第十五話「毒草」
第十五話「毒草」
第三階層の林地。達也は今日も、地面にしゃがみ込んでいた。
「たっちゃん」
「なに?」
「それ、さっきも見なかったか?」
「違うよ」
「違うのか?」
「葉っぱの形が違う」
「……そうか」
健吾は大剣を肩に担ぎ直し、周囲へ視線を巡らせた。配信画面には、しゃがんで植物を眺めるトマトと、その後ろに立つ黒い面の男が映っている。達也が葉を覗き込むと、トマトのヘタも一緒になって前へ傾いた。
『今日も草』
『安定の草』
『面の人、完全に護衛じゃん』
『トマトの人がしゃがんだ瞬間に周り見るの慣れてるな』
「あ」
達也の手が止まった。配信画面でも、前へ傾いていたヘタがぴたりと止まる。
「ケンちゃん」
「どうした?」
「これ、ちょっと危ないかも」
健吾が足元を見る。
「毒か?」
「たぶん」
達也の前に生えているのは、膝ほどの高さの植物だった。細長い葉の表面に、紫色の斑点が散っている。茎は薄い緑色で、ところどころ白っぽい。達也は葉から茎、根元へと順番に観察する。それから採取用の道具を取り出し、葉を一枚切り取った。続いて茎へナイフを入れる。
「これ……」
「何かあったか?」
「白い液が出た」
切断面から、白い液体が滲み出していた。達也は液体に触れないよう気をつけながら、切り取った植物を確認する。伝わってくる感覚を、ゆっくり拾う。触れない方がいい。葉からも似た感覚はあるが、切断面から滲む白い液体は、それよりずっと強い。
「やっぱり、これが危ないみたい」
「太田さん行きだな」
「だね」
達也は採取した植物を容器へ入れた。そして、いつもの100均ノートを取り出す。
【紫斑の草】
第三階層林地。
葉に紫色の斑点。
茎を傷つけると白い液体。
毒性あり?
葉より茎の液体の方が強い感じ。
直接触れない。
詳細――要検証。
「よし」
ノートを閉じる。配信画面では、止まっていたヘタがふっと元へ戻った。
そのときだった。
「たっちゃん」
健吾の声が変わった。
「下がれ」
「うん」
達也が立ち上がる。数歩下がった直後、正面の茂みが大きく揺れた。低い唸り声。木々の間から、黒褐色の巨体が飛び出してくる。
「アーマーボアだ」
猪型の魔物。肩までの高さだけでも、達也の胸ほどある。頭部から背中にかけて硬い皮膚に覆われ、口元から太い牙が伸びている。健吾が大剣を構える。アーマーボアが前脚で地面を掻いた。次の瞬間――。
ドンッ!
地面を蹴り、巨体が一気に加速した。健吾の左手がわずかに動く。白い光が弾ける。アーマーボアが顔を逸らした。その横へ回り込み、大剣を振るう。
ガァンッ!
分厚い刃が硬い身体を捉えた。巨体が横へよろめく。だが、倒れない。
「硬いな」
『硬っ』
『今の食らって立ってるぞ』
『面の人の大剣だぞ!?』
『正面からじゃ厳しいか』
健吾が再び大剣を構えた。達也は少し離れた場所から周囲を見回す。剣を持って飛び込むより、できることがある。草。木。根。そして――。
達也の視線が左へ向いた。配信画面では、トマトのヘタも同じ方向へ傾く。
「あった」
地面を這うツタ。
『なんか見つけたぞ』
『草センサー仕事してる』
達也が手を伸ばそうとした、そのとき。別の茂みが大きく揺れた。
「ケンちゃん!」
「分かってる!」
二体目のアーマーボアが飛び出してくる。配信画面のヘタが、びくっと跳ねた。
「右!」
達也が右へ走った。太い牙が、そのすぐ後ろを薙ぐ。
『びっくりしてる場合じゃねえ!』
『二体いるぞ!』
健吾が二体の間へ入った。一体目が向きを変える。二体目も地面を蹴る。
「たっちゃん!」
「うん!」
達也が地面へ手をつく。近くを這っていたツタが動いた。地面を滑るように伸び、二体目の前脚へ絡みつく。ツタが張り詰める。アーマーボアの巨体が傾いた。それでも止まらない。ツタを引きずりながら前へ進む。土が削られた。
達也はそのままツタを伸ばす。少しでも動きが鈍ればいい。健吾が一体目の突進をかわす。白い光が弾けた。顔を背けたところへ、大剣が叩き込まれる。その間にも、二体目がツタを引きずって近づいてくる。
達也がツタの先を追った。その途中、紫色が目に入った。
「……あ」
さっきの草だ。同じものが、ここにも生えている。そのすぐ横をツタが通っていた。達也は紫斑の草を見る。ツタを見る。その先でもがいているアーマーボアを見る。配信画面では、トマトのヘタがぴんと立った。
『なんか思いついたな』
『嫌な予感しかしない』
「ケンちゃん!」
「なんだ!」
「さっきの毒草、使ってみる!」
「分かった!」
健吾が一体目の前へ出た。アーマーボアの突進を、大剣で受け流す。達也はツタへ意識を向ける。
(こっち)
一本が進路を変えた。紫斑の草へ絡みつく。
(引いて)
茎が折れた。白い液体が滲み出し、ツタの表面へ付着する。そのままアーマーボアの前脚へ。絡む。数秒。何も起こらない。
「……効かない?」
配信画面では、立っていたヘタがわずかに傾く。
「判断するには早い! そのまま押さえろ!」
「うん!」
達也はツタを維持する。アーマーボアが暴れた。ツタが引っ張られる。アーマーボアがもう一歩踏み出す。さらに一歩。そして、前脚が、がくりと落ちた。
「あ」
配信画面のヘタが、ぴんと立つ。もう一度踏み出そうとして、アーマーボアがよろめく。
「ケンちゃん!」
「見えてる!」
健吾が動いた。一体目の牙をかわし、その勢いのまま二体目へ踏み込む。体勢を崩して露出した首元。大剣を振り下ろす。
ズバンッ!
血が散った。アーマーボアの巨体が地面へ沈む。だが、まだ一体。残ったアーマーボアが健吾へ向き直った。
達也はすでに次のツタを見つけていた。地面へ手をつく。ツタが走る。アーマーボアの前脚へ。別の一本が紫斑の草へ伸びる。
「さっきと同じ! すぐには効かない!」
「了解!」
アーマーボアが地面を蹴った。
「効くまで止めるぞ!」
「うん!」
巨体が突進する。健吾が横へかわした。牙が、そのまま木の幹へ突っ込む。
バキィッ!!
太い幹が大きく抉れ、木の葉が頭上から降り注いだ。健吾は着地と同時に身体を返す。大剣を横から叩き込み、無理やり進路を変えた。
達也はツタを動かす。捕まえる。ただ、止める。毒が効くまで。アーマーボアが暴れる。ツタが張り詰める。さらに強く引かれ――。
ぶつり。
「あ」
一本が千切れた。配信画面では、トマトのヘタががくっと傾く。
『一本切れた!』
『まだ止まらんぞ!!』
『耐えろツタ!』
『もうちょいだろ!』
『面の人が時間稼いでる!』
「たっちゃん!」
「もう一本いく!」
別のツタが伸びた。今度は後脚へ絡みつく。アーマーボアが振りほどこうと身体を捻る。健吾が前へ出る。白い光が弾けた。アーマーボアが顔を背ける。
その間も、達也はツタを離さない。一歩。もう一歩。アーマーボアが前へ進む。
『まだ動く!』
『止めろ止めろ!』
『ツタ頑張れ!』
『効いてくれ!』
そして――。前脚が沈んだ。続いて後脚がもつれる。
『きた!!』
『効いた!』
『いけえええ!!』
配信画面のヘタが勢いよく立つ。
「ケンちゃん!」
「おう!」
白い光が弾ける。健吾が一気に踏み込んだ。大剣を振り抜く。
ズバァンッ!!
血が大きく飛び散った。アーマーボアの巨体が傾く。
ズズン――!
地面が震え、林の中へ重い音が響いた。静かになった。健吾は少しの間、そのまま大剣を構えていた。やがて。
「終わりだ」
「……効いたね」
配信画面では、張り詰めるように立っていたヘタが、ふっと元の位置へ戻った。
「ああ」
「魔物にも効くんだ」
「少なくとも、こいつらにはな」
達也は倒れた二体のアーマーボアを見る。
「他の魔物にも効くかな」
「それは次に調べろ」
「だね」
戦闘中、配信画面のコメント欄では大量の文字が流れ続けていた。
『毒草とツタ組み合わせた!?』
『草で状態異常入れたのか』
『二体目もう普通に同じことやってるw』
『いや連携おかしいだろ』
『草むしり(戦闘)』
『草むしりの概念が壊れる』
『面の人が時間稼いでトマトの人が草いじってんの絵面おかしいw』
倒れた二体のアーマーボアは、まだ地面に横たわっていた。傷口から流れた血も、そのまま残っている。達也はその間に、紫斑の草のそばへ戻った。しゃがみ込む。配信画面では、ヘタも一緒になって前へ傾いた。100均ノートを開く。
「最初におかしくなったの、前脚だったよね」
「ああ」
「二体とも?」
「二体ともだ」
達也がペンを走らせる。しばらくして、倒れたアーマーボアの輪郭が、少しずつ薄くなり始めた。黒褐色の毛も。地面に流れた血も。霧のように崩れ、魔素となって林の中へ散っていく。やがて二体の姿が完全に消える。そのうち一体が倒れていた場所に、小さな魔石が一つ残った。健吾はそれを拾い上げ、回収袋へ入れた。
【紫斑の草】の項目には、さっき書いた記録の下に、新しい行が増えていた。
アーマーボア二体で類似した反応。
付着後、しばらくして歩行に異常。
前脚に力が入りにくくなったように見える。
麻痺、痺れ等の可能性。
即効性ではない。
効果時間――不明。
他の魔物への効果――不明。
人体への影響――未確認。
試さない。
要検証。
達也は少し考えてから、一行を書き足した。
付着量、戦闘による負傷の影響――不明。
「……こんなところかな」
ノートを閉じる。顔を上げると、健吾もすでに大剣を担ぎ直していた。
「行けるか?」
「うん。あ、でも」
達也の視線が、林の奥へ向く。
「同じ草がある」
「記録してくか」
「うん」
達也はノートを持ったまま、次の紫斑の草へ向かった。
『ですよねー』
『戦闘終わった瞬間に草に戻るトマト』
『通常運転』
健吾も何も言わず、その後を追った。
ーーー
その日の午後。JDAの植物研究室。太田敬介は、採取容器の中に入った紫斑の草と、達也のノートの写しを交互に見ていた。
「アーマーボア二体で、似たような反応が出たんですね」
「はい」
「どちらも前脚から?」
「そう見えました」
太田は記録へ目を落とした。
「麻痺、痺れ等の可能性、と」
「はい。歩き方がおかしくなったので。ただ、戦闘中だったので他の影響もあるかもしれません」
「それで、この書き方ですか」
太田の指が、「麻痺、痺れ等の可能性。」という一行をなぞった。
「はい」
「いいと思います」
太田は採取容器を見る。
「効果が出るまでの時間は?」
「計れてなかったです」
「まあ、あの状況では無理でしょう。映像から確認します」
「お願いします」
太田はノートへ視線を戻した。正式な名前。毒性の有無。含まれている成分。どのような作用を起こすのか。どれくらいの量で作用するのか。効果が出るまでの時間。どれくらい持続するのか。どれも、これから調べることになる。
「しかし、これをツタと組み合わせましたか」
「近くにあったので」
「戦闘中に?」
「はい」
「……なるほど」
太田はもう一度ノートへ視線を落とした。そして、一番下の二行に目を留める。
人体への影響――未確認。
試さない。
「ここは非常に大事です」
「大事ですよね」
「ええ。絶対に試さないでください」
「試しませんよ」
「井上さんの場合、植物を見つけると距離が近いので」
「今日、似たようなこと言われました」
「でしょうね」
「そんなにですか?」
「そんなにです」
少し離れたところから、健吾の声も重なった。
「そんなにだ」
「二人とも?」
採取された植物は、そのまま毒性分析へ回されることになった。今日分かったことは多くない。紫色の斑点を持つ未知の植物がある。茎を傷つけると白い液体が出る。そして、その液体が付着したアーマーボア二体に、似たような歩行異常が起きた。それだけだった。
けれど、達也のノートには、また一つ「要検証」が増えた。
お読みいただきありがとうございました。
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