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第一話「そこにあったもの」

新連載スタートとなります。

周囲がカッコいい魔法に覚醒する中、ごく普通の会社員・達也が得たのは「草を抜いただけ」の地味な能力。

週末に100均ノートを持ってダンジョンへ入る彼のマイペースな観察日記が、なぜかデータベースの原点になってしまい――?

ゆるい観察生活と、周りの大きな勘違いをお楽しみください。応援よろしくお願いします!


ゆっくりペースの投稿になります。


第一話「そこにあったもの」




 その日、井上達也(いのうえたつや)は寝坊した。


 目覚まし時計を三回叩いて止めて、四回目でようやく身体を起こした。時刻は七時四十分。始業は九時。いつもより十五分遅い。あくびを嚙み殺し、ネクタイを締めながらリビングのテレビをつけた。


 トーストを咥えたまま、画面に映るテロップを見て、達也の手が止まった。


「――え?」


『速報 世界各地に謎の巨大構造物出現』


 テレビの中では、ビルほどの大きさの、黒くうねる岩の塊のようなものが、都心の交差点のど真ん中に映し出されていた。昨日までそこには何もなかったはずだ。達也は毎朝その交差点を通勤で通っている。


 アナウンサーの声は妙に淡々としていた。まだ誰も、何が起きたのか理解していない声だった。


「世界各地、およそ二百箇所以上で、同様の構造物が同時多発的に確認されており――」


 達也はトーストを飲み込んだ。喉に詰まって少しむせた。


 スマートフォンが震える。会社の同期からのメッセージだった。


『井上、今日仕事どころじゃないぞ、見てるか』

『うちの近くにもできてる。デカいのが』

『会社休みになるかな』


 その日は、休みにはならなかった。


 午前九時、会社に着いた達也が見たのは、いつもと変わらないオフィスの光景だった。上司は困惑した顔でテレビ会議の準備をしていたし、同僚たちはスマートフォンで各地の映像を見ながらひそひそと話していた。誰も仕事の手を止めていいとは言われていない。


 パソコンを立ち上げていると、隣の席の同期が呟いた。


「政府、まだ何も発表してないってさ。あれが何なのか、危険なのかどうかも」


「そりゃそうだろ」


 昨日まで存在しなかったものが、いきなり世界中に現れたのだ。誰にも分かるわけがない。


 それが、後に「ダンジョン」と呼ばれるようになる存在との、達也の最初の関わりだった。



ーーー



 最初の一週間は、ただの混乱だった。


 ダンジョンに近づいた人の何人かが、中に「入れる」ことが分かった。入った者の何人かは戻ってこなくなった。戻ってきた者の中には「変な光る石があった」「化け物に襲われた」と話す者もいれば、ただ震えて何も話せない者もいた。


 各国政府は、まるで示し合わせたかのように、同じ結論に達した。


 ――当面、ダンジョンへの立ち入りは、警察・自衛隊など、訓練を受けた公的機関の人間に限定する。


 民間人が無秩序にダンジョンへ足を踏み入れることは厳しく規制され、内部の探索・資源の採取・警戒は、すべて国家の管理下に置かれることになった。理由は単純だった。何が起きるか誰にも分からない場所に、一般市民を無防備に送り込むわけにはいかなかったからだ。


 達也の勤める会社にも、ダンジョン産資源に関する情報だけは回ってきた。だが、それを実際に扱うのはあくまで国であり、社員が直接ダンジョンに関わることはなかった。


「うちの取引先、ダンジョン産の鉱石扱い始めたらしいぞ」


「へえ。でも採ってきてるのは自衛隊なんだろ」


 休憩室で、そんな会話が交わされる程度のものだった。この頃のダンジョンは、達也たちにとって、あくまでテレビの向こう側の出来事だった。



ーーー



 その均衡が崩れたのは、ダンジョン出現からおよそ十ヶ月が経った頃だった。


『速報 ダンジョンより魔物が大量に地上へ流出、海外で大きな被害が―――』


 達也が休憩室のテレビで見たその報道は、東南アジアのある国からのものだった。山間部にあった、比較的小規模なダンジョン。監視の手薄だったその場所で、内部に発生する魔物の数が、誰も気づかないうちに膨れ上がっていた。そしてある日、境界を突き破るようにして、魔物たちが一斉に周辺の町へと溢れ出した。


 現れたのは、スライムのようなモノやネズミ型など、個体としては弱い魔物ばかりだったようだが、とにかく数が多すぎた。押し寄せる数に現地の治安部隊が対応しきれず、多数の死傷者と建物の被害が出た。国そのものが滅びるまでには至らなかったものの、それは世界で初めて大きく報じられた「魔物災害」だった。


 テレビの前で黙り込む社員たちの中から、誰かがぽつりと言った。


「……日本にも、こういうダンジョンって何個あるんだっけ」


「知らない。何個もあるんじゃないか、うちの近くのやつだけでも」


 別の誰かが答える声を、達也は聞いていた。それまで他人事だった単語が、急に現実味を帯びた瞬間だった。


 各国政府が出した結論は同じだった。


 世界中に、数え切れないほどのダンジョンが存在する。それらすべてを、限られた数の警察や自衛隊だけで監視し続けることは、物理的に不可能だ。どこか一箇所でも監視の目が行き届かなくなれば、同じ災害がいつでも起こりうる。


 人手が、絶対的に足りなかった。


 そのため、事件からほどなくして、世界のほぼ全ての国が、同時期に同じ決定を下した。


 ――適性者を、民間人の中からも見つけ出す。


 これは、単なる国家事業や労働力確保の話ではなかった。放置すれば人類そのものが脅かされかねない問題として扱われ、成人した国民全員に、適性検査の受診が義務付けられた。拒否権はなかった。



ーーー



 適性検査が始まったのは、ダンジョン出現からちょうど一年ほど経った頃。


 各国は検査の実施と、見つかった適性者の管理・育成のため、急ごしらえの機関を次々に立ち上げた。日本でも、JDA(ダンジョン開発機構)と呼ばれることになる組織が、この時期に発足している。


 方法は、拍子抜けするほど単純だった。ダンジョンの入り口とおぼしき、黒くうねる壁面に向かって、ただ歩いて近づく。それだけ。


 ある者は、壁の手前数十センチのところで、目に見えない何かに押し返されたように弾かれ、尻もちをついた。ある者は、何の抵抗もなくその黒い表面に吸い込まれるように消えていった。


 前者は「適性なし」。後者は「適性あり」。


 それが、この時代における適性検査のすべてだった。原理を説明できる人間は誰もいない。壁を通れた人間に共通する特徴も、まだ誰にも分かっていない。ただ「通れるか、通れないか」、それだけである。


 達也の勤める会社からも、数週間かけて全社員が適性検査を受けることになった。部署のグループごとに、近隣に出現したダンジョンへ向かう。


「なあ、これ、通れなかったらどうなるんだ?」


 道すがら達也が聞くと、隣を歩く同僚は気のない返事をした。


「さぁ? 多分、普通に仕事に戻されるだけじゃない?」


「俺、普通に仕事してたいよ」


 軽口のつもりでそう言うと、同僚が笑った。


「みんなそうだろ」


「……だよね」


(そういえば、今朝はベランダのプランター、水をやり忘れたな)


 トマトの苗が、まだ青い実をつけたまま、ベランダの手すり越しの風に揺れているのを思い出す。そんなことを思い出す余裕があるくらい、まだ実感が湧いていなかった。


 現地には既に、政府から派遣された職員と、装備を固めた自衛隊員らしき人間たちが立っていた。集まっていたのは、達也たちのような会社単位のグループだけではない。杖をついた老人もいれば、成人したてにしか見えない若者の姿もある。国からの要請は、成人した者であれば、会社や身分に関係ないらしい。物々しい空気の中、集まった人たちは一人ずつ番号を呼ばれ、黒い壁面に向かって歩いて行った。


 前を歩いていた同期が、壁の数十センチ手前で急に弾かれ、尻もちをついた。


「ってえ……!」


「はい、次の方」


 係の職員は、まるで何度も見た光景であるかのように、淡々と次を促した。


 達也の番が来た。


 特に何を意識したわけでもない。ただ、いつもの帰り道を歩くのと同じ足取りで、黒い壁に向かって歩いた。


 抵抗は、何もなかった。


 ぶつかる瞬間、怖くて目を閉じていた。まぶたの向こうで光が変わったのに気づいて目を開けると、達也は見たこともない薄暗い洞窟のような空間に立っていた。足元には見慣れない苔と、名前も分からない草が生えている。


「――は」


 間の抜けた声が漏れた。


 背後を振り返ると、入ってきたときと同じ、黒くうねる渦のようなものが揺らめいていた。壁でも扉でもない、あの入り口とそっくりの表面だ。


「……戻れそうだな、これなら」


 誰にともなく呟いたそのとき、耳の奥で――正確には、耳ではなく頭の中で、声とも文字ともつかない何かが響いた。


『第一段階の適性を確認しました』


 達也は思わず自分の頭を叩いた。何かのスピーカーでも仕込まれているのかと思ったが、周りに機械らしきものは何もない。同じように壁を通り抜けてきた適性者たちが、次々と洞窟内に現れては、同じように驚いた声を上げていた。


 しばらくして、中で待機していた自衛隊員たちが姿を現した。迷彩服に身を包んだ数人が、入ってきた適性者一人ひとりに、腰ほどの長さの鉄の棒――警棒によく似た、ずっしりと重みのある得物を手渡していく。


「これを持っていてください」


 達也にも一本渡された。冷たく、思ったより重い。渡してきた自衛官の胸元には「瀬戸(せと)」という名札があった。


「魔物が現れたら、素手でやり合うのは危険ですので、それで叩いてください。このエリア内であれば、能力が無くても適性者であれば倒せる魔物ばかりです。魔物を倒すと能力が付与される方がいますので、ここを出る時までお持ちください。ただし、これは貸与品ですので、出る時に回収します。もちろん、人に向かって振り回さないでください」


「付与されなかったら……」


 達也が聞き返すと、瀬戸自衛官は頷いた。


「はい。その場合は、周りの水や石、植物にも触れてみてください。このエリアに関しては、今お伝えしたものに毒性などは見つかっておりませんので、引っこ抜いてみても構いません。それで能力が付与されることもあります」


 淡々とそう言い残すと、瀬戸自衛官は次の適性者のところへ移っていった。


 達也は周囲を見回した。薄暗い洞窟の壁面には、見たこともない鉱石の粒が埋め込まれていた。とりあえず、とその一つに手を伸ばし、指先で触れてみる。


 何も起きなかった。頭の中の声も、光も、何もない。ただの冷たい石だった。


「……だよな」


 そこへ、洞窟の奥から、ぴちゃ、ぴちゃ、と何かが床を這うような音が響き、適性者の一人が悲鳴を上げた。


「な、なんか来る……!」


 現れたのは、握りこぶしを二つ合わせたほどの大きさの、青白く半透明な塊だった。表面をぷるぷると揺らしながら、ゆっくりとこちらへ這い寄ってくる。スライムだった。


「うわっ……!」


 達也は渡されたばかりの鉄の棒を、ろくに構えることもできないまま、目をつぶって闇雲に振り下ろした。


 狙ったわけでも、力加減を考えたわけでもない。ただ怖くて振り回しただけの一撃が、たまたまスライムの中心を捉えた。ぐしゃり、という思った以上に気持ちの悪い感触が、棒を通して腕まで伝わってくる。


「痛っ……いや、痛いのはこっちか」


 衝撃で痺れた手のひらをさすりながら目を開けると、スライムだったものは、ぺしゃんこに潰れて動かなくなっていた。


「……死んだ?」


 誰に聞くでもなく呟く。剣道をかじったこともなければ、喧嘩らしい喧嘩をしたこともない。魔物と戦うことなど、生まれて初めてだった。今のはただ、無我夢中で振った棒が、偶然すぎるくらい上手く当たっただけだ。


 肩で息をしながら、達也は頭の中に何かが響くのを待った。


 何も来なかった。


「……あれ、倒したのに、何も起きないな。付与無しか……」


 達也は手の中の鉄の棒を見つめた。


 その一方で、周囲では別の反応が起き始めていた。


「お……おお、腹の奥が、なんだか熱いのう」


 少し離れた場所で、足元に寄ってきた小さなネズミ型の魔物と睨み合っていた白髪頭の老人が、自分の腹に手を当てて呟いた。丹田のあたりがじんわりと熱を持っているという。老人が鉄の棒でそのネズミを叩き潰した瞬間、頭の中に声が響いたらしく、大きく目を見開いた。


「……火、ということか?」


 別の場所では、スライムとの争いの最中に足を滑らせて水たまりに手をついた、まだ十八かそこらに見える若者が、触れた瞬間に声を上げていた。


「うわ、水!? ……なんだこれ、水属性だって!」


 こちらは魔物を倒す前だった。ただ水に触れただけで、頭の中に付与のアナウンスが響いたらしい。


 さらに別の場所では、中年の女性が、洞窟の奥から吹き込んでくるはずのない風を頬に感じ、戸惑った顔をしていた。


「今、風、吹かなかった……? 気のせいかな」


 そう言いながら、近づいてきたネズミ型の魔物を棒で叩くと、彼女もまた声を上げた。


「風属性、来た……!」


 そして少し先では、闇の中でも妙にはっきりと物が見えると首をかしげていた、達也と同年代くらいの男が、スライムを叩き潰した瞬間に「光だ」と呟いていた。彼だけは薄暗い洞窟の中でも、まるで昼間の屋外にいるかのように、隅々まではっきりと見えているのだという。


 それぞれ違う反応。違う付与。


 達也は自分の手のひらと、返却するはずの鉄の棒を見比べた。腹も熱くならないし、水にも触れていない。風も感じないし、暗闇は普通に暗い。


「俺、何もないな……」


 誰も答えを持っていなかった。


 肩の力を抜き、ふと足元に目をやる。スライムとの争いで踏み荒らされた地面に、名前の分からない雑草が生えていた。特に理由はなかった。ただ何となく、手持ち無沙汰だったからだ。


 達也はしゃがみ込み、その草の根元を掴んで、引っこ抜いた。


 その瞬間。


 頭の中に、はっきりとした声が響いた。


『行動を確認しました。能力を付与します――属性・土。特性・植物親和』


 達也は、抜いた草を握りしめたまま固まった。


「……は?」


 握った草の断面から、土のにおいが妙に生々しく立ち上ってくる気がした。それだけでなく、その草がどれくらいの水を欲しがっていたか、根がどんな土質を好んでいたか――そんなことが、説明もされていないのに、なぜか分かる気がした。


「いや……草、引っこ抜いただけなんだけどな」


 自分の掌を見つめながら、誰にともなく呟く。


 その言葉に嘘はなかった。


 このとき達也はまだ知らない。自分が今握っている一本の草が、後にダンジョン植物の初期記録の一つとして残ることを。そして、そのデータベースを見た後世の研究者たちが、口を揃えてこう言うことも。


 ――なぜ最初の記録が、こんな雑草なんだ。


 もちろん、達也はそんな未来など知る由もなかった。


 握りしめた草は、達也の掌の中で、まだ微かに土のにおいを放っていた。






お読みいただきありがとうございました。

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