第十八話「橙色の実」
第十八話「橙色の実」
第三階層の林地。達也は、珍しく地面ではなく上を見ていた。配信画面でも、トマトの頭頂部にある緑のヘタが、真上へ向くように傾いている。
「ケンちゃん」
「なんだ?」
「あれ」
達也が指を差す。頭上。大きく枝を広げた木に、橙色の実がいくつもなっていた。一つ一つは、ピンポン玉より少し大きい。丸い実が、葉の間からいくつも覗いている。
「なんだ? 実?」
「だよね?」
「初めて見るな」
「僕も初めて」
『お、新しい実?』
『果物きた!』
『橙色だ』
『これ初めてじゃない?』
『トマトの人が初めて見るなら新発見か?』
『食えるやつだといいな』
『ダンジョン産フルーツ!』
「ちょっと見てくるね」
「待て」
歩き出そうとした達也の肩を、健吾が掴んだ。
「なに?」
「実じゃなくて、その上」
「上?」
達也がさらに視線を上げる。枝が揺れた。
「……あ」
いた。木の枝に、猿型の魔物が三匹。大きさは中型犬ほど。長い腕と、枝を掴むために発達した手足。灰褐色の毛に覆われた身体で、器用に枝から枝へ移動している。
『なんかいる』
『猿?』
『実の上にいるぞ』
『果物どころじゃなかった』
『トマトの人、実しか見えてなかっただろw』
「ウッドエイプ……」
健吾が呟いた。
「知ってる?」
「……ああ。前に遭遇したことがある」
一匹のウッドエイプが枝を蹴った。軽々と隣の枝へ飛び移る。
「面倒なんだよ、こいつら」
「強いの?」
「いや」
健吾は大剣を担ぎ直した。
「降りてこない」
「……ああ」
「木の上から石だの枝だの投げてくるくせに、こっちが近づいたら逃げる」
「それは面倒だね」
「前なんか散々上から投げつけてきやがって、追ったら木から木へちょこまか逃げ回って――」
一匹のウッドエイプが、こちらを見ながら隣の枝へ飛び移った。健吾の眉がぴくりと動く。
「……あれだよ」
吐き捨てるような声だった。
「邪魔だけして、最後はそのまま逃げやがった」
『面の人めっちゃ根に持ってるw』
『声が低い低い』
『これは嫌いなやつだ』
『ウッドエイプに私怨があるw』
『倒せなかったの悔しかったんだな』
健吾が大剣の柄を握り直す。そのとき、一匹のウッドエイプが、すぐ近くになっていた橙色の実をもぎ取った。達也がそちらを見る。ウッドエイプも、達也を見た。
「ギャッ」
ぶんっ。
「っと!」
達也は咄嗟に身を引いた。実は顔の横をすれ違い、頭上の太い枝に当たって弾ける。
(ふぅ、危な――)
胸を撫で下ろした瞬間。
べちゃっ。
「うわっ!?」
潰れた橙色の果肉と果汁が、達也の頭上から降ってきた。配信用ヘルメットから肩まで、べったりと橙色に汚れる。ヘルメットの縁から、果汁がポタポタと垂れた。
「たっちゃん! 大丈夫か?!」
健吾がすぐに駆け寄る。
「う、うん。直撃は避けたんだけど……上から落ちてきた」
達也は肩に付いた果肉を指で摘み、そっと意識を向けた。指先から伝わってくる感覚を探る。これまで触れてきた毒草には、もっとはっきりとした嫌な感覚があった。だが、この実からはそれを感じない。
「……うん。変な感じはしないかな」
「毒はないか?」
「刺してくるような気配はないよ。少なくとも、すぐ危険になる感じじゃないと思う」
「そうか」
健吾が小さく息を吐いた。達也は手拭いを取り出し、ヘルメットについた果肉を拭い始めた。だが、配信画面に映っているのは、いつものトマト頭である。当然、橙色の果肉も果汁も映っていない。何もついていないトマトの頭を、達也がせっせと手拭いで拭いている。
『何してんのwww』
『トマト磨いてるwww』
『何もついてないぞw』
『本人は今ベチャベチャなんだろうなw』
『画面だとただのトマトのお手入れで草』
そんな達也の頭上から、甲高い声が降ってきた。
「ギャッ! ギャギャッ!」
達也の手が止まる。見上げると、投げたウッドエイプが自分の頭を抱え、達也の真似をするように身体を大きく揺らしていた。隣の一匹は、枝をバンバンと叩いている。もう一匹に至っては、こちらに尻を向け、パンパンと手で叩く始末だ。
『煽り性能高すぎるwww』
『猿の煽りスキルがプロのそれ』
『これはむかつくwwww』
『煽りの天才かよ』
「……」
達也は拭き途中の手拭いを握ったまま、じっと頭上を見上げた。今度は別の一匹が実をもぎ取った。達也と健吾を見比べる。少し考えるように首を傾げ――健吾へ投げた。
ぶんっ。
「っと」
健吾が身体をずらす。実は脇を抜け、背後の木へぶつかった。
べしゃっ。
「ギャッ」
外れたウッドエイプが、不満そうに声を上げる。すると隣の一匹が、投げたウッドエイプの頭を軽く叩いた。
「ギャッ!」
「ギャギャッ!」
二匹でこちらを指差して騒ぎ始める。健吾のこめかみが引きつった。
「……こいつら」
「ケンちゃん」
「なんだ」
「これ、前も?」
「ああ。ずっとこれだ」
「……そっか」
達也は黙ってウッドエイプを見上げた。その視線が、ふと下がる。木の幹。濃い緑色の蔓が這っている。幹に張りつくように伸びた蔓は、途中で何本にも分かれながら、枝へと続いていた。
達也が目で追う。枝から、さらに上へ。葉は厚く、表面には光沢がある。一本だけではない。何本もの枝へ渡りながら、樹上まで広がっている。ウッドエイプのいる枝にも、同じ蔓が這っていた。
達也はもう一度、頭上を見る。
「……落とそう」
健吾が振り向いた。達也はウッドエイプを睨んでいた。健吾はそれを見て、再び前を向く。口元が、にやりと上がった。
「いいな」
大剣を肩から下ろした。
『面の人が楽しそうw』
『トマトの人も怒ってるw』
『意見が一致した』
『ウッドエイプ、煽りすぎたな』
達也は木の幹へ近づいた。
「この蔓、上まで続いてる」
「使えそうか?」
「やってみる」
手袋を外し、蔓へ触れる。木を支えにして、上へ上へと伸びている。元気だ。達也は、その先をもう一度確認した。
「僕が枝を動かす」
「ああ」
健吾が大剣を構えた。
「下は任せろ」
達也が蔓へ意識を向ける。枝に絡んでいた蔓が動いた。
「ギャッ!」
気づいたウッドエイプが枝を蹴る。隣の枝へ飛んだ。達也の視線が追う。着地。その足元にも、濃い緑の蔓が這っている。すぐに意識を移す。
ぐんっ!
蔓に引かれ、枝が大きくしなる。
「ギャッ!」
ウッドエイプの身体が傾いた。長い腕が伸びる。枝を掴むより早く、身体が宙へ投げ出された。
「ケンちゃん!」
「おう!」
健吾はすでに動いていた。落下地点へ踏み込み、大剣を振り抜く。
ブンッ!
ズンッ!
一撃を受けたウッドエイプが地面を転がる。その輪郭が崩れ、光の粒へ変わっていった。
『今の連携いいな』
『一匹目!』
『逃げた先にも蔓あるの強い』
『木から降りた瞬間これである』
残った二匹が同時に動いた。左右へ散る。
「ギャッ! ギャッ!」
一匹が奥の枝へ跳んだ。達也がそちらを追う。着地するより先に、枝に這う蔓が目に入った。意識を向ける。足が枝に触れた。
ぐらり。
「ギャッ!」
足場が傾く。身体が滑った。だが、長い腕が隣の枝を掴む。ぶら下がった身体を振り、その勢いで枝の上へ戻る。すぐにまた跳ぼうと身を沈めた。その足元で、蔓が動いた。
「ギャッ!?」
足首に絡みつく。ウッドエイプが足を振る。外れない。蔓がさらに巻きついた。達也が引く。
「ギャアッ!」
身体が枝から引き剥がされた。宙で大きく振られ、そのまま地上へ放り出される。健吾が駆ける。
ブンッ!
落ちてくる身体を、大剣が捉えた。
ドンッ!
ウッドエイプが地面へ叩きつけられる。輪郭が崩れ、光の粒へ変わった。同時に頭上で、ばさばさと葉が揺れた。
ぼとっ。
ぼとっ。
橙色の実が落ちてくる。
「あ」
「たっちゃん!」
健吾の声が飛ぶ。達也が顔を上げた。三匹目。もう逃げ始めていた。枝を蹴る。次の木へ。着地と同時に、さらに跳ぶ。健吾が地面を蹴った。達也の視線はウッドエイプを追い、その先へ走る。枝。次の枝。さらに、その先。濃い緑が見えた。
ウッドエイプが跳ぶ。達也が蔓へ意識を向けた。着地寸前。
ぐんっ!
枝が沈む。
「ギャッ!?」
足が空を切った。身体が傾く。長い腕が伸びる。隣の枝を掴んだ。身体が大きく揺れる。それでも逃げようと、腕に力を込める。枝の上へ身体が持ち上がる。その枝にも、濃い緑の蔓が絡んでいた。
達也が意識を移す。
がさっ!
掴んでいた枝が大きく跳ねた。
「ギャッ!」
指が外れる。健吾がその下へ飛び込んだ。
「逃がすか!」
ブンッ!
大剣が走る。
ズドンッ!
最後の一匹が地面を転がった。数度跳ねた身体が止まり、光の粒へ変わっていく。健吾も足を止めた。大剣を下ろし、消えていく光を見届ける。
「……よし」
『全滅させたw』
『二匹目すごい落とし方したな』
『蔓で足捕まえたぞ』
『面の人めっちゃ満足そう』
『前回のリベンジ完了』
『ウッドエイプ最大の敗因:煽った』
達也も頭上を見る。三匹とも、もういない。視線が下がる。
「ケンちゃん」
「ん?」
「実」
「……そうだな」
二人の視線が、地面へ落ちた橙色の実へ向いた。
ーーー
達也は地面に落ちた実を一つ拾い上げた。
「……傷ついてる」
「落ちたからな」
表面が割れている。もう一つも、地面にぶつかったところが潰れていた。先ほど投げつけられたものも含め、辺りには甘いような匂いが漂っている。達也は割れた部分を覗き込んだ。
「匂いはする」
「食うなよ」
「食べないよ」
「一応な」
達也は実を手にしたまま、元の木を見上げる。枝には、まだいくつも残っていた。
「調べるなら、綺麗なのも欲しいな」
「どうやって採る?」
「さっきの蔓、使えると思う」
達也はもう一度、木の幹に這う蔓へ触れた。先ほどとは違い、今度はゆっくりと意識を向ける。蔓は幹を登り、実のなっている枝にも絡んでいる。その一本を動かす。枝が、わずかに下がった。
「もう少し」
さらに引く。枝がゆっくりとしなる。
「さっきウッドエイプ落としてたとき、もっと思い切り引いてただろ」
「実の収穫の方が神経使うよ」
「……そうか?」
「魔物は落とせばいいけど、実は潰したくないし、枝も折りたくないし、まだ熟してないのも落としたくない」
「扱いが違いすぎないか?」
「目的が違うから」
達也は蔓を少し緩める。枝が戻る。また少し引く。今度は、手を伸ばせば届くところまで下がってきた。達也は片手で蔓へ触れたまま、もう片方の手を伸ばす。橙色の実に触れた。すぐには採らず、そのまま少し待つ。
「これは……大丈夫そう」
「食える?」
「そこまでは分からない」
「だよな」
「でも、採るならこれかな」
実を一つ、枝から外す。傷はない。達也は手の中の実を確認した。
「採れた」
「魔物落とすより慎重だったな」
「だから、こっちの方が神経使うって」
もう一つ。今度は少し小さい。触れてみる。
「こっちは、まだかな」
達也は採らずに残した。
『魔物<実』
『扱いの差よ』
『さっきまで同じ蔓で落としてたよな?』
『収穫の方が難易度高いらしい』
必要な分だけ、傷のない実を採る。落下して傷ついたものとは分けて袋へ入れた。達也はノートを開く。
【橙色の実】
第三階層林地。
ウッドエイプが食べていた。
橙色。
丸い。
植物親和では強い危険感なし。
人が食べられるか――不明。
戦闘時に落下した実あり。
表面に割れ、潰れ。
傷のない実も採取。
要検証。
少し考えて、その下にも書き足す。
【木を這う蔓】
木の幹から枝まで広く伸びる。
操作可能。
枝を引き寄せることも可能。
達也はそこまで書いて、もう一度蔓を見上げた。さっきまでウッドエイプがいた枝にも、濃い緑色の蔓が絡んでいる。
「これも、ちゃんと調べたいな」
「今日は実だけじゃなかったな」
「うん」
達也はノートを閉じた。
ーーー
数日後。JDAの研究室。
「色、濃くなってません?」
達也は机の上の実を見た。採取したときよりも、橙色が深くなっている。香りも強い。
「なっています」
太田が頷いた。
「採取後も熟成が進むタイプのようです」
「追熟するんだ」
「その可能性が高いですね。採取直後のものと、数日置いたもので変化が出ています」
机には、採取した実の記録が並んでいる。落下して傷ついたもの。傷のない状態で採取したもの。保存日数の違うもの。
「現時点の検査では、問題になりそうな毒性は確認されていません。すでに少量での試食も行っています」
「どうでした?」
「問題ありませんでした。味も悪くないですよ」
「食べていいですか?」
「どうぞ」
太田が切り分けた実を差し出した。中には大きめの種が入っている。果肉は淡い橙色だった。達也は一切れ手に取る。口へ入れた。
「……おいしい」
柔らかい。水分が多く、甘い。それだけではなく、ほどよい酸味もある。達也はもう一度味を確かめる。
「枇杷にちょっと似てる?」
「そうですね。試食した人からも似た感想が出ています」
太田も記録を見る。
「ただ、こちらの方が味を濃く感じるという意見が多いですね」
「分かるかも」
似ている。けれど、もっと味が詰まっているような感じがする。
「採ってすぐより、今の方が美味しいんですか?」
「その可能性はあります。ただ、どの段階で採るのがいいのか、何日程度追熟させるのが適切なのかは、まだ分かりません」
「要検証ですね」
「はい」
達也は頷いた。食べられることが分かった。美味しいことも分かった。だからといって、すぐに食用として利用できるわけではない。安全性。保存方法。個体差。安定した収穫。調べることはいくらでもある。
達也は残った果肉を見た。その横。皿の上に、大きめの種が残っている。太田も同じものを見た。
「……この種」
「はい」
太田は一粒を手に取った。
「育ちますかね?」
達也は種を見る。少し考える。
「……出来そう、かな?」
「分かります?」
「なんとなくですけど」
太田は手の中の種を見た。
「なら、発芽試験をしてみましょうか」
「はい」
達也の視線が、種へ戻る。第三階層の木の上で見つけた、橙色の実。食べられることは分かった。味も分かった。次に知りたいことは、一つだった。
これを植えたら。いったい、どう育つのだろう。
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