第十六話「海の向こう」
第十六話「海の向こう」
昼休み。達也は、自分の席で弁当を食べながらスマートフォンを眺めていた。何気なく流していたショート動画の中に、海外のダンジョンらしき映像が混じっていた。画面の端に見慣れない赤紫色の植物が映ったところで、達也の指が止まる。
『Wait. Look at this plant.(待って。この植物を見てくれ)』
「へえ……」
探索者がしゃがみ込み、カメラを植物へ向ける。大きな赤紫色の葉。見たことのない形だった。
『I've never seen this one before.(これは見たことがない)』
『Don't touch it yet.(まだ触るな)』
『I know. I'm just looking.(分かってる。見てるだけだ)』
「そうそう」
「……何が?」
横から声がした。同僚が弁当を片手に画面を覗き込む。
「見たことない植物みたいです」
「海外?」
「みたいですね」
「海外の配信まで見てんの?」
「流れてきました」
「たまたま?」
「はい。いいの見つけました」
「いいのって何だよ」
「この草です」
「やっぱり草かよ」
画面の向こうでは、探索者が植物の周囲を撮影していた。葉。茎。根元。周囲の地面。
「葉の裏も見せてほしいな」
「海外の動画まで草ばっかり見てんの?」
「気になりません?」
「ならない」
「そうですか」
探索者は植物へ直接触れず、位置や周囲の様子を記録している。
「持って帰らないんだな」
「知らない植物ですからね」
「お前も?」
「危なそうなら、準備してからにします」
「へえ」
動画が終わると、同じ投稿者の動画がいくつか表示された。達也はそのうちの一つを開いた。
「ハマったな」
「続きがあるので」
「昼休み終わるまでに戻ってこいよ」
「会社にいますよ」
「そういう意味じゃねえよ」
次の動画でも、探索者たちは植物を調べていた。細長い棒状の機器を根元へ近づけ、小さな画面の数字を確認している。
「何だ、あれ」
「魔力を測ってるみたいですね」
「日本にもある?」
「似たのはあります」
『Higher near the roots.(根元の方が高い)』
『So the plant is storing it?(植物が蓄えているのか?)』
『Maybe. Or it grows where the concentration is high.(かもしれない。あるいは魔力濃度の高い場所に生えるのかも)』
「ちゃんと分けてる」
「何を?」
「植物が魔力を溜めてるのか、魔力が多いところに生えてるのか」
「同じじゃないの?」
「違いますよ」
達也は画面を指差した。
「前者なら植物の性質かもしれないですけど、後者なら場所の性質かもしれないので」
「へえ」
「別の場所にも同じ植物があるかとか、周りの土とか、他の植物とかも――」
「待て」
「はい?」
「俺、昼飯食ってるだけだから」
「はい」
「研究員じゃないから」
「知ってます」
「ならいい」
画面の向こうでは、探索者たちが写真を撮り、位置を記録している。達也は弁当を食べながら、その様子を眺めた。
「楽しそうだな」
「面白いですよ」
「草が?」
「草が」
「……お前も大概だな」
「そうですか?」
「そうだよ」
達也はもう一度、画面へ目を向けた。
「……どこにでもいるんですね」
「何が?」
「変なものばっかり見てる人」
「お前が言うな」
即答された。海外でも、知らないものを見つけて、調べて、記録している。日本で手探りの探索が続いていた二年間、当然、海の向こうでも同じ時間が流れていた。
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。
「井上」
「はい」
「終わり」
「今ちょうど葉の裏を――」
「仕事」
「はい」
達也はスマートフォンを伏せた。
ーーー
数日後。達也はJDAの植物研究室にいた。協力者として登録されてから、こうして研究室を訪れることも珍しくなくなった。週末を中心にダンジョンへ入り、植物を観察し、必要なら採取する。別の日には、研究班が調べた結果と自分の記録を照らし合わせ、気づいたことを話す。今日はその意見交換の日だった。
「そういえば、井上さん」
太田敬介がファイルを開きながら言った。
「先日の紫斑の草、追加の分析が始まってますよ」
「毒草の?」
「ええ。ただ、作用についてはまだ断定できません」
「麻痺じゃなかったですか?」
「その可能性はあります。ただ、筋肉に作用してるのか、神経系なのか、それとも魔物特有の何かに作用してるのか。そこまではまだですね」
「じゃあ、ノートもそのままでいいですね」
「そのままでお願いします」
達也は持ってきた100均ノートを開いた。【紫斑の草】のページには、こう書かれたままになっている。
毒性あり?
麻痺、痺れ等の可能性。
要検証。
まだ、書き換える必要はないらしい。
「それと、今日はもう一つあります」
「はい」
太田が別の資料を取り出した。画面にも、いくつもの植物の写真が表示される。
「海外の研究機関から共有された資料です」
「海外?」
達也が画面を見る。黄色い葉。異様に太い茎。半透明の花弁。地面を這う赤い根。
「これ、この前似た動画見ました」
「動画ですか?」
「昼休みに流れてきたんです。海外のダンジョンの」
「へえ。偶然?」
「はい。いい草だったので、何本か見ました」
「いい草」
「はい」
「……どういう基準です?」
「見たことない草です」
「なるほど」
太田は一度頷いた。
「井上さんらしい基準ですね」
「いい草でしたよ」
「そこは分かりました」
太田が画面へ視線を戻す。
「海外も、この二年で結構進んでますよ」
「植物も?」
「もちろん。むしろ見てください。結構面白いですよ」
「見ます」
即答だった。当然ながら、ダンジョンが現れたのは日本だけではない。各国で探索が始まり、適性を持つ者が現れ、研究が始まった。植物。鉱物。魔物。魔法。魔石。そして、ダンジョンそのもの。日本が手探りで進んできた二年間、海の向こうでも、同じ時間が流れていた。
「書き方、違いますね」
達也が資料を見比べる。
「ええ。国や研究機関によって違います」
一つの資料は、写真が大きく載せられていた。葉。茎。根。花。それぞれを別々の角度から撮影している。
「写真が最初なんですね」
「ええ。外見的特徴をかなり細かく分類してます」
「葉の裏まである」
「井上さんが好きそうですね」
「助かります」
別の資料を開く。今度は採取地点と周囲の環境が細かく記録されていた。地面の状態。周辺の植物。魔力濃度。発見された魔物。
「こっちは周りの情報が多いですね」
「その代わり、植物そのものの記録はさっきより簡単です」
「本当だ」
「見る人が違えば、欲しい情報も違いますからね」
「高城さんなら石を見る?」
「まず見るでしょうね」
「僕は草」
「知ってます」
太田が次の資料を出した。
「こっちは危険性の分類を優先してますね」
「毒とか?」
「毒性、接触したときの異常、胞子、魔物への影響。その辺です」
「同じ植物でも、見るところが違うんですね」
「そういうことです」
達也は並んだ資料を眺めた。写真を細かく残す人。周囲の環境を記録する人。魔力を測る人。危険性を調べる人。
「どれが正しいんです?」
「どれか一つに決めなくてもいいでしょう」
太田は資料を指先で軽く叩いた。
「使いやすいところは取り入れればいいんです」
「じゃあ、僕のノートも項目増えます?」
「増えるかもしれません」
「また早くなくなるな……」
「予算から出しますよ」
「百円ですよ?」
「そういう問題じゃありません」
「今は百十円ですけど」
「なおさらです」
太田は小さく息を吐いた。
「これ、日本の記録も向こうに行ってるんですか?」
「もちろんです」
「僕が見つけた植物も?」
「研究結果として整理したものは共有してますよ」
「赤い葉っぱも?」
「止血作用が確認されたところまで」
「灰色の木は?」
「加工しても魔力伝達性が大きく落ちなかった、という結果までですね」
達也は少し考えた。
「僕のノートも?」
「そのまま送ってるわけじゃありません」
「ですよね」
「研究班で確認できた内容と、まだ確認できてない内容を分けて共有してます」
「よかった」
「何がです?」
「僕の字、海外に行くのかと思って」
「そこは心配しなくて大丈夫です」
太田が笑った。
「海外から情報をもらうだけじゃありません。こっちで分かったことも向こうへ返してます」
「交換なんですね」
「そういうことです」
日本で見つかった植物を、海外の誰かが見る。海外で見つかった植物を、日本にいる達也が見る。同じ植物があるとは限らない。同じ環境とも限らない。それでも、似た現象が見つかることはある。
「それから、これ見てください」
画面に一枚の写真が拡大された。黒っぽい岩場。その隙間から、小さな白い花が群生している。
「この花自体は、今のところ特別な性質は見つかってません」
「普通の花?」
「今のところは。ただ、この花が群生している場所では、特定の鉱物が見つかる割合が高いそうです」
達也は写真を見つめた。
「目印になる?」
「かもしれません」
「青い花と黒い石みたいだ」
「私もそれを思いました」
第三階層で見つけた青い花。その周囲に多く存在していた黒い石。高城が触れたとき、魔力が中に留まりやすいような感覚があると言っていた。まだ、花と石に関係があるとは断定できていない。
「じゃあ、青い花も黒い石の目印になるんですか?」
「そこまではまだ。一ヶ所だけですから」
「ですよね」
「ただ、別の国でも似た例があるっていうのは面白いです」
「もう一回、別の場所でも探したくなりますね」
「ええ。青い花がある場所だけじゃなくて、黒い石がある場所に何が生えてるかも見たいですね」
「逆からも見るんですね」
「その方が確かめやすいでしょう」
達也は海外の白い花をもう一度見た。植物そのものには、今のところ特別な性質はない。それでも、その植物が生えていること自体に意味があるかもしれない。
「面白いですね」
「ええ」
太田が次の資料を開く。
「他にもありますよ」
「はい」
「魔物が避ける植物」
「見たいです」
次。
「周囲の魔力濃度によって葉の色が変化する可能性がある植物」
「それも」
次。
「一定の魔力を与えると花を閉じる植物」
「ちょっと待ってください」
「はい?」
「これ全部見るんですか?」
「井上さんが見たいかと思って」
「見たいです」
「じゃあ続けます」
「はい」
即答だった。太田が少し笑った。画面には次々と、達也の知らない植物が映し出されていく。
「これ、触ってみたいな」
「海外ですよ」
「遠いですね」
「遠いですね」
達也は画面の植物を見る。当然、何も伝わってこない。見た目から推測できることはある。けれど、それだけだ。
「画面越しだと、ただの植物好きです」
「ただの……」
「何です?」
「いえ」
「でも、だから向こうの人の記録が必要なんですね」
「そういうことです」
達也が直接、世界中のダンジョンへ行くことはできない。行く必要もない。その場所にいる人が見つける。調べる。記録する。そして共有する。日本からも、同じように返していく。
「向こうにもいるんですね」
「何がです?」
「植物ばっかり見てる人」
「いるでしょうね」
「動画の人も、ずっと植物撮ってました」
「井上さんと気が合いそうですね」
「たぶん」
達也は海外の資料を一枚めくった。知らない植物。知らない場所。知らない人が残した記録。形式も違えば、使っている言葉も違う。それでも。
『Unknown. Further investigation required.(不明。要検証)』
「……同じだ」
「何がです?」
「最後」
太田もそこを見る。
「ああ」
少しだけ笑った。
「そこは、どこでも同じでしょうね」
ーーー
その日の夜。達也は自宅でスマートフォンを眺めていた。昼休みに見つけて以来、ときどき覗くようになった海外探索者のページ。新しい動画が一本増えている。画面に映った赤紫色の葉を見て、達也はすぐに気づいた。
「これ、この前のだ」
同じ場所らしい。
『We came back with proper equipment today.(今日はちゃんと装備を持って戻ってきた)』
「戻ったんだ」
前回は採取しなかった植物。今回は容器や道具を準備して戻ってきたらしい。
『Don't touch it directly.(直接触るなよ)』
『I know.(分かってる)』
探索者がしゃがみ込み、慎重に植物へ近づく。最初に写真。周囲の地面。根元。茎。大きな赤紫色の葉。前回と同じように、一つずつ記録していく。そして探索者が、道具を使って葉を持ち上げた。
「おお……」
葉の裏側。そこには、小さな白い粒がびっしりと並んでいた。
『What is that...?(なんだ、これ……)』
「何だろう」
当然、答えは分からない。画面越しでは、植物親和は何も教えてくれない。向こうの探索者にも分からないらしい。白い粒へ直接触れることはせず、まず写真を撮る。大きさを測る。位置を記録する。用意してきた容器へ、慎重に試料を収める。
しばらくして、探索者が自分の記録をカメラへ見せた。
『Unknown. Needs further investigation.(不明。要検証)』
「やっぱり」
達也は笑った。机の上には、いつもの100均ノートが置かれている。
海の向こうにも。知らない植物の前でしゃがみ込み、分からないものを、分からないと書いている人がいた。
お読みいただきありがとうございました。
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