第十九話「光と発芽」
第十九話「光と発芽」
JDAの研究室。机の上には、小さな鉢がいくつか並んでいた。中に植えられているのは、第三階層で採取した【橙色の実】の種だ。安全性の確認を終え、試食にも使われた実から取り出したものだった。
達也の手には、側面に目盛りのついた透明な水差しがある。細い注ぎ口から水を注ぎながら、植物親和で様子を確かめる。やがて、達也は水差しを戻した。
「このくらいですね」
太田が水差しの目盛りを確認する。
「百二十ミリリットル」
手元の記録へ書き込んだ。
「こうして残していけば、井上さんが感覚で調整している部分も、少しずつ数字にできますね」
「ああ、なるほど」
達也も透明な水差しを見る。自分には、これくらいでいいと分かる。けれど、それだけでは他の人には分からない。
「じゃあ、これからも量を残した方がいいですね」
「お願いします」
達也は水差しを置く。その隣には、一冊の新しいノートがあった。いつもダンジョンへ持っていく植物の観察ノートではない。今回の栽培を始めるために、別に用意したものだ。
「新しいノートですか?」
「はい」
「いつものではなく?」
「あっちは、ダンジョンで見つけた植物のことを書いてるので」
達也は新しいノートを開いた。
「育てる方は、別にしようかなって」
「栽培記録ですね」
「そんな感じです」
最初のページの一番上に、達也は【橙色の実】と書いた。その下へ、種を植えた日、使った土、最初に与えた水――百二十ミリリットル――を書いていく。
達也はペンを置き、もう一度鉢を見る。まだ種を植えただけだ。土しか見えない。
「井上さん」
「はい」
「楽しそうですね」
「……そうですか?」
「はい」
太田は即答した。達也はもう一度、鉢を見る。
「育つといいなと思って」
「まずは発芽するか、ですね」
「はい」
第三階層の木になっていた橙色の実。その種が、ダンジョンの外でも芽を出すのか。どんな土を好むのか。どれくらい水が必要なのか。どんな光を好むのか。まだ、何も分からない。
「光の条件も分けておきましょう」
太田が鉢を見ながら言った。
「光ですか?」
「ええ。自然光と、植物育成用のLED。まずはその二つで比較してみようかと」
「なるほど」
達也も鉢を見る。光。そこで、ふと思い浮かんだ。
「……ケンちゃんの光は?」
太田が達也を見る。
「足立さんの?」
「はい」
今度は二人で鉢を見る。
「植物に当てたら、どうなるんですかね」
「……」
太田は少し考えた。
「それは試したことがありませんね」
「ケンちゃんも、植物には使ったことないと思います」
これまで健吾が光を使うところは何度も見ている。暗い場所を照らす。強く光らせて魔物の視界を奪う。剣にまとわせる。だが、その光を植物へ向けたことはなかった。
「普通の光と同じなのかも分からないですけど」
「自然光、LED、足立さんの光……」
太田が呟く。そして頷いた。
「比較してみるのは面白そうですね」
「じゃあ、ケンちゃんにも頼みます?」
「ええ。協力をお願いしてみましょう」
ーーー
後日。
「……それで俺が呼ばれたの?」
「うん」
JDAの研究室。健吾は、机の上に並んだ鉢を見下ろしていた。今日は実働部隊の勤務日ではない。つまり、休みだった。
「足立さん、お休みのところ申し訳ありません」
「いや、それはいいんですけど」
健吾が鉢を見る。
「今日はダンジョンじゃないんだよな?」
「うん」
「護衛でもない」
「違うよ」
「魔物も出ない」
「研究室だからね」
「……じゃあ俺、何しに来たの?」
「光を出していただこうかと」
「……光?」
「はい」
太田が一つの鉢を示した。
「この種の栽培に使えるか試してみたいんです」
健吾が鉢を見る。
「植物に?」
「植物に」
「俺の?」
「ケンちゃんの」
「……なんで?」
「自然光とLEDで育てる予定だったんだけど」
達也が答える。
「ケンちゃんも光出せるなと思って」
「それで休みの日に呼ばれたの、俺?」
「ごめん」
「いや、いいけどさ」
健吾は小さく息を吐いた。
「で、出せばいいの?」
「お願いします」
健吾が右手を出す。その上に、ぱっと光が生まれた。
「このくらい?」
「少し強いですね」
「じゃあ、弱くして……」
光が小さくなる。
「これなら?」
「もう少し小さくできますか?」
「小さく?」
「はい」
「やってみます」
光がさらに縮む。形が少し歪んだ。
「……あ」
「ケンちゃん、楕円になってる」
「今直してる」
健吾が手を動かす。光も、それに合わせるようにふよふよと動いた。上へ。少し右へ。また戻ってくる。
「動かせるんですね」
「ええ。まあ、このくらいなら」
健吾にとっても、こういう使い方を試したことはほとんどない。それでも、動かすこと自体は難しくないらしい。問題は形だった。
「丸く……」
少し歪む。
「丸く……」
「さっきより丸いよ」
「もうちょい」
何度か形を整え、ようやく、小さな光球が出来上がった。
「……こんなもん?」
「はい。まずはそれで試してみましょう」
健吾が光球を鉢の上へ動かす。小さな光が、ふよふよと移動する。鉢の上まで来ると、その場に留まった。柔らかな光が、種の眠る土を照らす。
「これでいい?」
「はい」
「じゃあ、俺は?」
「今日はこれで大丈夫です」
「本当に光出すだけだった……」
「ありがとうございました」
「いえ……」
健吾はもう一度、自分の作った光を見る。それから研究室を出ていった。
ーーー
達也が研究室に呼ばれたのは、実験から三日後だった。
「消えたんですか?」
「はい。今日の午後に」
太田が記録を確認する。机の上には、あの日と同じ鉢が置かれていた。ただし、その上に浮かんでいた光球はもうない。
「およそ三日ですね」
「ケンちゃん、ずっといなかったのに」
「ええ。足立さんが研究室を離れたあとも維持され続けました」
達也は、光球が浮かんでいた場所を見る。当然だが、もう何もない。
「三日か……」
「今回の光球は、ですけどね」
「違うこともある?」
「大きさや明るさ、足立さんがどの程度の魔力を使ったか。それによって変わる可能性もあります」
「なるほど」
「今のところ分かったのは、術者が離れても消えず、今回の条件ではおよそ三日間維持された。それだけです」
「じゃあ、まだ要検証ですね」
「はい」
太田が頷く。達也は鉢を見る。
「これ、家でも育てられますか?」
「井上さんの自宅で?」
「はい。毎日ここへ来るのは難しいので」
仕事もある。朝晩の状態まで記録するなら、自宅にあった方がいい。
「栽培条件を記録していただけるなら、こちらとしても助かります」
「やってみます」
「JDA側でも比較用の株は管理します。井上さんのところでは、日々の状態を細かく残してもらえますか?」
「分かりました」
達也は頷いてから、光の消えた場所を見た。
「ケンちゃんの光も、家で使えたらいいんですけど」
「そうですね」
「持って帰れないですかね」
「……光を?」
「はい」
「どうやって?」
「箱とか」
「……」
「……」
二人で少し考える。
「試してみますか」
「試すんですか?」
「分からないので」
「ですよね」
ーーー
それから数日後。JDAの植物研究部門から、実働部隊へ一件の研究協力依頼が出された。内容は、光属性能力によって生成された光球の再現と、その移動試験。
「……また俺?」
研究室へやってきた健吾は、机の上に置かれた黒い箱を見ていた。
「ご協力ありがとうございます」
太田が頭を下げる。
「いや、依頼ならやりますけど」
今度は休日に呼び出されたわけではない。研究室から実働部隊へ正式に依頼が出され、健吾は仕事としてここへ来ている。そして今日は、もう一人いた。
「それで、千葉さんは?」
達也が尋ねる。
「面白そうだったので」
魔法運用研究班主任の千葉は即答した。
「太田さんから話を聞きまして。術者が離れたあとも三日ほど残った光でしょう?」
「はい」
「それを移動させると聞いたら、見たいじゃないですか」
「そういうものですか?」
「そういうものです」
千葉だけ妙に楽しそうだった。
「それで」
健吾が黒い箱を指差した。
「これは?」
「光を持ち運べるか試します」
「……俺の?」
「はい」
健吾が黒い箱を見る。達也を見る。もう一度、黒い箱を見る。
「光って持ち運ぶものだっけ?」
「分からないから試すんだって」
「最近それ多くない?」
「研究ですから」
「そういうもんなんですかね……」
「そういうものですよ」
千葉が楽しそうに答えた。
「千葉さんだけちょっと嬉しそうじゃないですか?」
「気のせいです」
どう見ても気のせいではなかった。健吾は首を傾げながらも、右手を出した。前回より少し早く、小さな光球が出来上がる。
「前より早いね」
「一回やったからな」
健吾が軽く手を動かす。光球も、それに合わせてふよふよと動いた。
「それでは、箱の中へお願いします」
「はい」
健吾が光球を動かす。黒い箱の上まで運び、そのまま中へ下ろしていく。
「この辺ですか?」
「はい」
太田が蓋を閉じた。光が見えなくなる。四人で箱を見る。
「……」
「……」
「……」
「……」
「で?」
「動かします」
太田が箱を持ち上げた。机の反対側へ運ぶ。置く。蓋を開けた。中には、小さな光球が浮かんでいた。
「……いるね」
「いるな」
「いますね」
「……」
三人が光球を見る横で、千葉だけが黙っていた。太田がもう一度、蓋を閉じる。今度は別の机まで運ぶ。置く。開ける。やはり、いる。
「……ついてきた?」
「そのようですね」
健吾が箱の中を覗き込む。
「俺、動かしてないですよ?」
「ええ」
「じゃあ、なんで?」
健吾はしばらく箱の中の光を見た。
「……いや、分からないです」
作った本人にも分からないらしい。達也も箱を覗き込んだ。
「でも、持って帰れそうだね」
「そうだな」
「これなら井上さんの自宅でも使えそうですね」
「じゃあ、これに入れて持って帰ればいいんですね」
「そうなりますね」
三人の話は、すでに持ち帰る方向へ進んでいた。その横で。
「……周囲との相対位置……いや、それなら移動前の基準は……」
千葉が小さく呟いている。視線は箱の中の光球に釘付けだった。
「術者から離れても維持される。さらに移動にも追従する……固定されているのは空間じゃない? 箱そのもの? それとも周囲の物質との位置関係……」
「千葉さん?」
「密閉したことに意味があるなら、開放状態では……いや、箱の材質も変えないと……」
そこで千葉が、はっと顔を上げた。
「待ってください!」
「はい?」
「色々な箱の条件を見たいので、集めてきます!」
「え?」
言うが早いか、千葉は研究室の扉へ向かった。
「千葉さん?」
「すぐ戻ります!」
扉が開く。閉まる。足音が遠ざかっていった。
「……」
「……」
「……」
三人で扉を見る。健吾が、自分の作った光球を見る。それから、千葉が消えていった扉を見る。
「……俺、まだ作るんですか?」
「おそらく」
「まあ、仕事なんで作りますけど……」
健吾は小さく息を吐いた。
「何個いるんだろうね」
「知らん」
しばらくして、廊下の向こうから、ガラガラと何かが転がる音が近づいてきた。
「持ってきました!」
勢いよく扉が開く。千葉が押してきた台車には、いくつもの箱が積まれていた。その後ろから、白衣姿の若い研究員がついてくる。
「主任、透明ケースも持ってきました」
「ありがとうございます。そこに置いてください」
「金属製は?」
「あります。木箱も借りてきました」
「いいですね」
段ボール箱。透明なケース。金属製の箱。木箱。大きさも、それぞれ違う。二人は台車から次々と机へ並べていく。
「まず材質ですね」
「大きさも変えます?」
「もちろん。蓋を閉じた場合と開けた場合も見ましょう」
「箱の中で位置を変えてから運ぶのもやりたいですね」
「それもやりましょう」
「移動距離は?」
「変えます」
「速度も?」
「それも」
二人の間で、次々と検証項目が増えていく。健吾が並べられていく箱を見る。
「……増えてない?」
「増えてるね」
達也も頷いた。
「足立さん」
千葉が振り返る。
「お願いします」
「はいはい」
健吾が右手を出す。新しい光が生まれた。一つは、植物を育てるため。その横では、まったく植物とは関係のない実験が始まっていた。
ーーー
その後、実働部隊には、研究班から定期的に箱が届くようになった。中身は空。健吾が光球を入れて返す。光球は今のところ、およそ三日で消える。そのため、二日ほど経つと次の箱が届き、新しい光球を入れて研究班へ送り返す。達也は必要な日に研究班へ立ち寄り、そのうち一つを受け取って自宅へ持ち帰ることになった。
研究班でも、栽培試験は続いている。自然光。植物育成用の人工光。健吾の光。そして、別の光属性能力者が作った光。同じ光属性でも、同じ性質とは限らない。そのため、能力による光も一つにはまとめず、それぞれ別の条件として記録されていた。
今のところ。どの光が植物にとっていいのかは、まだ分からない。
一方。
「また来た……」
実働部隊で、健吾は届けられた空箱を見下ろしていた。
「足立さん、研究班からです」
「……はい」
もう何度目かになる。健吾は箱を開け、右手を出した。小さな光球を作る。最初の頃より、ずっと早い。大きさを整え、明るさを抑え、箱の中へふよふよと入れる。蓋を閉じる。
「お願いします」
「預かります」
箱が運ばれていく。健吾はそれを見送った。
「……俺、これ上手くなってない?」
ーーー
達也の自宅。窓際に、新しい鉢が置かれていた。第三階層で採取した橙色の実の種。その上には、健吾が作った光球が浮かんでいる。研究班から受け取った箱に入れて持ち帰ってきたものだ。
達也はしばらく眺めた。
「……普通に光ってるな」
理由は分からない。だが、それを考えるのは千葉たちに任せることにした。達也が見るのは、植物の方だ。
机の上には、研究室で書き始めた栽培ノート。最初のページには、【橙色の実】の見出しの下に、種を植えた日、使った土、最初に与えた水の量が書いてある。その続きへ、今日の状態を書いていく。土の状態。水。置いた場所。光の状態。その日、気づいたこと。まだ種は土の中だ。変化はない。だから、そのまま書く。
翌朝。土を確認する。水はまだいらない。光は残っている。夜、もう一度確認する。変化なし。それも書く。
光が消える前には、次の光球を研究班から受け取る。箱を開ける。新しい光を鉢の上へ移す。そして、また記録する。次の日も。その次の日も。少しずつ、ノートの文字が増えていった。
ーーー
数日後の朝、出勤前。達也はいつものように鉢を覗き込んだ。
「……あ」
しゃがむ。土の表面が、ほんの少し盛り上がっていた。そこから、小さな緑色が顔を出している。
「出た」
達也は指先で、そっと触れた。まだ小さい。小さすぎて、よく分からない。それでも、昨日まではなかったものが、そこにある。
達也は栽培ノートを持ってきた。日付を書く。土の状態。水。光。そして、発芽したこと。その下へ、芽の色や大きさを書き足していく。書き終えると、もう一度、小さな芽を見た。
ーーー
「出たんだって?」
「うん」
後日、健吾は達也のスマホに映された写真を覗き込んでいた。土から、小さな芽が顔を出している。
「これ、俺の光を当ててたやつ?」
「そう」
「へえ……」
健吾が画面を拡大する。
「ちゃんと出るんだな」
「JDAの方も発芽したって」
「自然光とLEDだっけ?」
「それと、別の人の光」
「ああ、四つでやってるんだっけ」
「うん」
「全部?」
「今のところは」
「じゃあ、俺の光じゃないと駄目ってわけじゃないんだな」
「今のところはね」
「そっか」
健吾は、もう一度写真を見る。しばらく眺めて。
「……俺の能力、こんなことにも使えるのか」
「使えたね」
「なんか変な感じだな」
「嫌?」
「いや」
健吾は少し笑った。
「面白い」
ーーー
その日の夜。達也は鉢の前で栽培ノートを開いていた。今日の日付。芽の状態。水。光。気づいたことを、一つずつ書いていく。JDAで育てているものについても、太田から連絡をもらえば書き加えた。
自然光。植物育成用の人工光。健吾の光。別の光属性能力者の光。今はまだ、どれがいいのか分からない。違いが出るのかも分からない。太田からは、このノートもある程度たまったらコピーさせてほしいと言われている。
ダンジョンで見つけた植物を書き留めてきたノートとは、別の一冊。こちらは、育っていく植物のための記録だった。まだ最初の数ページ。白紙の方がずっと多い。
達也は今日の分を書き終える。ノートを閉じる。窓際では、小さな芽が葉を開こうとしていた。
お読みいただきありがとうございました。
少しでも楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると励みになります。




