第二十三話 秋の森の村に着いたのに ~なんてこったい~
馬車が最後の坂を上りきった瞬間、俺は息を呑んだ。
目の前に広がっていたのは、二重の城壁に囲まれた小さな村だった。
外側の城壁は木と土を固めた素朴なものだが、内側の城壁は白く輝く石でできていて、まるで別の世界の境のように見える。落ち葉が積もった道の先で、紅葉のトンネルがゆるやかに続いていた。
「……二重構造か。まるで、森そのものが聖域を守ってるみたいだな」
俺が呟くと、ラセリアが馬の手綱を緩めながら横目で俺を見た。
「村の奥にある、巫女様の宮殿を守るためのものらしい。魔獣が村まで来ないよう、昔からこうなってるって聞いたことある」
護衛対象だった村の有力者――中年の行商人――が馬車から身を乗り出して言った。
「ええ。巫女様が魔力を安定させてくださるおかげで、村では今もこうして平和に暮らしていられるんですよ」
俺は胸がざわついた。
ここまで来て、ようやく実感が湧いてきた。
『験の巫女』様は、本当にこの世界の均衡を背負っている存在なのだろう。
村の入口で馬車を止め、俺たちは一時的に荷物を置いた。
行商人が村人に声をかけると、数人の村民が集まってきた。皆、表情は明るいが、どこか疲れたような影がある。
俺は勇気を出して尋ねた。
「すみません。巫女様にお会いしたいのですが……宮殿はどちらでしょうか?」
村民の一人――年配の女性――が少し驚いた顔をした。
「巫女様ですか? 宮殿なら、村の奥の森の、奥深くにございますよ。
ここ何日かはあまりお姿を見かけませんが」
俺の心臓が少し速くなった。
「では、行ってみてもいいでしょうか?」
女性は困ったように笑いながらも、道案内を申し出てくれた。
俺たちは村民の案内で、村を抜け、紅葉の森の奥へと進んだ。
そこは、巨大な古木に囲まれた一帯だった。
木々の間から差し込む光が、まるで黄金の糸のように落ち葉の上に降り注いでいる。
やがて視界が開け、高床式の木造宮殿が姿を現した。
太い柱と梁が古木と見分けがつかないほど溶け込み、屋根には落ち葉と蔦が自然に絡みついている。
規模はそれほどでもないが、まるで森そのものが、ひとつの建物になったような――
神々しくも儚い佇まいだった。
宮殿の前に、二人の衛士が静かに立っていた。
白い衣服に、赤く輝く胴の青い鎧を纏い、幅広の刃物を手に、淡い光をまとっている。
俺は一歩前に出て、深く頭を下げた。
「巫女様にお会いしたいんです。
フート教の僧侶見習いです。世界の均衡について、ぜひお話ししたいことが……」
衛士の一人が、穏やかだがはっきりとした声で答えた。
「巫女様は現在、もうひとつの世界へお戻りになられています。
魔力の安定のため、数日はお戻りになりません。
申し訳ありませんが、今はお会いできません」
その瞬間、頭の中が真っ白になった。
……留守。
ここまで来て、ようやく辿り着いた宮殿の前で、初めて聞かされた事実。
俺は呆然と立ち尽くした。
胸の奥に、重いものがずしりと落ちる。
神々から与えられた幻視が、頭の中で繰り返し浮かんだ。
青いビキニの裾が風に揺れる姿。紫の瞳。日輪の冠。
彼女は、現実とこの世界を繋ぐ「橋」そのものなのだ。
「待てば……いいんですよね? 何日でも……」
ラセリアが即座に俺の肩を掴んだ。
「待てよ。食料は帰りの分をギリギリで計算して出てきたんだぞ。
ここで数日も粘ったら、道中でどうなるかわからない」
ドルガンが低く息を吐いた。
「南無ラトナ仏……慌てて出発したツケが出たな」
ミランダが優しく、でもはっきりと言った。
「若いモン、今回は諦めなさい。
また来ればいいのよ」
リリーシャは黙って俺の横顔を見ていた。
いつもの棘はなく、ただ少しだけ、哀れむような色が瞳に浮かんでいる。
馬車が村を後にし、森の道を下り始めた頃。
俺はようやく、唇を噛んで小さく呟いた。
「……手紙を、置いていけばよかった」
その言葉が、自然と口からこぼれた。
師僧の遺言を果たし、神々に出会ったあの日から、
ずっと頭の中にあったこと。
直接会って話すつもりだったから、手紙など考えもしなかった。
でも今、こうして会えなかった瞬間、後悔が一気に押し寄せてきた。
ラセリアが小さくため息をついた。
「次は……ちゃんと計画を立ててこいよ。
お前、意外と一本気だな」)
背後で紅葉が風に舞い、遠くから精霊の歌のようなものが聞こえる気がした。
でも、それは俺の幻聴かもしれない。
馬車から見える空を、俺はじっと見上げた。
「……巫女様。
次は、絶対に会います。」
胸の奥で、落胆と後悔と、それでも消えない熱い想いが渦巻いていた。
(第二十三話・了)




