第十二話「繋がる観察記録」
第十二話「繋がる観察記録」
一本の細長い木材を、大人たちが真剣な顔で囲んでいた。
「……最終加工サンプル、測定終わりました」
JDA研究棟。若い研究員の声とともに、モニターへ数字が並ぶ。
「乾燥前と比較して、魔力伝達に大きな低下はありません。加工後も同様です」
「長さ六十センチ。表面研磨済み。枝葉はすべて除去?」
「はい」
「含水率は?」
「こちらです」
資料が回される。植物研究班の主任である太田敬介は、それを確認してから隣の男へ渡した。
「千葉さん」
「ええ。実際に試してみましょう」
受け取ったのは、魔法運用研究班主任の千葉昌樹だった。机の中央には、問題の試作品が置かれている。余計な枝を落とし、表面を滑らかに削っただけの細長い木材。特別な装飾はない。魔石もついていない。千葉がそれを手に取った。
「まず、比較から」
「はい」
魔法運用を担当する職員が前へ出た。何も持たず、右手を前へ向ける。意識を集中させると、手のひらの前に小さな光が灯った。
「そのまま維持してください」
「はい」
測定機器の数字が動く。
「記録しました」
「では、次を」
一度、光が消える。今度は例の木材が渡された。
「同じ程度の出力を意識してください」
「分かりました」
職員が片端を握る。魔力を流した。木材の先端に、小さな光が灯る。
「……おお」
誰かが声を漏らした。先ほどより光が強いわけではない。大きくなったわけでもない。
「どうです?」
「……楽ですね」
「出力が?」
「いえ」
職員は首を横に振った。
「強くなった感じはしません。ただ……」
木材を少し横へ向ける。先端の光も一緒に動いた。
「素手だと、手のひらから魔力が広がっていく感じがするんです。でも、これは先端まで流れてくれるというか」
「方向を意識しやすい?」
「はい。それです」
もう一度消す。灯す。消す。灯す。何度か繰り返してから、職員が頷いた。
「再現もしやすいです」
研究員たちの手が一斉に動いた。
「出力の増幅ではないな」
「魔力を導く道具、と考えた方が近いかもしれません」
「長さによる違いも確認したいですね」
「樹齢でも変わるかもしれない」
「加工方法による差も見たいですね」
次々と意見が飛び交う中、一人の若い研究員が試作品をじっと見ていた。
「……あの」
「何です?」
「これ、杖ですよね」
「杖?」
「ほら。魔法使いが持ってる」
室内が静かになった。全員の視線が、細長い木材へ集まる。
「……」
「……まあ」
「確かに」
「杖ですね」
「でも、正式名称に杖はちょっと」
「魔力伝達補助器具?」
「長いですね」
「魔力伝達用携行媒体」
「もっと長くなりましたよ」
「……杖でよくないですか?」
太田が眼鏡の位置を直した。
「名称については、後で検討しましょう」
その日から、研究棟の一部では、その試作品を「杖」と呼ぶ人間が少しずつ増え始めた。
ーーー
「以前、井上さんが見つけた木、覚えていますか?」
「木?」
数日後、JDAへ呼ばれた達也は、太田の前で首を傾げていた。
「灰色の樹皮で、葉が細長いものです」
「ああ」
それだけで思い出した。
「魔力が通りやすかった木ですよね」
「それです」
太田が机の上へ、一冊のファイルを置いた。
「井上さんが最初に持ち込んだ枝を調べたところ、確かに他の樹木とは違う性質が確認されました。それで自生地点を再調査して、追加のサンプルを採取したんです」
「ちゃんと違ったんですね」
「ええ。そこから魔法運用研究班や加工技術の担当にも協力してもらいました。乾燥させたり、削ったり、長さを変えたり。いろいろ試しています」
「そこまでやったんですか」
「やりました。一年かけて」
「……結構かかりましたね」
「かかるんですよ、研究は」
「お疲れさまです」
「ありがとうございます」
太田が小さく息を吐いた。
「それで、ようやく一つの形になりました」
机の横に置かれていた細長いケースを引き寄せる。留め具を外した。
カチッ。
「どうぞ」
蓋が開く。中には、表面を滑らかに加工された細長い木製の道具が収められていた。
「今のところ、研究棟では杖と呼ばれています」
「杖……」
達也はケースの中を眺めた。言われてみれば、確かにそれらしい。
「これを通して魔力を使うと、魔力を先端方向へ流しやすくなります」
「強くなるんですか?」
「今のところ、単純な出力増幅は確認されていません。魔力を狙った方向へ導きやすくする道具、と考えた方が近いですね」
「じゃあ、使いやすくなる?」
「ええ。その表現が一番近いです」
太田が杖を取り出す。
「触ってみますか?」
「いいんですか?」
「もちろんです。そのために呼びましたから」
達也は杖を受け取った。表面を指でなぞる。乾いている。当然だ。切り出されてから、かなり時間が経っている。ほんの少し魔力を流してみる。
「……あ」
「分かりますか?」
「まだ通りやすい」
すっと魔力が先へ抜けていく。最初に森で触れたときと同じ感覚だった。生木ではない。枝も葉もない。乾燥して、削られている。それなのに。
「これ、乾燥してから結構経ってますよね?」
「長いものでは一年近くになります」
「削っても変わらなかった?」
「ええ。大きな低下は確認されていません」
「へえ……」
達也は手の中の杖を眺めた。少し考える。
「じゃあ、生きてるからじゃないのか」
達也の呟きに、太田の手が止まった。
「……と言いますと?」
「植物って、生きてるときと枯れた後で変わるじゃないですか」
「ええ」
「でも、切って、乾かして、削って。それでも魔力が通りやすいままなら……生きてるから持ってる性質じゃないのかなって」
太田は手元の杖を見る。
「……なるほど」
それから資料へ視線を落とし、何かを書き込んだ。
「その点は、まだ詳しく調べていませんでした」
「じゃあ、分からない?」
「現時点では」
「そっか」
達也はもう一度、手の中の杖を見る。乾燥して、削られて。元の木とは、ずいぶん姿が変わっている。それでも、魔力は通りやすい。
「不思議ですね」
「ええ。調べてみます」
「お願いします」
達也は杖を太田へ返した。太田はそれを受け取り、ケースへ戻そうとして――ふと尋ねる。
「井上さんも一本、使ってみますか?」
「僕が?」
「ええ。発見者ですし、実際に魔力も扱えますから」
達也はケースの中の杖を見る。少し考えた。
「……いらないです」
「いらない?」
「片手が塞がるので」
「はあ」
「植物を触るのに邪魔です」
「…………」
太田は黙って杖をケースへ戻した。
「そうですか」
「でも、便利だと思いますよ」
「ありがとうございます」
「魔法を使う人には」
「井上さんも魔力を使いますよね?」
「僕は植物を触る方が多いので」
「……そうでしたね」
カチリとケースが閉じられた。
ーーー
その日の夜。自宅へ戻った達也は、机に向かっていた。机の上には、何冊かの100均ノートが積まれている。
達也は一番下から一冊目を抜き出した。表紙は少しくたびれ、何度も開いた跡が残っている。ページをめくっていく。
水が多め。日陰が好きそう。食べられるかもしれない。不明。要検証。
最初の頃に書いた記録は、今よりずっと簡単だった。思いついたことをそのまま書き、同じ植物のことがあちこちのページに散らばっている。二冊目、三冊目と進むうちに、見出しの付け方や項目の並べ方が自然と決まっていき、今では一ページにまとめられる量もずいぶん増えた。最初の一冊があっという間に埋まったのが、嘘のようだった。
やがて、目的のページが見つかる。
【灰色の樹皮、細長い葉の木】
魔力を流した際、内部への伝達が非常に速い。
他の樹木より抵抗が少ない可能性あり。
用途――不明。要検証。
「……これか」
一年前。健吾と一緒に潜ったときに見つけた木だ。触ってみたら、他の木より魔力が通りやすかった。だから枝を一本持ち帰った。そのときは、それだけだった。
達也はボールペンを手に取った。古い記録の下へ、今日の日付を書く。そして、その続きを書き足した。
JDAにて魔力伝達補助具として試作。
加工後・乾燥後も性質を維持。
魔力を先端方向へ流しやすくなる。
出力そのものの増加は、現時点では確認されていない。
少し考えて、もう一行。
通称――杖。
「……杖、か」
改めて文字にすると、妙にそれらしく見えた。達也は最初に書いた一文へ目を戻す。
用途――不明。要検証。
その横へ、小さく書き足した。
用途――魔力伝達補助具として利用可能。
「よし」
一年前には分からなかったことが、一つ分かった。達也はペンを置こうとして――止めた。
今日、杖を触ったときのことを思い出す。切られている。乾燥している。削られている。それでも、魔力の通りやすさは残っていた。達也は再びペンを動かした。
乾燥・加工後も性質が残る理由――不明。
その下に。
要検証。
「…………」
一つ減ったと思ったのに、また一つ増えた。達也はしばらくその文字を眺めてから、古いノートを閉じた。そして、積まれた一番上の、今使っているノートを開く。まだ白いページが残っている。
一年前、森の中で一本の木に触れた。気になったから、ノートに書いた。その記録を太田が調べた。別の研究班へ渡った。技術者が加工した。何度も試された。そして今日、一本の杖になって戻ってきた。
「……面白いな」
達也は小さく呟いた。次の週末には、また何か見つかるかもしれない。それが何になるのかは、今はまだ分からない。
達也は、まだ何も書かれていないページをめくった。
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