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「あ、晴菜じゃん。こんなとこで何してんの?」

「就活講座に就活する以外の目的で来る奴いんの?」


 水澄との話し合い(というか怒鳴り合い?)から数日、あたしは心機一転真面目に就活でも始めるかぁ、と重たい腰を上げて大学に来ていた。で、就活関連の講座があるからと出席してみれば友人たちからはこの言われようである。人のことをなんだと思ってるんだ? こちとら生活も単位もギリギリでいつも生きてる崖っぷち大学四年生だぞ? むしろ就活以外にすることがないだろ。


「はー、晴菜もとうとう大人になっちゃうのかぁ」

「うちらの希望がー」


 無駄にオーバーに嘆く友人たちにあたしは戸惑う。


「希望ってなに」

「いや、全てのクズ学生どもの希望」

「単位ヤバくても金欠でも、晴菜を見てると『下には下がいるんだなー』って希望が持てるのよ」

「ひどい言われようだなぁ⁉」


 人間、ギリギリで生き過ぎると周囲からは望まぬ評価を得ることもあるらしい。まぁ確かに、ろくに単位も取らず、バイトに明け暮れ、そのなけなしの金も音楽につぎ込んで溶かしてしまうような奴だ。傍から見ればダメなクズ学生であることは否めない。


 そう思うと、あたしの大学生活ってなんだったんだろう、と虚しくなってくる。それだけ夢中になって打ち込んだ音楽だって、下手くそだからとバンド仲間に見捨てられる始末だ。四年間の総決算がこの間の水澄との諍いだと考えると、もういっそバカバカしくて笑えてくる。


「――んで、晴菜は就活進んでるの? 希望の業種とかは?」

「……完全週休二日制で、残業なしで、初任給二十万以上ならどこでも」

「条件がもうダメ学生の発想じゃん」

「晴菜がまだクズの希望で安心した」

「決めた。あんたらが全社落ちするように願掛けするわ」

「せめて自分が受かることを願おうよ」

「そーゆーとこがクズなんだよなぁ」


 あまりにも中身のない会話をダラダラとしていると講師の先生がやってきて、就活についての心構えやエントリーシートの書き方などを語り始める。

 重要なことは残しておこうと思って開いていたスマホのメモ画面は真っ白のまま、十分もする頃にはあたしの集中力は尽きて前の席の子のつむじなんかをぼんやりと眺めている。心を入れ替えようとしてみたところでそうそう簡単にいくもんじゃなく、エントリーシートの書き方なんて後でネットで調べればいいや、と未来の自分に丸投げして意識を飛ばしてしまう。


 思い返すのは、やっぱり水澄とのことだ。あの日以来、水澄とは学校内でも会っていなくて、一度ラインを送ってみたけど速攻で既読を付けたくせに無視だった。あいつは性格が悪い。


 思い出しイライラをしているうちにいつの間にか就活講座は終わって(社会人になる自覚を持って行動するように、という有難いお言葉で締められた。一番足りてない)、教室の扉から吐き出される人波に乗って講義棟の外へと流される。


「晴菜ー、うちらご飯行くけどどうするー? まだキッチンで栽培したカイワレ大根食って食費削ってんの?」

「あれはもう辞めた。なんであたし一生草食ってるんだろ? って気が狂いそうになって。一回やってみ? 芋虫の気持ちわかるから。朝起きたら虫になっててもおかしくないレベル」

「ザムザじゃん、やば」

「毒虫じゃねーわ。……いいよ、もうそんなに切り詰める意味もないし、ご飯行こ」

「あー、就活でバンド活動控える感じ?」

「……まぁ、そんなとこ」


 一瞬否定しようとして、『いや、詰まるところその程度のことか』と思い直す。あたしたちがバンドを辞めようが、そんなの世界中のほとんどの人間にとってはどうでもいいことで。そんなことに全身全霊で怒り狂えるのは、この世界で多分水澄だけだろう。


 あたしだって、バンドを続けていたい気持ちはある。けれど、辞めようとなった時に、水澄ほど必死になって抵抗する気持ちが湧いてこなかったのも事実だ。


 多分、あたしはそれほど自分にも他人にも期待していないのだ。頑張っていればいつか絶対報われるとか、水澄みたいには絶対に思えない。

 あたしと水澄は、違うから。


「――――あ」


 耳慣れた声が聞こえて顔を上げると、理系の研究室がある棟から出てきた水澄がこちらを見ていた。目が合うと、めちゃくちゃ不細工で不機嫌そうなしかめ面を寄越してから、ふいっ、と顔を逸らして早足で歩き去ってしまう。あいつ……!


「あ、みすみんじゃん。晴菜、追いかけなくていいの?」

「別に、用もないし」


 今話したところでまた怒鳴り合いになるのがオチだろうし、と胸の内でクソデカため息を零す。


「……ははぁん、その感じ、ケンカかぁ?」

「えー珍し! いつもあんな仲いいのに!」

「……あれだよ、ほら、音楽性の違いってやつ?」


 詳しく説明するのも面倒で雑な返答をするとドッと笑い声が上がった。


「で、でたー! バンドがなんとなくふわっと解散するやつー!」

「ホントに言う奴いるんだー!」


 笑い転げる友人たちを尻目に、あたしはこいつらには絶対に真面目な相談なんてしないと心に決めた。


「――でもさ、すごいよね、みすみん」


 ややあって笑いも収まり、一人がぽつりと呟く。


「なんか海外の大学の研究室から誘われてるんでしょ?」

「ね! あたしはハーバードって聞いたけど」

「やば! 漫画じゃん! 絶対盛ってるでしょ」


 盛り上がる会話の蚊帳の外で、あたしは無意識に去っていく水澄の背中を目で追う。


 そうだ。実は水澄はすごい。

 一緒にいる時のあいつは食い意地が張っていて人の話をあまり聞かなくてバカでわがままですぐキレる――とにかく面倒くさい奴だけど、そのくせムカつくことに頭が良い。所属してる研究室のホープとか呼ばれていて、前に発表した論文だかなんだかが学会で高く評価されたこともあり、他の大学院からお呼びの声が幾つも掛かっているのだとか。ホントに、普段のへったくそなベースを弾く水澄からは想像もできない世界が、そこにはある。そして、そこにあたしはいないのだ。


 あたしと水澄では、生きる世界が違う。一緒のバンドで同じステージに立っている時ですら、あたしは本当の意味では水澄の隣にはいない。


 だって、水澄と違ってあたしには何もない。頭も悪いし、やりたいこともないし、学部だって入りやすくて卒業しやすい適当な文系学部を選んだだけ。この大学生活で身に付いたことなんて何一つない。ギターが多少弾けるようになったけれど、それも他の奴らに言わせれば下手くそだ。多分、就活だってうまくいかない。あたしみたいなダメなクズ学生がどこにいけるというのか。自分ですら自分に期待が持てない。


 だからあたしは、いつからかあたしが水澄の時間を奪ってはいけないんじゃないか、なんて思ってしまったのだ。

 誰よりも一番近くにいたのに、気づけば誰よりも遠く感じるようになってしまったあいつの。


 ――なんて、柄にもなくアンニュイな気持ちで物思いに沈んでいたら、背後からドタドタと騒がしい足音が近づいてきて、ぼこん! と痛くはないけど結構な強さの衝撃があたしの後頭部を見舞った。え、なに、通り魔?

 頭を押さえながら振り返ると、そこにはぺらぺらのトートバッグを思いっきり振り抜いたダイナミック姿勢の水澄がいた。


「いきなり何すん――」

「なんで追っかけてこないの⁉」


 あたしの抗議なんか聞こうともせずに、水澄はマスターボリューム全開で叫んだ。


「はぁ?」

「『はぁ?』じゃない! 私は、何日も何日も、晴菜が謝ってくるのを、ずぅぅぅっと待ってたんですけど⁉ それなのに、無視して通り過ぎるとか、ホントなんなの⁉」


 水澄は『、』の部分毎に手に持ったトートバッグであたしを殴打しながらキレる。今日はいつにも増して凶暴性に拍車がかかっている。しかも視界の端では友人ズが「あ、それじゃあお二人でごゆっくり」とかなんとか言って逃走してしまって誰も助けてくれない。


「いや、さっき無視したのは水澄の方じゃん。ラインも既読無視するし」

「言い訳すんな!」

「言い訳って……。つか、なに? 全部あたしが悪いわけ? なんかあたしが謝ること前提で話してるけどさあ!」


 あまりにも身勝手な言い草に、あたしも思わず声を荒らげてしまう。


「悪いでしょ! あんな酷いこと言っておいて『自分は悪くありませーん』って? ふざけんな!」

「……まぁ確かにベースが下手くそだとか色々言ったけど、それなら水澄だってあたしにギター下手って言ったじゃん」

「そのことじゃない! 楽器が下手なのは別に酷いことじゃなくて事実でしょ!」

「そこは認めんのか……」


 逆上気味に叫ぶ水澄にあたしは呆れた。大学入ってからずっと続けてきた楽器が未だに下手くそなのはかなり酷いと思うけど……。


「私が言ってるのは、晴菜が『終わらない歌なんてない』って言ったこと!」


 水澄の言葉に、ぐ、と息が詰まった。……いや、息が詰まったのは水澄のトートバッグ攻撃が胸に直撃したせいかもしれない。


「……なんで、そんなこと」


 どうでもいいじゃん、そんなの。

 口の中で呟くあたしを、水澄は真っ赤な目で睨みつける。


「どうでもよくない。私は、嬉しかったから。晴菜が昔言ってくれたことが、嬉しかったから。だからずっと、一緒にバンドを、音楽をやってきたのに」


 水澄の瞼がぴくぴくと震えて、彼女があたしをめちゃくちゃに睨んでいるのは、そうやって力を込めていないと泣いてしまいそうだからだ、と気づく。


「それなのにさ、今になってどうでもいいとか、言わないでよ……! 私たちの一番最初が否定されちゃったら、今まで晴菜と一緒にやってきたこと全部、意味ないじゃん…! そんなの、私は嫌だよ……!」


 水澄の声はもう、怒っているというよりも、子どもが必死に駄々をこねているような弱々しい響きで。それなのに、それを聞いているとバッグで殴られるよりももっとずっと胸が痛む。


 どうして言えるのだろう。

 その通りだよ、あたしたちのこれまでに、意味なんてなかったんだよ、なんて。

 終わらない歌を歌おう、なんて、そんなものは希望でも救いでもなく、ただの逃避でしかなかったんだよ、って。


 だからもう、あたしの歌は終わってしまった。逃げていたものから――水澄と自分との違いを認めてしまったから。

 あたしたちの歌はもう、終わったんだ。

 本当に、ただそれだけのことだ。

 あたしにはもう、水澄の望む言葉を言ってあげることはできないから。


「……ごめん、水澄」


 それ以上の言葉を掛けることもできず、あたしは水澄に背を向ける。


「――っ、ふざっっっけんな!」


 歩き出したあたしの背後から、今にも泣きだしそうな怒号がした。


「私はっ、諦めないっ!」


 強情で、意地っ張りで、諦めの悪い声が、あたしの背中を殴りつける。

「決めた! 今度の卒業ライブ、私は晴菜と一緒に演る!」

「……解散したんじゃないの」

「あれは嘘! そんな簡単に終わりになんてしてやんないから!」

「どっちが嘘つきだよ……」


 身勝手で自己中で、呆れるほどに真っ直ぐな水澄。

 あんたがそんなだから、あたしは余計に自分が惨めに思えるんだよ。


「……あたしはもう出ないよ、あんたと一緒にライブなんて」

「待ってるから! 絶対に絶対に、終わらせたりなんてしないからっ!」


 あたしがどれだけ遠ざかっても、水澄は叫ぶのをやめなかった。


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