第十一話「炎の剣士」
第十一話「炎の剣士」
ダンジョンが発生してから、二年。
第三階層の森林に、爆音が響き渡った。
ドンッ!
「ハァッ!」
振り抜かれた西洋剣が、赤い炎を引いて宙を薙ぐ。だが、その一撃を大きな影がひらりと跳んでかわした。
「またっ……!」
配信映像の中で、鮮やかな赤い髪が大きく揺れる。頭からつま先まで作り込まれた全身アバターだった。炎のように揺れる赤髪に、同じく赤を基調とした鎧。動きを邪魔しないスカートの下には脚部を守る防具があり、肘や膝にもプロテクターがついている。可愛らしさを残しながらも、戦うための装備であることが一目で分かる姿だった。
そのアバターを使っている探索者――花村幸は、両手で西洋剣を握り直した。
対峙しているのは、二メートルを超える猿型の魔物。岩のような灰褐色の皮膚に、太い両腕。JDAによって、アースエイプと名付けられた個体だった。
『花ちゃん落ち着いて!』
『アースエイプ速いな』
『動画で見るよりでかくね?』
『一回距離取った方がいいぞ!』
ちらりとコメント欄を見る。
(分かってる……!)
幸も、そうしたかった。
大学へ入学して間もなく適性が確認され、ダンジョンへ入るようになった。それから、JDAが公開している資料や実働部隊の戦闘映像を何度も見た。アースエイプについても、初めて見る魔物ではない。腕を大きく振り回した後、一度距離を取る。そこで生まれる隙へ攻撃を入れる。映像では、そうだった。
「ガアアアッ!」
「っ!」
ブォンッ!
横薙ぎの腕を、幸が剣で受ける。
ガキンッ!
重い。腕が痺れる。それでも、なんとか受け流した。
(ここ!)
すぐさま踏み込む。剣に炎がまとわりついた。
「ハァッ!」
赤い軌跡を残して、刃がアースエイプの脇腹を斬る。浅い。それでも一撃は入った。
(次は距離を――)
取る。そう思った瞬間。
ドンッ!
アースエイプが地面を蹴った。
「えっ」
離れない。
(JDAの動画じゃ、この攻撃の後は一度距離を取ってたのに……!)
太い腕が迫る。幸は咄嗟に剣を立てた。直後。
ドガッ!
身体が浮いた。
「きゃっ!」
受け止めきれない。吹き飛ばされた身体が、岩壁へ叩きつけられる。
ドンッ!
「う、くっ……!」
息が詰まる。剣を手放さなかったのは、ほとんど意地だった。立たなければ。そう思うのに、身体がすぐには動かない。アースエイプが、じりじりと幸へ近づいてくる。
『花ちゃん逃げて!』
『立てる!?』
『これヤバいって』
『救援呼んで!!』
(動いて……!)
巨大な腕が持ち上がった。その瞬間。
パァンッ!
白い光が爆ぜた。
「ガアッ!?」
アースエイプが両目を押さえ、よろめく。
「大丈夫か!」
男の声がした。幸の前へ、大剣を持った男が滑り込む。
「え……あ、はい!」
突然現れた男は、幸とアースエイプの間に立ったまま、背後へ声を飛ばした。
「たっちゃん! 足止め!」
「うん!」
返事はすぐだった。幸が声のした方を見ると、少し離れた場所にもう一人の青年がいた。大剣の男とは違い、大きな武器を構えてはいない。それどころか、剣を抜こうともしなかった。
(何を……?)
青年の視線が、素早く周囲を走る。木々の間。地面。そして、アースエイプ。
配信画面では、青年の頭を覆うトマトのヘタが木々の間へ傾いていた。だが、それを見ることができるのは配信を見ている視聴者だけだ。幸の目に映っているのは、探索用の装備を身につけた一人の青年にすぎない。
青年がアースエイプへ視線を戻す。次の瞬間。
ザザッ!
地面を這っていた黒いツタが跳ねた。
「えっ!?」
一本目がアースエイプの足首へ巻きつく。
「ガアッ!?」
振りほどこうとした腕へ、二本目。さらに背後から伸びたツタが胴へ回り込む。
ギチッ。
巨体を締め上げた。
(植物……!?)
「ガアアアッ!」
アースエイプが力任せに腕を振る。
ブチッ!
一本のツタが引き千切られた。
「たっちゃん!」
「まだ大丈夫!」
青年は逃げない。アースエイプを見たまま答える。巻きついた別のツタから、細い棘が伸びた。棘が岩のような皮膚へ食い込む。
「ガッ……!」
巨体の動きが、わずかに鈍った。同時に。
ギチ、ギチッ。
ツタが目に見えて太くなっていく。配信画面では、トマトのヘタがぴんと立った。
「……やっぱり吸ってる」
「何を!?」
大剣の男が叫ぶ。
「たぶん魔力。体液もかもしれない」
「それ先に言えよ!」
「今確認できたから!」
「そういうことかよ!」
(何の話……?)
幸には、二人が何を確認しているのか分からない。ただ、青年が何かをした。それに反応するように、植物が動いている。しかも。
(速い……)
大剣の男が指示を出してから、ほとんど間がなかった。何をすればいいのか聞き返しもしない。何を使うか迷う様子すらない。すぐに周囲から植物を見つけ、アースエイプを拘束した。まるで最初から、自分が何をすればいいのか分かっていたように。
さらにツタが伸びる。腕。胴。脚。暴れるアースエイプへ次々と絡みつき、吸収するほどに太くなっていく。やがて。
ズンッ。
アースエイプの片膝が地面についた。
『連携はやっ!!』
『面が光らせた瞬間もうツタ動いてたぞ』
『この二人慣れすぎだろ』
『トマト何もしてないように見えるのに草』
『草じゃなくてツタです』
『ツタこわ』
「ケンちゃん!」
「ああ!」
(……ケンちゃん?)
幸の中で、何かが引っかかった。どこかで聞いたことがある。しかも、何度も。けれど、今は考えている場合ではない。
返事と同時に、大剣の男が地面を蹴った。
ダンッ!
拘束されたアースエイプが顔を上げる。
「ガッ――!」
だが、遅い。ツタに締め上げられた腕は動かない。脚も地面から離れない。男が一気に間合いへ踏み込む。振り上げた大剣が、アースエイプの首元へ叩き込まれた。
ズバンッ!
一撃。巨体から力が抜ける。それでも男は剣を下ろさなかった。数歩退き、大剣を構えたまま様子を見る。動かない。ツタに絡まれた巨体が、ズズン、と地面へ倒れた。
「……よし」
そこで初めて、男が構えを解いた。
しばらくして、倒れたアースエイプの輪郭が、少しずつ薄くなり始めた。すぐに消えるわけではない。黒い毛が。巨体が。地面に流れた血が。少しずつ細かな光の粒へ変わり、霧のように崩れていく。最後にはそのすべてが魔素となって、林の中へ散っていった。魔物が死ねば、その肉体は基本的に魔素へ還る。ただし、それには少し時間がかかる。やがて、そこには何も残らなくなった。
「終わったぞ」
「うん」
青年も息を吐いた。配信画面では、張っていたトマトのヘタが、ふっと元の位置へ戻った。
『つっよ』
『面の人の安心感すごい』
『トマト拘束→面が仕留めるの綺麗だな』
『役割分担できすぎだろ』
『この二人慣れてるな』
幸は呆然と二人を見ていた。
強い。大剣の男だけではない。もう一人の青年も、アースエイプを倒したわけではない。けれど、青年がツタを動かさなければ、あれほど簡単には仕留められなかったはずだ。大剣の男が魔物の前に立つ。青年が動きを止める。動けなくなったところを、大剣の男が仕留める。交わした言葉は驚くほど少なかった。それなのに、互いが何をするのか分かっているようだった。
(たっちゃん……ケンちゃん……)
やはり聞き覚えがある。どこで――。そこまで考えたところで、青年がアースエイプの消えた場所へ歩き出した。
「……やっぱり太くなってる」
「たっちゃん」
「見るだけ」
「待て」
「え?」
大剣の男が親指で幸を示した。
「先に怪我人」
「あ」
青年がこちらを見る。
「……そうだった」
「忘れんな!」
男が青年の頭を軽く叩く。
「痛いなあ」
「怪我人忘れて草見に行く奴があるか」
「草じゃなくてツタだよ」
「そこじゃねえよ!」
「…………」
幸は青年を見つめた。植物。戦闘が終わった途端、そちらへ行く。たっちゃん。ケンちゃん。
(……まさか)
『あ』
『花ちゃん?』
『今の顔w』
『もしかして気づいた?』
『ケンちゃんで繋がったか?』
「あ、あの……」
幸は慌てて声を出した。
「助けていただいて、本当にありがとうございました!」
「いや、こっちこそごめんね」
「だからなんで助けた側が謝ってるんだよ」
大剣の男が呆れながら幸のところへ向かった。
「立てるか?」
「はい……たぶん」
「無理するな」
男が手を差し出す。幸はその手を借り、ゆっくりと立ち上がった。
「どこか痛むところは?」
「背中と……右手首が少し」
「頭は打ったか?」
「たぶん大丈夫です」
「吐き気は?」
「ありません」
「目眩は?」
「それも大丈夫です」
「分かった」
男は幸の様子を確認してから、はっきりと言った。
「今日はここまでだな」
「えっ」
「岩壁に叩きつけられてるんだ。探索続行はなし」
「でも、まだ動けます」
「動けるのと、探索を続けていいのは別だ」
「……はい」
幸が少しだけ肩を落とした。
「右手、まだ痛む?」
青年に言われ、幸は自分の手首を見る。
「少しだけ。吹き飛ばされたときに捻ったみたいで」
「指は動くか?」
男が尋ねる。
「はい」
「手首は?」
幸がゆっくり動かす。
「ちょっと痛いですけど、動かせます」
「痺れは?」
「ないです」
「……これ、使ってみる?」
青年が腰のポーチを探り始めた。取り出したのは、手のひらに収まるほどの白い円形容器だった。簡素なプラスチック製で、蓋にはJDAの管理番号と『外傷用・試験運用』のラベルが貼られている。
「外傷用の塗り薬。痛みも楽になると思う」
「あ、ありがとうございます!」
幸は受け取り――。ラベルを見たところで止まった。
「……え?」
「どうしたの?」
「これ……」
幸は容器と青年を交互に見る。
「トマトの人が見つけた植物から作られた薬ですよね?」
「ああ……」
青年が一瞬、男を見る。男は、すっと視線を逸らした。
「……そうらしいね」
『そうらしいねwww』
『お前だよ』
『なんで他人事なんだよw』
『発見者から直接渡されてるぞ』
『これはもう無理だろw』
「これ、まだ一般向けは数が少ないんですよ!」
「そうなの?」
「はい。私も一度使ってみたかったんです」
「へえ……」
「……お前が知らないのかよ」
男が呆れた声を出す。
「だって、僕はJDAから支給されてるから」
「支給?」
幸が顔を上げる。
「あ」
青年が固まった。
『言ったw』
『トマトwww』
『自分から情報を足すなw』
『花ちゃんもう答え合わせしてるだろ』
男がすぐに口を挟んだ。
「こいつ、植物関係でJDAに協力してるんだよ。だから試験運用の道具が回ってくることがある」
「ああ……」
幸が頷く。そして、青年を見る。
「なるほど」
「……うん。そんな感じ」
配信画面では、トマトのヘタが所在なさげに揺れていた。
「と、とりあえず使ってみて」
「はい」
幸は蓋を開けた。中には、薄く色のついた軟膏が入っている。説明を確認してから、痛む手首へ薄く塗った。少し待ってから、幸が目を瞬かせる。
「あれ……?」
「どう?」
幸は恐る恐る手首を曲げる。
「……痛みが、さっきより楽です」
「そっか。ならよかった」
幸がもう一度動かそうとして――。
「動かしすぎるなよ」
男に止められた。
「あ」
「痛みが楽になったからって、捻ったところまで治ったとは限らないからな」
「……はい」
「今日は探索終了。それは変わらんぞ」
「分かりました……」
幸は素直に手を下ろした。そして、手の中の小さな容器を見つめる。
「すごい……」
「薬にした人たちがすごいんだよ」
青年が言った。
「見つけただけじゃ、こうはならないから」
「あ……そっか」
幸は手の中の容器を見る。
「効果を調べたり、安全に使えるようにしたり。いろんな人が関わってるから」
「誰かが見つけたものが、こうやって次の人に使われるようになるんですね」
「うん」
「なんか、いいですね」
「そうだね」
青年は、ごく普通に頷いた。その様子を、幸は少しだけ見つめていた。
やがて青年の視線が、また黒いツタへ向く。そして、腰のポーチへ手が伸びた。
「たっちゃん」
「……なに?」
「今度はいいぞ」
「ほんと?」
「ああ。もう終わったからな」
「ありがとう」
「なんで俺に礼言うんだよ」
青年はすぐにノートを取り出した。
(ノート……)
幸の目が、わずかに見開かれる。青年は慣れた手つきでページを開いた。
【黒い棘のツタ】
生物へ巻きつく。
棘から何かを吸収している。
魔力の可能性が高い。体液については未確認。
吸収後、茎が太くなる。
大型の魔物にも使用可能。
一本だけでは切られる場合あり。
人に対する危険性――要注意。
詳細――要検証。
「よし」
「…………」
「どうしたの?」
「い、いえ!」
(要検証)
植物。ケンちゃん。JDAから支給される、植物由来の試験薬。ノート。そして――要検証。
(……やっぱり)
幸の中で、さっきから引っかかっていたものが、一つに繋がった。目の前にいる二人は、配信で見慣れた姿とはまったく違う。けれど、それは幸だって同じだった。
「…………」
黙り込んだまま見つめてくる幸に、青年がまた首を傾げる。
「やっぱり、どうかした?」
「いえ!」
幸はぶんぶんと首を横に振った。
「なんでもないです!」
「そう?」
「はい!」
返事が妙に元気だった。それから、幸の視線が青年からなかなか離れなくなった。きらきらとした目で、じっと見ている。
「……?」
青年が少しだけ居心地悪そうに身じろぎした。
『目www』
『花ちゃん目が輝いてるぞ』
『完全に気づいたな』
『推しが目の前にいる顔してるw』
『トマト「?」なの草』
「一人でここまで来たのか?」
男が尋ねた。
「はい!」
答えながらも、幸がちらりと青年を見る。
「この辺から魔物も強くなるぞ」
「……分かってたつもりだったんですけど」
幸が少し俯く。
「アースエイプも、JDAの動画を何度も見てました。攻撃の後にどう動くかとか、どこを狙えばいいかとか」
「それで一人で?」
「一緒に潜れる人も探したんです。でも、友達はみんな適性がなくて」
幸は少し言いにくそうに続ける。
「募集も見たんですけど……男の人だけのパーティーに一人で入るのは、ちょっと怖くて」
「ああ」
男はそれ以上聞かなかった。
「でも、動画があるので」
幸が顔を上げる。
「JDAの実働部隊の方たちが出してる戦闘映像とか、解説とか。すっごく参考になるんです」
「へえ」
「昔は魔物の名前すらなかったって聞いて、びっくりしました」
「まあ、最初は見たまんま呼んでたからな」
「そうなんですか?」
「そんなもんだよ」
「やっぱり、長く潜ってる方なんですね!」
「まあ、それなりにな」
幸が感心したように頷く。
「私、もっと勉強しないとなぁ……」
「動画を見るのは悪くないぞ」
男が言った。
「今日だって、基本の動きはできてた」
「本当ですか?」
「ああ。剣の扱いも、まったくの素人って感じじゃなかったしな」
「あ、それは……私、中学と高校で剣道をやってたんです」
「なるほどな」
男が納得したように頷く。
「だから間合いの取り方がそれなりにできてたのか」
「でも、西洋剣って全然違いますね」
幸は自分の剣へ視線を落とした。
「最初は、剣なら少しくらい経験が活かせるかなって思ったんですけど」
「多少は活きてると思うぞ。足運びとか、相手との距離を見る感覚とか」
「本当ですか?」
「ああ。ただ、竹刀とそれじゃ重さも振り方も違う。それに――」
男が、先ほどアースエイプが消えた方向を見る。
「人間と魔物じゃ、もっと違う」
「……はい」
「あそこで下がると思ったんだろ?」
「はい。JDAの動画だと、あの攻撃の後は一度距離を取ってたので……」
「同じ種類でも、全部が同じように動くわけじゃない」
幸が小さく頷く。
「剣道やってた下地もある。動画で勉強もしてる。それ自体はちゃんと役に立ってるよ」
「はい」
「足りないのは、たぶん経験だな」
「経験……」
「実際に魔物を前にしたとき、資料通りじゃなかったらどうするか。そこは潜って覚えていくしかない」
「……はい」
「動画で覚えたことが無駄ってわけじゃない。知ってるのと知らないのじゃ全然違う」
「はい」
「今日、生きて帰れたなら、次に活かせばいい」
「……はい!」
幸が力強く頷いた。
「ただし、今日は帰れ」
「はい……」
「そこだけ声小さいな」
青年が笑う。幸も少し恥ずかしそうに笑った。
「私、戦うことに向いた能力しかないから、もっと戦えるようにならないとって思ってて」
「十分すごいと思うけど」
青年が言う。幸の目がまた少し輝く。
「でも、ダンジョンって、戦うこと以外にも色々ありますよね」
「うん」
「植物を調べたり、今まで知られてなかった使い方を見つけたり」
「まあ、そうだね」
「そういう探索も、すごくいいなって思うんです」
「……そうなんだ」
「はい!」
満面の笑みだった。
「私も、戦うだけじゃなくて、誰かの役に立てるものを見つけられる探索者になりたいです」
「戦えることだって、十分誰かの役に立つと思うよ」
「そうですか?」
「うん」
「……はい!」
幸は嬉しそうに頷いた。まるで欲しかった言葉をもらったような反応に、青年が少しだけ困った顔をする。
「今日だって、一人でアースエイプ相手にあそこまでやれてる」
男も続ける。
「経験積めば十分強くなるだろ」
「ありがとうございます!」
幸はそちらにも頭を下げた。そしてまた、青年をちらりと見る。
『見るな見るなw』
『花ちゃん隠せてないぞ』
『名前は言わないけど態度が全部言ってる』
『推しに直接褒められたファンの顔』
『トマト気づけ』
「そういえば、お二人っていつも一緒に潜ってるんですか?」
「週末はね」
青年が答える。
「俺がこいつの護衛で一緒に潜ってる」
男が付け足した。
「護衛?」
「僕、戦うの苦手だから」
「お前の場合、戦うより先に草を見るからだろ」
「大事な草だったら見るよ」
「そこを否定しろよ」
幸が思わず吹き出した。
「あははっ……!」
植物を見つければ、そちらへ行く青年。その横で、呆れながら止める男。幸の笑顔が、また少し大きくなった。
「仲いいんですね」
「幼稚園からだからな」
「えっ、そんなに!?」
「腐れ縁だよ」
「それはこっちの台詞だ」
「あははっ!」
幸は楽しそうに笑った。
『花ちゃんめっちゃ嬉しそうw』
『推しコンビのリアル掛け合いを最前列で見てる』
『特等席すぎる』
『なお本人たちは普通に喋っております』
やがて、男が周囲を確認した。
「俺たちも地上に戻るか」
「え?」
幸が顔を上げる。
「俺たちも、そろそろ戻るつもりだったんだよ」
男はそう言って、隣の青年を見る。
「帰る途中で、こいつが見たことない植物を見つけてな」
「だって、見たことなかったから」
「それで寄り道してたら、あんたを見つけたってわけ」
「あ……じゃあ」
「帰る方向は一緒だ。気にすんな」
「……ありがとうございます」
幸がほっとしたように頭を下げる。
「それにしても、帰る途中でも植物を見つけたら見に行くんですね」
「見たことない植物だったからね」
「そこはもう聞いた」
「あははっ……!」
三人は来た道を戻り始めた。男が少し前を歩き、周囲を警戒する。青年は幸の歩調に合わせている。幸は、その隣を歩いた。時折ちらちらと青年を見る。
「……何かついてる?」
「えっ!?」
突然尋ねられ、幸の肩が跳ねた。
「さっきからこっち見てるから」
「な、なんでもないです!」
「そう?」
「はい!」
青年は不思議そうにしながらも、それ以上追及しなかった。
『バレたw』
『視線がw』
『なんでもないわけあるかw』
『トマトそこまで気づいてなぜ分からない』
幸は少しだけ頬を赤くしながら、今度は前を向いた。ただし、しばらくすると、またちらりと横を見た。
第三階層を抜け、第二階層、第一階層へ。途中、幸の歩調が少し遅くなるたびに、二人も何も言わず速度を落とした。やがて、ダンジョンの出入口が見えてくる。外から差し込む日の光に、幸が少しだけ目を細めた。
「ここまで来れば大丈夫だろ」
男が立ち止まる。
「はい!」
幸は二人へ向き直った。そして深く頭を下げる。
「今日は、本当にありがとうございました」
「次は無茶するなよ」
「はい」
「怪我もちゃんと診てもらってね」
「分かりました」
幸は顔を上げる。
「私、もっと強くなります!」
「うん」
「それで、もっといろんなことができる探索者になります!」
「……うん。頑張って」
「はい!」
幸は満面の笑みを浮かべた。そして、最後にもう一度、青年を見る。その目は、やっぱり少しだけきらきらしていた。
「それじゃあ!」
二人にもう一度頭を下げ、幸は地上へ向かって歩き出した。途中で一度だけ振り返り、小さく手を振る。青年も手を振り返した。その横で、男が軽く片手を上げる。幸は前を向き、そのまま通路の向こうへ消えていった。
『花ちゃんおつかれー』
『今日はちゃんと診てもらえよ』
『また配信してくれ』
『しかしすごい遭遇だったな』
『最後まで目がキラキラしてたw』
ーーー
幸の姿が見えなくなる。達也はしばらく、その方向を見ていた。
「……いつまで黙ってるんだ?」
隣で健吾が言った。
「……言うタイミング、完全になくしたんだよ」
「いや」
「なに?」
「たぶん、あの子もう気づいてるぞ」
「え?」
達也が振り向く。
「いつ?」
「途中から」
「嘘」
「お前、俺のことなんて呼んだ?」
「ケンちゃん」
「配信でも?」
「……ケンちゃん」
「植物。試験薬。ノート。要検証」
「…………」
達也は黙った。
「気づかない方がおかしいだろ」
「……確かに」
配信画面では、トマトのヘタがゆっくりと垂れていく。
『今気づいたw』
『遅いwww』
『あれだけキラキラした目で見られてたのにw』
『頑張れトマト』
達也はコメント欄を見ないふりをした。
お読みいただきありがとうございました。
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