほど」
「拾えそうなら拾う。無理ならそのまま。それくらいでいいと思いますよ」
「そっか」
達也は少し考えた。植物を見るときも、気になるものすべてを持ち帰るわけではない。分からないものは書き留める。必要なら戻る。今見るべきものがあるなら、そちらを見る。それと同じことなのかもしれなかった。
「……分かった」
「よかったです」
「ありがとう」
「いえ!」
花村の返事は、またいつもの調子に戻っていた。
「あ、私そろそろ行かないと」
「何かあるの?」
「このあと友達と会う約束してるんです」
「そっか」
「はい!」
花村が数歩進み、そこで足を止めて振り返った。
「井上さん!」
「なに?」
「実ができるといいですね!」
「うん」
「私も楽しみにしてます!」
花村は嬉しそうに頭を下げると、そのまま廊下の先へ歩いていった。達也はその背中を見送る。
「……そんなに楽しみなんだ」
ふっと息をつき、台車へ目を落とした。剪定されて、少し小さくなった株。葉の間には、まだ小さな花芽らしきものが残っている。育て方は少し変わった。それで何が変わるのかは、まだ分からない。
「帰ろうか」
返事はない。当たり前だった。
達也は台車を押し、そのまま廊下を歩いていった。
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