第十七話「根と、石と」
第十七話「根と、石と」
第三階層の林地。達也は、一株の草の前で足を止めた。細長い葉。根元は、わずかに赤い。
「懐かしいな」
二年前。まだJDAの施設も今ほど整っていなかった頃、訓練用の区画で調べた植物だった。触れたときに感じたのは、強い苦味。そのまま食べるには向いていない。処理すれば食べられるかもしれない。当時の達也に分かったのは、そのくらいだった。
その後、研究班による調査も行われている。毒性は確認されず、適切に処理すれば食用にできる可能性もある。ただし、わざわざダンジョンから採取して食べるほどのものでもない。現在は、そんな扱いだった。
達也はしゃがみ込み、手袋を外した。葉へ触れる。植物親和。名前や成分が分かるわけではない。植物の声が聞こえるわけでもない。ただ、なんとなく伝わってくる。水。土。光。その植物が好むもの。嫌うもの。そして、ときどき。食べられそう。危なそう。そんな曖昧な感覚。ずっと、そうだった。
「……あれ?」
達也の指が止まった。同時に、トマトの頭頂部にある緑のヘタが、ぴくりと持ち上がる。
『お?』
『なんか気づいた?』
『また面白いの見つけたのかな?』
『トマトの人が見てると気になってくる』
苦い。それは覚えている。でも、それだけじゃない。
「水……そんなにいらないのか」
達也は根元へ触れる。乾いている方がいい。水が多すぎるのは、あまり好まない。根は深く潜るより、横へ広がりたがっている。
「……こんなに分かったっけ」
達也はもう一度、葉に触れた。やはり同じだった。達也は100均ノートを取り出した。昔の記録そのものは、一冊目のノートに残っている。今使っているノートへ、新しく感じたことを書き込む。
【細長い葉の草】
過去に確認済み。
強い苦味。
処理により食用可能性あり。
今回、新しく感じたこと。
乾燥気味を好む?
水分過多を嫌う?
根は深くより横方向?
以前はここまで分からなかった。
最後の一文を見て、達也は首を傾げた。トマトのヘタも、少し遅れて傾く。
「僕が変わった?」
『え?』
『トマトの人が?』
『どういうこと?』
『植物親和が強くなったとか?』
『能力って成長するの?』
『二年使ってるから何か変わった?』
「たっちゃん?」
少し離れた場所から、健吾の声がした。
「ケンちゃん」
「どうした?」
「植物親和って、強くなるのかな」
「……急だな」
「前に調べた草なんだけど」
達也は目の前の植物を指した。
「昔より、分かることが増えてる」
「分かること?」
「水とか、根の伸び方とか。前はこんなに分からなかったと思う」
「……ああ」
健吾はすぐには否定しなかった。少し考える。
「それなら、俺もあるかもしれん」
「ケンちゃんも?」
「光の扱いだな。最初の頃より加減しやすくなってる」
「閃光とか?」
「ああ。昔は出すだけで精一杯だったけど、今は強さもある程度変えられる」
「能力が強くなった?」
「どうだろうな。二年も使ってるから、慣れただけだと思ってた」
「そっか」
「俺も気にしてなかったからな」
達也は草を見る。健吾は少し考えてから言った。
「太田さんに話してみたらどうだ?」
「そうする」
「俺のことも言っていいぞ」
「うん」
達也はノートへ一行書き足した。
足立――光属性にも似た変化?
そして、その下に。
要確認。
ーーー
「似たような報告は、すでに上がってますよ」
数日後、JDAの植物研究室。達也が話し終えると、太田はそう答えた。
「もうあるんですか?」
「あります。以前より出力が上がった、範囲が広がった、細かい調整がしやすくなった。内容はいろいろですけどね」
「じゃあ、やっぱりレベルアップ?」
「そこが分からないんです」
太田は棚から分厚いファイルを取り出し、机の上に広げた。
「能力そのものが変化した可能性はあります。ただ、使い続けたことで扱いに慣れただけかもしれない」
「ケンちゃんも、それかもって言ってました」
「足立さんは二年間、実働部隊でも光属性を使い続けてますからね」
「僕も植物はずっと触ってます」
「そうなんですよ」
太田はファイルをめくった。綴じられているのは、達也の100均ノートのコピーだ。意見交換のたびに必要なページをコピーしているので、それ自体は達也も知っている。ただし、ノートと同じ順番ではない。植物の種類。確認された階層。水、土、光。食用の可能性。栽培試験。色の違うインデックスで項目が分けられ、その間には研究班が作成した調査結果や経過記録も挟まっている。
太田は迷うことなく一つのインデックスを開いた。
「これですね」
そこには、二年前に達也が書いた記録のコピー。その次には、同じ植物について後日行われた成分調査の結果。さらに栽培試験の記録が続いていた。
「だから、井上さんの記録は面白いです」
「これが?」
「二年前に何を感じ取れていたのか、残ってますから」
「ああ」
「同じ種類の植物を今もう一度調べれば、比較できます」
太田が別のインデックスを開く。
「昔調べた植物、いくつか見直してみませんか?」
「やってみたいです」
「じゃあ、候補を探してみます」
「最初に抜いた草もあります?」
「適性検査のときの?」
「はい」
太田の手が、別のファイルへ伸びた。
「同じ種類が確認できれば、それもやりましょう」
「お願いします」
達也は机の上に広がった資料を見る。二年前、分からないから書いた。それだけだった記録が、今度は二年前の自分と比べるための記録になっていた。
ーーー
再調査は、それから何度か行われた。初期に調べた植物のうち、同じ種類だと確認できるものを探す。近い成長段階。似た環境。できるだけ条件を揃え、達也が触れる。結果は、植物によって違った。
「こっちは、あんまり変わらないです」
「なるほど」
「これは前より少し分かります」
「何が増えました?」
「日当たり。前は水の方が強く感じたんですけど、今は光の方も分かります」
太田が記録する。別の植物では、根の状態。別の植物では、葉の傷み。以前は漠然と「元気がない」と感じていたものが、水なのか。土なのか。光なのか。根なのか。少しずつ分かれるようになっていた。ただし、すべてではない。分からないものは、今も分からない。
「やっぱり、前より細かくなってますね」
「ですよね」
「ただ、これだけでは能力そのものが変化したとは断定できません」
「僕が慣れただけかもしれない」
「ええ」
「難しいですね」
「難しいです」
太田はそう言いながらも、どこか楽しそうだった。そして、再調査の対象は初期の植物だけでは終わらなかった。
「せっかくだから、これも確認してみませんか?」
太田が見せた写真に、達也は見覚えがあった。
「あ」
青い花。第三階層で見つけた植物。石の多い、根を伸ばしにくそうな地面。それなのに葉の色は濃く、妙に元気だった。そして、その周辺には黒い石が多く存在していた。
「海外の資料を見たあとですし、ちょうど再調査の予定もありましたから」
「逆からも見るやつ」
「そうです」
青い花がある場所で黒い石を探す。それだけではなく、黒い石がある場所に、何が生えているかも見る。
「高城さんにも来てもらいます」
「石だから?」
「石だからです」
「じゃあ僕は花ですね」
「お願いします」
ーーー
第三階層。今回の調査は五人で行われていた。植物を見る達也。鉱石を見る高城。調査結果をまとめる太田。そして、その三人の護衛として健吾と、実働部隊から瀬戸薫が同行している。ちなみに高城のアバターは頭が鷹である。
『今日なんか多いぞ』
『鷹の人いるじゃん』
『太田さんもいる』
『実働部隊まで来てるの?』
『コラボじゃん!』
『トマトの人、鷹の人、太田さん揃ってるの珍しいな』
『植物班と鉱石班の合同調査?』
『瀬戸さんは護衛か』
『太田さんいるし護衛増やしてる感じかな』
『面の人と瀬戸さんいるなら調査組は安心だな』
そんなコメントが流れている間にも、達也はすでに足元の植物を見ていた。高城もまた、地面へ視線を落としている。
「ありますね」
高城がしゃがみ込み、地面から黒い石を一つ拾った。手袋を外し、指先で触れる。
「前と同じです。やっぱり、中に魔力が残りやすい感じがします」
「こっちにも青い花あります」
少し離れた場所では、達也が青い花の前にしゃがみ込んでいた。
「記録します」
太田は二人の間で、それぞれの発言と調査結果を書き留めていく。
「三人とも、あまり離れないでください」
周囲を警戒していた瀬戸から声が飛んでくる。
「はい」
三人の返事が重なった。
「瀬戸、右側は頼む」
少し前方を警戒していた健吾が言った。
「了解しました」
「たっちゃんも、花を追って奥まで行くなよ」
「行かないよ」
「この前も似たようなこと言ってたからな」
「今日は調査だから」
「いつも調査だろ」
達也は少し考えた。
「確かに」
「納得するな」
高城が小さく笑った。太田は記録を続けている。達也は青い花。高城は黒い石。太田はその両方。どうしても、三人の視線は足元へ集まった。
「しかし、興味深いですね」
瀬戸が周囲を警戒したまま言った。
「何がです?」
「私も土属性ですが、お二人のようなことは分かりません」
達也が顔を上げる。
「そうなんですか?」
「石に触れても、私には石です。植物も同じです」
高城も顔を上げた。
「瀬戸さんは障壁でしたよね」
「ええ。地面を固める、壁を作る。そういった操作ならできます」
瀬戸は足元を軽く踏んだ。
「ですが、この石に魔力が残っているか、この植物が何を好むかまでは分かりません」
「同じ土属性なのに」
達也が言う。
「属性が同じでも、できることまで同じとは限らないということでしょう」
瀬戸はそう言って、再び周囲へ視線を巡らせた。
「こちらは問題ありません。調査を続けてください」
「はい」
達也は、もう一度青い花へ手を伸ばした。まず葉に触れる。
「……元気」
「前と同じですか?」
太田が尋ねる。
「似てます」
次に茎。そして、根元。
「……あれ?」
達也の手が止まった。
「どうしました?」
「ちょっと待ってください」
達也は目を閉じた。以前、この花に触れたとき。感じたのは、元気だということ。根を伸ばしにくそうな地面なのに、よく育っている。その違和感だった。でも今は。
「……下から来てる」
「下?」
「はい」
達也は根元へ触れたまま、地面を見る。
「何か、根から入ってきてる感じがします」
太田も足元を見る。そこには黒い石がある。
「水では?」
「違うと思います」
「養分?」
「それとも違うような……」
うまく言葉にはできなかった。ただ、植物の根が、地面の下にある何かを利用している。二年前には分からなかったものが、今はそこまで伝わってくる。
「鷹さん」
配信で呼ばれている名前で太田が呼ぶ。
「はい」
「この辺りの石、見てもらえます?」
高城が近づき、青い花の根元にある黒い石へ触れた。
「……ありますね」
「何が?」
「中に残ってる感じです。魔力が」
高城が眉を寄せる。
「でも……」
「でも?」
「さっき触った石より、少ないような」
達也と高城が顔を見合わせた。
「こっちは、根から何か入ってきてる感じです」
「こっちは、中の魔力が少ない感じがします」
少し沈黙した。太田が口を開く。
「一度、きちんと測りましょう」
「そうですね」
「お願いします」
達也と高城が同時に答えた。
ーーー
後日。JDAの研究室。青い花。黒い石。そして測定機器が並んでいた。黒い石には、あらかじめ一定時間、魔力を与えてある。まず、その状態を測定する。次に、青い花の根を接触させる。時間が経つ。
「……下がってます」
研究員が言った。黒い石側の反応が、わずかに低下していた。一方で。
「植物側は上がってます」
太田が画面を見る。
「もう一度やりましょう」
条件を変える。別の石。別の株。接触させない場合。根だけを近づけた場合。何度も繰り返す。すぐに結論は出さない。それでも。
「石から植物側へ魔力が移動してる可能性が高そうですね」
太田が言った。
「やっぱり」
達也は青い花を見る。
「だから元気だったんだ」
「石が多い場所なのに、ですか?」
「はい」
達也は青い花を指した。
「最初に見つけたとき、変だったんです。石ばっかりで根を伸ばしにくそうなのに、葉の色も濃かったから」
黒い石の多い土地。植物にとって、根を張りやすい場所ではない。けれど青い花は、そこに根を伸ばしていた。石に残った魔力を利用するために。
「すごいな」
達也は青い花を見ていた。その隣で、高城は黒い石を手に取っていた。
「太田さん」
そこへ、別の声が入った。魔法運用研究班の千葉だった。
「これ、根の方も調べていいですか?」
「根?」
「ええ」
千葉は青い花そのものではなく、その根を見ていた。
「黒い石から魔力が移ってるなら、どこでそれが起きてるのか気になります」
「根から入ってる感じはします」
達也が言う。
「ですよね」
千葉が頷いた。
「じゃあ、根そのものに何かあるのかもしれない」
追加の試験が始まった。生きた株。根の一部。黒い石との接触。魔力の移動。条件を変えながら確認していく。そして。
「……通ってますね」
千葉が画面を見た。植物本体から切り離した根でも、条件によっては、黒い石から魔力が移動する反応が確認された。
「花が吸ってるだけじゃない?」
達也が聞く。
「その可能性が出てきました」
千葉は根を見る。
「根そのものに、黒い石から魔力を取り出しやすくする何かがあるのかもしれません」
「へえ……」
達也は根を覗き込んだ。
「だから、この石のところに根を伸ばすんですね」
「井上さん」
「はい?」
「たぶん今、私と見てるものが違います」
「そうなんですか?」
「たぶん」
千葉は研究室の隅へ歩いた。そこに置かれていたのは、一本の試作品。灰色の樹皮を持つ木から作られた杖だった。魔力を増やすものではない。ただ、魔力を通しやすい。千葉がそれを持って戻ってくる。
「高城さん」
「はい」
「この黒い石。魔力を中に残しやすい」
「そう感じます」
「太田さん。この根は、そこから魔力を取り出してる可能性がある」
「今の結果では、ですね」
「そして、この木は」
千葉が杖を見る。
「魔力を通しやすい」
黒い石。青い花の根。灰色の木。三つが同じ机の上に並んだ。
「……溜める」
千葉が黒い石を見る。
「取り出す」
青い花の根。
「通す」
灰色の木。太田も、その三つを見た。
「千葉さん」
「はい」
「何か考えてます?」
「まだ何も」
「その顔で?」
「まだ、何もです」
達也は青い花の根を見ていた。
「これ、根が石を探して伸びてるのかな」
千葉がそちらを見る。
「井上さん」
「はい?」
「やっぱり見てるものが違います」
「?」
達也には、よく分からなかった。ただ、二年前には分からなかったことが、今は少しだけ分かるようになった。以前なら「元気な花」としか分からなかったものの、その根の先が見えるようになった。黒い石から、青い花の根へ、魔力が流れている。その小さな発見が、何につながるのか。このときの達也は、まだ知らない。後に魔導具と呼ばれるものの原型は、まだどこにもなかった。
ただ、この日。魔力を溜めるもの。取り出すもの。通すもの。その三つが、初めて同じ机の上に並んだ。
お読みいただきありがとうございました。
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