第二十話「使われ始めたもの」
第二十話「使われ始めたもの」
JDAの訓練場に、聞き覚えのある声が響いた。
「――火の矢!」
細長い炎が、まっすぐ前へ飛んでいく。数メートル先に置かれた標的の横をかすめ、そのまま地面へ落ちた。
「あっ」
「惜しいですね。もう少しだけ、先端を内側へ」
「はい!」
達也は足を止めた。今日は健吾と合流してから第三階層へ入る予定だった。少し早く着いたため、訓練が終わるまで待とうと思っていたのだが。
「もう一度いきます!」
その声に、達也は訓練場へ目を向けた。どこかで聞いたことがある。
並んで訓練する適性者たちの向こうで、一人の女性が標的の前に立っていた。腰には西洋剣。その立ち姿にも、見覚えがある。
「あれ?」
達也が目を細める。以前、第三階層で出会った火属性の適性者だった。
ただ、一つだけ前に見た姿とは違っていた。彼女の右手に握られているのは、西洋剣ではない。一本の細長い木の棒だった。灰色がかった木肌。表面は滑らかに加工され、握る部分だけが少し細く整えられている。
今度は、それを見て達也の目が止まった。
「……杖だ」
「井上さん」
横から声をかけられ、達也が振り返る。
「あ、内田さん」
JDA現場運用部の班長、内田誠司だった。達也が初めてここで訓練を受けたときから、適性者たちの指導にあたっている。
「今日は調査ですか?」
「はい。足立を待っています」
「彼なら、もう少しかかると思いますよ」
「そうですか」
達也は再び訓練場を見る。彼女が杖を構え直していた。
「杖、使うようになったんですね」
「ええ。まだ全員というわけではありませんが」
内田もそちらを見る。
「魔法を主に使う人たちには、かなり評判がいいですよ。出力が上がるわけではありませんが、方向を定めやすいそうです」
「研究室でも、そう言ってましたね」
「井上さんは使わないんですか?」
「僕も一度、勧められたんですけど」
「合いませんでした?」
「いえ。片手が塞がるので」
「ああ」
「植物を触るのに邪魔なんです」
内田は一度だけ瞬きをした。それから小さく笑った。
「井上さんらしいですね」
訓練場では、彼女が杖の先を標的へ向けている。
「形を意識してください」
指導役の職員が言った。
「細く。前へ飛ばす形です」
「はい」
「発声も使ってみましょう」
彼女が小さく息を吸った。
「――火の矢!」
杖の先に炎が生まれた。先ほどより細い。炎は一本の線のように飛び、今度は標的の端へ当たった。
「当たった!」
「はい。今の感覚を覚えてください。発声はあくまで補助です。言葉そのものに効果があるわけではありません」
「はい!」
彼女が嬉しそうに杖を見る。達也もその光景を眺めた。
「……魔法使いみたいですね」
「魔法使いですよ」
「そうなんですけど」
杖を持って。魔法の名前を口にして。その先から炎が飛んでいく。二年前なら、漫画かゲームの中でしか見なかった光景だった。
「井上さん?」
「あ、いえ」
達也は少し考える。
「最初、木刀でしたよね」
内田が一瞬黙った。それから、懐かしそうに訓練場を見る。
「……そうでしたね」
「僕、全然振れませんでした」
「覚えています」
「やっぱり覚えてるんですね」
「かなり危なかったですから」
「すみません」
「謝らなくても大丈夫ですよ」
そのとき、訓練場の方から「あ!」と声が上がった。
彼女がこちらを見ていた。目が合う。彼女は一度口を開きかけて、閉じた。それから杖を握ったまま、こちらへ駆けてくる。達也の肩が、ほんの少しだけ固まった。
「えっと……お久しぶりです!」
「……お久しぶりです」
少しだけ間があった。彼女が何か言いかけて、困ったように眉を下げる。
「あの、すみません。前に助けていただいたのに、私、お名前も聞いてなくて」
「あ」
言われてみれば、そうだった。あの日、彼女の前で呼び合っていたのは「たっちゃん」と「ケンちゃん」だけだ。
「……配信の方の呼び方で呼ぶわけにもいかないので」
彼女が少し声を落として付け足す。前に会ったとき、知られてしまった。自分が、トマトの人だと。
「井上です。井上達也」
「井上さん! 私、花村幸です。あのときは本当にありがとうございました」
「花村さん。……怪我、大丈夫でした?」
「はい! ちゃんと診てもらいました。手首もすぐ良くなりました」
「よかった」
「今日は来られてたんですね!」
「はい。一緒に潜ってる人を待ってて」
「このあとダンジョンですか?」
「その予定です」
「そうですか!」
花村の顔がさらに明るくなる。達也は少しだけ視線を逸らした。
花村はそんな達也の様子には構わず、手にしていた杖を見せる。
「私、これも使わせてもらってるんです」
「さっき使ってましたね。杖、どうです?」
「まだ慣れてないんですけど、前に飛ばすのは少しやりやすい気がして」
「へぇ」
花村の腰には、いつもの西洋剣がある。剣を使う。火も使う。必要なら杖も使う。まだ、どれが一番いいのか決まっているわけではないらしい。
「たっちゃん」
後ろから声がした。振り返ると、訓練を終えた健吾が歩いてきていた。
「ケンちゃん」
「待たせたな」
「ううん」
花村が健吾へ向き直り、ぺこりと頭を下げる。
「あの、お久しぶりです! 先日は本当にありがとうございました」
「おう、久しぶり。手首はもういいのか?」
「はい!」
「ケンちゃん、こちら花村さん」
達也が言うと、健吾は「ああ」と頷いた。
「足立だ。足立健吾」
「足立さん。花村幸です、よろしくお願いします」
花村は手にしていた杖を見てから、健吾を見る。
「足立さんも、これ試されたんですか?」
「一度だけな」
「どうでした?」
「俺は変わらなかったな」
「えっ! そうなんですか?」
「ああ。光を出す前に、どう出すかは大体決めてるからな。あってもなくても同じだった」
「……なるほど! 出す前のイメージなんですね!」
「まあ、そんな感じだな」
花村は手の中の杖を見る。
「私は……まだ、杖があった方がイメージしやすいかも……」
「なら、使えばいいんじゃないか?」
「……はい! もう少し使ってみます!」
その直後、訓練場の向こうから声が飛んでくる。
「花村さん、次いきますよ!」
「あ、はい!」
花村が慌てて訓練場へ戻っていく。腰には、これまで使ってきた西洋剣。右手には、まだ使い始めたばかりの灰色の杖。
標的の前まで戻ると、花村は杖を構えた。すぐには撃たない。杖の先を標的へ向けたまま、ほんの少しだけ目を細める。細く。前へ。まっすぐ飛んでいく形。先ほど教えられたことに、今聞いた健吾の言葉を重ねる。
「――火の矢!」
杖の先から炎が飛び出した。先ほどまでより、少しだけ細い。まだ綺麗な矢の形とは言えない。それでも炎は大きく逸れることなく飛び、標的の中央近くへ当たった。
「あっ、当たった!」
花村の声が弾む。
「おお」
達也も小さく声を上げる。
「上手くなってるね」
「まだ始めたばっかりだろ」
「でも、さっきより細くなってない?」
「まあな」
健吾は標的の方を見る。
「ちゃんとイメージしたんだろ」
「なるほど」
「なんでお前まで納得してるんだ」
「見てたから?」
「そのままだな」
内田が小さく笑った。
「じゃ、行くか」
健吾が言う。
「うん」
達也は内田へ頭を下げる。
「行ってきます」
「気をつけて」
二人が歩き出す。その背後で、もう一度、花村の声が響いた。
「――火の矢!」
達也は一度だけ振り返る。西洋剣を腰に下げた花村が、灰色の杖を標的へ向けていた。その先から、さっきよりも少しだけ細い炎が伸びていた。
ーーー
ダンジョンへ向かう前。
「井上さん」
後ろから呼ばれ、達也が振り返った。
「あ、太田さん」
「ちょうどよかったです」
「どうしたんですか?」
「橙色の実の方で、少し」
「あ」
太田に連れられ、達也と健吾は植物研究室へ向かった。研究室の一角。並べられた鉢の中から、小さな芽が伸びている。
「こっちも大きくなってますね」
「ええ。今のところ、どの条件でも問題なく育っています」
自然光。植物育成用の人工光。健吾の光。別の光属性適性者が作った光。発芽した苗は、それぞれの条件で育てられている。
「まだ差はほとんどありません」
「へえ、光の種類が違っても同じなんですね」
「今のところはですが。ところで井上さんの方は?」
「こっちも同じで、順調ですよ」
達也は鞄から一冊のノートを取り出した。ダンジョンで使っているものとは別の、栽培用のノート。ページを開く。
「葉が少し大きくなってます。昨日の夜に八十ミリリットル。今朝はまだいらなそうだったので、水はあげてません」
太田がノートを覗き込む。日付。水の量。置いている場所。光。葉の大きさ。触れたときに感じたこと。そして、そのとき何をしたか。
「細かくなってきましたね」
「毎日見てるので」
「映像の方は?」
「撮れてますよ」
達也の家では、鉢のそばに固定式のカメラを置いている。配信用ではない。発芽してから葉が開くまで。水を与えたあと。光を交換したあと。達也が見ていない間の変化も確認できるよう、栽培記録として撮影していた。
「ノートと一緒に見れば、かなり追えそうですね」
「僕が見てない間も残りますしね」
「ええ。それが助かります」
太田がページをめくる。
「もう少し溜まったら、これもコピーをいただいていいですか?」
「いいですよ」
いつもの軽い返事に、太田が目尻を下げて笑った。
「ありがとうございます」
「映像もその時でいいですかね?」
「お願いします」
「分かりました」
達也はノートを閉じる。研究室の鉢を見る。まだ小さい。実がなるどころか、葉も数枚しかない。
「こっちは、まだまだですが」
「植物ですから」
「ですね」
急かしても仕方がない。そのとき、研究室の奥に置かれた容器が目に入る。透明な容器の中に、紫色の斑点がある草が入っていた。
「あれは……」
「紫斑の草です」
「前より厳重ですね」
「白い液の扱いについて、ある程度手順が決まりましたから」
太田が答える。
「採取時は手袋。茎を傷つけない。切断が必要な場合は液に直接触れない。採取後は密閉容器へ。今はその形で統一しています」
「へえ」
達也は容器を見る。以前は、触れてみなければ何があるのか分からなかった草だった。今は、採るための方法が決まっている。
「薬とかになるんですか?」
「そこまではまだ何とも」
「そうですか」
達也はもう一度、容器を見た。
「そういえば」
太田が研究室の奥を見る。
「千葉さんが、井上さんが来たら呼んでほしいと言ってました」
「千葉さんが?」
「ええ」
「何かありました?」
「さあ」
太田が少しだけ笑う。
「ただ、最近ずっと楽しそうですよ」
「研究が?」
「研究が」
達也と健吾は顔を見合わせた。
ーーー
魔法運用研究班の研究室。達也は、机の上に置かれているものを見た。黒い石。乾燥させ、処理された青い花の根。そして、灰色の木。
「……この前の三つ」
「覚えてましたか」
「はい」
以前は、ただ同じ机の上に並べられていただけだった。今回は違う。黒い石に、処理された根が触れている。その先が灰色の木へ接続され、いくつもの器具で固定されていた。細い線。留め具。測定用の機器。見た目だけなら、杖というより工作途中の何かに近い。
「やっぱり、何か考えてたんですね」
千葉は少しだけ笑った。
「まずは、つないだらどうなるのかを試しています」
千葉が黒い石を示す。
「この石には、あらかじめ魔力を入れてあります。ここから根を通して魔力を取り出し、その先の灰色の木まで流せるか。それを確認します」
達也は装置を見る。
「三つまとめて?」
「ええ。個別の性質はある程度確認できましたから、今度は組み合わせた場合です」
千葉が研究員へ合図した。
「始めます」
測定機器が動き始める。黒い石側の数値。根の周辺。灰色の木。いくつもの表示が変化していく。
「石側、低下しています」
研究員が言う。
「根の周辺、反応あり」
千葉は表示から目を離さない。
「木側は?」
「……来ています」
「先端」
「少し待ってください」
達也も灰色の木の先を見る。そこには小さな測定器が取り付けられていた。
数秒。灰色の木の先端で、何かがちらりと瞬いた。
「あ」
達也が声を漏らす。ほんの一瞬だった。光だったのかどうかも、はっきりとは分からない。直後、測定器の表示が動く。
「反応あり」
「今、光りました?」
「見えましたか」
千葉は先端と測定器を交互に見る。
「通った?」
「少なくとも、石の魔力が減少し、根と灰色の木を経由した先でも反応が出ています」
千葉が答える。
「ただ、今の発光が魔力の移動によるものかは別に確認が必要ですね。本当に想定した経路だけを通ったのか、途中で別の影響が出ていないかも含めて、これから確認します。根を外した場合、灰色の木を別の素材にした場合、接触の仕方を変えた場合――比較する条件はまだあります」
「まだいっぱいありますね」
「いっぱいあります」
達也は装置を見る。黒い石。青い花の根。灰色の木。三つの間を、目には見えない何かが移っている。
「……地味ですね」
「井上さん」
「はい」
「私もそう思います」
「千葉さんも?」
「でも」
千葉は笑っていた。
「面白いでしょう?」
達也はもう一度、机を見る。
「面白いですね」
「ですよね」
健吾は少し離れた場所から装置を眺めていた。
「それ、何に使えるんです?」
「それも、これからですね」
「なるほど」
千葉は頷いた。
「今は、通せるかどうかを確認している段階ですから」
達也には、その言葉が妙に馴染んだ。何に使えるか分からない。だから調べる。植物を見つけたときと、あまり変わらない。
「あ」
達也が思い出す。
「そういえば、光の箱は?」
「検証中です」
「まだやってるんですか」
「もちろんです」
千葉が即答した。
「箱の材質、大きさ、密閉状態、移動距離、移動速度。まだ条件が残っています」
健吾の顔が少し引きつった。
「……まだ作るんですか?」
「お願いします」
「……やっぱりか」
「足立さんの光が、一番条件を揃えやすいので」
千葉がさらりと言う。
「ケンちゃん、上手くなったもんね」
「誰のせいだと思ってる」
「千葉さん?」
「半分くらいお前だよ」
「そう?」
「最初に光で植物育てようって言ったの誰だよ」
「ああ」
達也は納得した。
「じゃあ僕だね」
「納得すんな」
千葉が笑う。机の上では、研究員が次の条件を準備している。黒い石。青い花の根。灰色の木。まだ、この組み合わせに名前はない。何に使えるのかも分からない。
ただ、前より一つだけ分かったことが増えていた。
ーーー
第三階層。午後から予定通り、達也と健吾は林地を歩いていた。木々の間を進みながら、達也は足元を見る。見覚えのある草。以前調べた低木。木を這う蔓。少し前までなら、どれも名前すらなかったものだ。今も、正式な名前がないものは多い。
それでも。触れ方が決まったものがある。採り方が決まったものがある。育て始めたものがある。加工されて、誰かの手に握られ始めたものもある。
「たっちゃん、前」
「ん?」
顔を上げると、目の前に木があった。
「あぶな」
「草ばっか見てるからだ」
「ごめん」
達也は木を避け、健吾の後を追う。
「何ぼーっとしてんだ?」
「ちょっと考え事」
「また研究室のことか?」
「それもあるけど」
達也は少しだけ振り返った。さっき通り過ぎた草が、木々の間に小さく見えている。
「前に見たときは、分からないことばっかりだったなって」
「今もだろ」
「まあね」
「増えてるしな」
「それもそうだね」
健吾が先を歩く。達也もその後を追おうとして、止まった。トマトの頭頂部にあるヘタが、ぴくりと横へ傾く。
「……ケンちゃん」
「今度はなんだ」
「これ」
達也が道の脇を見る。低い草の間に、小さな葉が何枚か重なるように生えている。見覚えがない。
「前に見たっけ」
「俺に聞くな」
「だよね」
達也はしゃがみ込み、手袋を外した。100均ノートを取り出し、膝の上で開く。
『止まった』
『草だな』
『草だ』
『今日も通常運転』
『トマトの人がしゃがんだぞ』
『新しいやつ?』
『面の人の諦めが早いw』
「たっちゃん」
「ちょっと待って」
「分かってる」
健吾は大剣を持ったまま、周囲へ視線を向けた。達也は小さな葉へ、そっと指先を触れる。水。土。光。そして、その奥にある、まだ言葉にならない感覚。
「……へえ」
トマトのヘタが、ぴんと立った。
達也はノートの新しいページを開く。
今日もまた、分からないものが、一つ増えた。
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