第二話「ケンちゃん」
第二話「ケンちゃん」
握りしめた草からは、まだ微かに土のにおいがしていた。
達也がその匂いを確かめるように何度も鼻を近づけていると、JDAの職員らしき人間が、クリップボード片手にこちらへ歩み寄ってきた。
「能力付与、確認しました。属性と特性、聞かせてもらってもいいですか」
「あ、はい。土属性で……植物、が付いたっぽいです」
「土属性、植物ですね。分かりました、記録しておきます」
職員は名前や社員番号を淡々と確認し、走り書きのようなメモを取ると、また次の適性者のところへと去っていった。誰も彼もが忙しなく動き回っている中、達也一人だけが、まだ状況を飲み込みきれずにその場に立っていた。
薄暗く、足元は苔と土でぬかるみ、頭上からはどこからともなく水滴が落ちてくる。この見知らぬ空間が、さっきまで自分がいた日常と地続きの場所なのだと、まだ実感が湧かなかった。
そんな時だった。
奥の方から、鎧のように分厚い防護装備を着けた人影が歩いてくるのが見えた。先ほどのJDA職員とは、明らかに装備の質が違う。腰には拳銃らしきホルスター、肩には無線機。警察のダンジョン担当――この一年、ニュースで何度も見た装備だった。
「能力の付与が確認された方ですね。念のため、状態を確認させてください」
フルフェイスの防護面越しに、くぐもった声が達也に向けられる。
「あ、はい。特に怪我とか、そういうのは……」
そう答えかけたとき、面の奥から、聞き覚えのある声が漏れた。
「――たっちゃん?」
達也は固まった。
「……ケンちゃん?」
面が持ち上げられる。中から現れたのは、幼馴染の足立健吾の顔だった。学生時代よりも少し引き締まった、日焼けした顔。目つきは記憶よりずっと鋭くなっていたが、それでも間違いなく健吾だった。
「うっそだろ、なんでお前がここにいるんだよ」
「それはこっちの台詞だよ。ケンちゃん、警察官になったって聞いてたけど……こんなところで何してるの」
「何って、仕事に決まってんだろ。この一年、ずっとダンジョン担当だ」
健吾は達也の頭からつま先まで、値踏みするように眺めた。
「お前、会社員だったよな。なんでダンジョンに」
「今日から強制だろ、検査。会社の人と一緒に来たんだよ」
「ああ、そうか。今日からだったな、民間人の分は」
健吾は面を小脇に抱えたまま、小さく息を吐いた。その表情には、達也が知らない一年分の疲れのようなものが滲んでいた。
ーーー
二人は、幼稚園からの付き合いだった。
家が近所同士で、小学校も中学校も同じ。高校を出てから道は分かれ、達也は地元の商社に就職し、健吾は警察学校へ進んだ。それでも年に何度かは飲みに行く仲だったが、ダンジョンが出来てからの一年は、すっかり疎遠になっていた。
「ケンちゃん、この一年、ずっとこっちにいたんだ」
「ダンジョンが出た日から、ほぼずっとな。最初の頃は本当に何も分かってなかった。マニュアルなんかどこにもない。手探りで、中に潜って、魔物を叩いて、人を助けて、その繰り返しだ」
「大変そうだね……」
「まぁな」
健吾は苦笑した。
「仲間が二人、殉職した。一人は二十五で、俺たちと同い年だ」
達也は言葉に詰まった。この一年、達也にとってのダンジョンは、あくまでテレビの向こうの出来事で、休憩室で交わされる噂話程度のものだった。だが健吾にとっては、そうではなかったのだ。
「……知らなかった」
「まあ、そういう仕事だからな、こっちは」
健吾はそう言って、達也の肩を軽く叩いた。深刻さを引きずらせないための、いつもの調子だった。
ーーー
「それで、たっちゃんは何の属性が付いたんだ」
健吾に聞かれて、達也は握ったままだった草を差し出した。
「これ。引っこ抜いたら、頭の中で声がして。土属性で、植物がどうとか」
「植物、ねえ」
健吾はその草をしげしげと眺めた。
「お前、昔から庭いじりばっかしてたもんな。ベランダでトマト育ててるって言ってたっけ」
「よく覚えてるね」
「休みのたびにその話ばっかしてたじゃねえか」
そこで達也は、ふと健吾の方を見た。
「そういうケンちゃんは? 何属性だったの?」
「光」
あまりにあっさりした返事に、達也は思わず聞き返した。
「光?」
「ああ。最初に魔物を倒したとき、手から光が出た」
「……なんか、ケンちゃんらしいな」
どういう意味だよ、と眉をひそめる健吾に「なんとなく」と返すと、「なんだそれ」と呆れられた。
軽口を叩き合いながらも、健吾の目は、どこか真剣だった。
「戦闘は、どうだった。魔物、倒したんだろ」
「ああ、うん……なんとか」
先ほどのスライムとの一戦を思い出し、達也は目を逸らした。
「なんとか、ってなんだよ」
「目つぶって振り回したら、たまたま当たった」
「……マジかよ。お前、絵に描いたような素人だな」
「うるさいな。ケンちゃんは違うの」
「俺は警察官として、ちゃんと鍛えてきたからな」
その言葉に、噓はなさそうだった。健吾の背中には、達也が持たされているのと同じ鉄の棒ではなく、使い込まれた大剣のようなものが背負われていた。聞けば、ダンジョンで採れた鉱石を使った剣だという。達也は、同僚が休憩室で話していた取引先のことを思い出した。健吾がこの一年で、どれだけの数の魔物と対峙してきたのか、達也には想像もつかなかった。
ーーー
「足立、次のエリアの警戒にいくぞ」
背後から、隊員の一人が健吾に呼びかけた。健吾と同じ装備に身を包んだ、少し年上らしい男だった。
「はい、今行きます」
健吾は面を被り直しながら、達也を振り返った。
「たっちゃん、これから研修が始まるはずだ。今日見つかった適性者は、何度か訓練施設に呼ばれることになる」
「そうなんだ」
「しっかりやれよ。今日みたいに目つぶって振り回すんじゃなくて、ちゃんと狙って当てられるくらいにはなっとけ」
いつもの軽口とは違う、低い声だった。仲間を二人失った人間の声だった。
「……分かったよ、ケンちゃん」
達也がそう答えると、健吾は小さく頷いた。面の奥で、少しだけ笑ったように見えた。
「じゃあな。また今度、飲みに行こうぜ」
そう言い残して、健吾は洞窟の奥へと歩いていった。分厚い装備の背中が暗闇に溶けて見えなくなるまで、達也はその場に立ち尽くしていた。
手の中の草からは、まだ土のにおいがしていた。
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