【第十三話 ミナミとモニカのリフレッシュ】
僕が働き始めた南屋という食堂には、三十六歳の奥さんが一人で店を切り盛りしていたんだ。去年、コックをしていた旦那さんが事故で亡くなったんだって。奥さんも家庭料理くらいは作れるから、一人でも今日までやってこれたんだけど、どうしても一人では効率が悪くなるだろ? ピーク時間も回転率を上げられないからね。
でも、僕が入ったおかげでピーク時間もかなりのハイペースで客を捌けるようになったのよ。
っていうのも、この店、田舎の食堂にありがちなメニューが多すぎる問題を抱えてたのよ。メニューが多いとそれだけで回転率って悪くなるの知ってる?
ラーメン屋と牛丼屋が回転率で利益を上げてるのはメニューがラーメンと牛丼しか無いからなのさ。客はラーメン食いたくてラーメン屋に行く。だから、入店後に迷わない。入店後、五分〜十分も悩まれるとそれだけで回転率は悪くなるんだよ。メニューが多くても看板メニューがあるなら別。半分の客がそれを頼んでくれるだけで店側は助かる。
僕は日本では居酒屋で働いてたんだけどさ。居酒屋もメニューって多いだろ? でも、居酒屋はメニューを多く見せておいて、実は九九パーセントの客の第一声はビールと焼き鳥なのよ。だから、店としては焼き鳥だけは仕込んでおく。客が入店した瞬間から、実はもう焼き始めてるわけ。居酒屋で焼き鳥を頼まない人なんて、僕の経験上、見たことが無い。
そんなふうに店側も客を無意識的に誘導する必要があるのさ。これって飲食店だけじゃなくて、殺しにも通じるものがある。ターゲットを無意識的に人気のない場所へ誘導する時にも使えるんだよ。おっと、話が脱線しそうになったけど、この南屋では本当にメニューが多かったんだ。きっと旦那さんは本当に良いコックだったんだろうね。でも、良いコック=繁盛店ではないという事を日本人の僕は知ってるからね。なぜなら牛丼屋には一人もコックはいないんだもの。それで億を稼いでるんだもの。回転率だけでね。
って事で南屋でも、ピーク時間だけはメニューを牛丼オンリーにしてみたんだ。奥さんのミナミさんは猛反対したんだけど、ミナミさんに牛丼を作ってあげたら、すぐに考えを切り替えたよ。美味いのはもちろん、大量に仕込めるし、注文されて一分以内には出せるんだもの。こんな楽な商売はないよね? ただ、テイクアウトだけは無理だったよ。安価の使い捨てのパッケージなんて、この世界には無かった。でも、テイクアウトが無くても、十分すぎるほど回転率は上がったし、利益もドカンと上がったわけさ。
「ケビン君、そろそろ今夜は店を閉めようか? ご飯はあと何人分あるの?」
「あと、特盛で四人ってとこかな?」
「それじゃ、今いるお客さんでラストにするから、ケビン君は上がっても良いわよ」
ってな感じで僕は辺りが暗くなる前に早上がりをさせてもらえたんだ。
僕はすぐに更衣室で着替えてから勝手口から出ていこうと思ったら、この店の常連のオッサンがミナミさんを口説こうとしてんのよ。まあ、ミナミさんは年齢の割に綺麗なんだよ。ミナミさん目当てで通ってるオッサンも多いわけ。そんな無粋なオッサンは牛丼屋に平気で長居しては、こうしてミナミさんを口説こうとしてるんだよな。
僕がこの店で働いてから、こんなエロオヤジ対策として、ある回復魔法の実験も出来ていたんだ。
何処で使うの?シリーズの回復魔法。
『リフレッシュ』
気分が晴れるだけという、なかなか恐ろしい魔法だ。何処で誰に使うのか謎過ぎるだろ? でも、こんなエロオヤジには無双出来るんだ。ムラムラしてミナミさんを口説いてるオッサンにリフレッシュを唱えるだけで、あら不思議。いきなり、賢者タイム突入。ムラムラしていた感情がスッキリして穏やかになっちゃうんだよ。今まで熱心に口説こうとしてたのに、突然、イったかのように穏やかになって帰るからミナミさんも困惑気味になってるけど、僕は回転率にこだわる男だから、エロオヤジにはもれなくリフレッシュを唱えてる。
牛丼屋はかくあるべきなのだ。
これにて、僕も安心して退勤できるわけさ。もしかしたらミナミさんにも本命のオッサンがいるのかもしれないけど、僕にとっては神聖な職場でふしだらな行為を許容するわけにはいかないからね。明日もまたリフレッシュを連射するのだよ。
僕が店の斜め向かいにある自宅に帰ると、貴族用の馬車が停まってたんだよ。
「また、来たんですか?」
僕が御者に声をかけると、御者も苦笑いを浮かべてたよ。その馬車からは領主の娘さんのモニカが美しい縦ロールをなびかせて降りてくるわけさ。
「今日も食堂なんかで働いてたのね?」
「はい。生活のためには働かないと……」
「貴方、ヒーラーでしょ? 医者になりなさいよ! お父様の伝手でどこかの病院で働くといいわ」
「嫌ですよ。僕の回復魔法は他の人と微妙に違うんです。モニカ様も大人になれば分かります」
僕が自宅に入ると、招いてもいないのに勝手にモニカも入ってくるんだよ。まあ、領主の娘だしな。コネとしてはこの街で最高権力者だからさ、僕も邪険にはしないわけ。
「この家はお茶も出ないの? お湯も沸かさずに何故、ぼーっとしてるのかしら?」
「お茶ですか? 領主様の家に帰れば良いじゃないですか。使用人が上等なお茶をいれてくれますよ」
「人がせっかく来てやってるのに、その言い草は何なのよ! 早く例の甘いお茶をいれなさいよ!」
モニカが言ってる甘いお茶ってのはココアの事なのよ。この世界にはカカオはあったのよ。でも、ココアにして飲む文化は無くてね。カカオの果実を果物として食べてたんだよ。なんか見たことある果物だなぁと思ってたんだけど、僕はコーヒーが好きでね。コーヒーを何とかして飲みたくてさ、色んな種を焙煎して試してたんだよ。その中の一つが、このカカオの種。この世界ではカカオとは呼ばれていなくてトロピカルとか呼ばれてるんだけど、この種を発酵させて焙煎したらコーヒーにならずにココアになったよ。
チョコレートも頑張れば作れそうなんだけど、今の僕にはココアが精一杯。コーヒーを飲みたくて、ノンカフェインのココアが出来るなんてね。皮肉だろ?
まあ、そんなことを考えながら、僕はモニカと御者とモニカの付き人にココアを作ってあげてるわけさ。ヤギ乳でね。この街の牛乳はヤギなんだよ。ヤギ乳は牛乳よりも美味い! 我が家はヤギ乳屋さんから毎朝、配達してもらってるんだけど、昔ながらの日本みたいに瓶で配達してくれるのよ。なんかいい文化だよな。こんな素敵な瓶牛乳の配達文化ってどうして日本では廃れたんだろうな。そんなヤギ乳で作るココアは本当に美味い。自分で作って驚いた。この甘いお茶目当てでモニカが我が家に頻繁に来るようになったってわけさ。
ペーストを練り上げる。ヤギ乳をゆっくり温める。二つを合わせてよく混ぜる。それだけなのに、なんでこんなに集中出来るんだろうな。好きな事を好きなだけやれるって、やっぱり良いもんだよ。
「はい。どうぞ。御者さんも遠慮しないで同席して下さいよ」
仕事明けに飲むには少し甘ったるかったけど、糖分補給とポリフェノール補給の為にと思ってゆっくり口をつけたよ。
テーブルには僕、モニカ、付き人、御者。四人分のカップが並んでる。
部屋の中がしんとして、皆が最初の一口を飲んだんだよ。
「なんで、こんなに甘いのよ! 普通、お茶は苦いものでしょ!」
「文句言ってるのに、飲んでるじゃないですか」
「文句なんて言ってないでしょ! 褒めてんのよ!」
これが褒め言葉らしいよ。貴族とはかくあるべきなのだ。
モニカはもう二口目を飲んでた。御者と付き人も黙って飲んでる。そんな静かな時間の中で、僕はふと思ったんだよ。
これはいつもより、ムカついてないな、と。
日本にいる時よりも、こちらの方が心に余裕があるんだよね。あまりムカつくことも少なくなってんの。っていうよりも、ムカつく他人が少ないって言った方が正しいのかな?
今の日本は他人に対して優しさが無いんだよな。人のスクーターに勝手に腰掛けておいて「ウザッ」の一言で済ませようとしたりさ、レジでタッチ決済出来ないくらいで怒りだすオッサンとかね。沸点がバグってるのよ。その頂点が僕だったわけ。スクーターに座られても殺すし、タッチ決済出来ないくらいでキレるオッサンも殺すし、レジ袋をケチって素手でコンビニ弁当を持ち帰ってる貧乏学生もムカついて殺してきたんだよ。レジ袋3円をケチるかね?
でも、異世界にそんなマナー違反するような人はいないんだよ。
何故だかわかる? それは簡単。僕みたいに即殺すような奴らが普通にご近所にたくさんいるからさ。ペル伯爵もそうだけど、ムカつく=殺すが当たり前の社会だと、人前でイキり散らかす馬鹿は自然といなくなる。僕以外の誰かが既に殺してる。街の中には僕と同じように、迷いなく人を殺せるやつがうじゃうじゃいるんだよ。
日本はそういった意味でも平和ボケしてるんだよな。「自分だけは殺されない」そう考えてるバカの多い国が日本なんだよなぁ。
だから、この異世界の方が僕には生きやすいんだと思う。ムカつく相手が少ないってことは、それだけ僕が誰かを殺さずに済むって事だからね。奇妙な話だろ? シリアルキラーが異世界に来て、日本にいた頃より穏やかに暮らしてるなんてさ。
「モニカ様、今度来る時は氷を持ってきてくれたら、アイスココアを作りますよ。アイスピックだけはウチにあるので、氷が手に入るなら、アイスココアが飲めますよ」
「氷? それは魔法で出したものでも良いの? それなら用意出来るわよ! なんで氷魔法を使えない貴方がアイスピックだけ持ってるのよ! 気持ち悪っ!」
「僕の故郷には氷屋があったんですよ。どの店にも必ず氷が売ってたんです」
「何なのよ! その国は! 気持ち悪っ!」
この気持ち悪っもおそらく褒め言葉なんだぜ?
貴族とはかくあるべきなのだ。
でも、モニカはカップをずっと手放さないまま、ちびちびと飲み続けてたよ。御者も付き人も同じだった。誰もすぐには立ち上がらなかった。全員がカップを両手で包んで、一口ごとに肩の力が抜けていくのがわかったんだ。まるで、リフレッシュを唱えた後のエロオヤジみたいにね。
そうか。ここが僕のリフレッシュなんだな。
このかすかに甘くて温かいだけの飲み物が、今日の僕には必要だったみたいだ。誰かとテーブルを囲んで、温かいものを飲んで、誰も殺さないまま夜になる。
悪くないな、とは思うよ。
全員のカップが空になる頃には、窓の外はすっかり暗くなっていたんだ。
【第十四話へ続く】




