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「あのさ、止まない雨はない、って言うじゃん」

「……言うねぇ」

「つまりさ、そういうことじゃん?」

「……どういうことぉ?」


 ライブハウス帰りに寄ったコンビニの外、ぽとぽとと降る雨から逃れるように窓にべったりと背中を預けて座り込みながら、一個のカップラーメンを水澄(みすみ)と分けっこしている時だった。


「だから、いつかは私たちだって陽の目を見ることができるでしょ、ってことぞぞぞぞぞ」


 なんか無駄にカッコつけた口調で宣言してから、水澄はシームレスにカップ麺を凄い勢いで啜る。おい一口がでかいぞ。

 水澄はザ・お嬢様みたいなふんわりガーリーな見た目に反して食への執念がすごいので、女子同士のシェアみたいなことに絶望的に向いていない。水澄は多分シェアの概念を『お前の食べ物は俺の食べ物』みたいに勘違いしている節がある。全部食ったらそれはもうシェアではないのよ。


「ちょい水澄。一口ずつ食べようっつったよね? あんたが一口で全部食べたらあたしの一口は何を食えばいいの? 虚空か?」

「誰が今ラーメンの話をしてんの! 人の話を聞け!」


 あたしが文句を言うと、ぶばばっ、と汁を飛ばしながら水澄は逆ギレしてきた。は? あたしもキレるが? 割り勘で買ったけど、割り切れなかった分ちょっとあたしの方が多く払ったんだからな?


 前髪に飛んだラーメンの汁を指先で軽く払いながら、あたしは努めてクールな表情をキープする。


「でもさ、その『いつか』がいつなのか、ってのが問題なんじゃないの? というかその『いつか』だって絶対に来るとは限らないじゃん」

「はぁー⁉︎ なんでそんなネガティブなわけ? 晴菜はさぁ、その考え方が悪いよね。なんでもかんでも悪い方にばっか考えるの。私はさ、いつか絶対私たちはビッグになる、って信じてるよ? それなのに晴菜は『絶対ではない』とか言ってさー、そんな暗い思考の奴のとこには絶対くんだって絶対来てくれるわけないじゃん!」

「誰だよ絶対くん。……てかそういう精神論とか理想論とかは一旦置いといて、実際問題、今現在のあたしたちはマジでヤバな状態で、それなのに確実じゃない『いつか』に期待するのってかなりリスキーっていうか、ヤバヤバのヤバなのでは? っていう話で――つか、水澄? そろそろラーメンこっちに寄越しな? ホントに全部食う勢いじゃん」

「もー! こっちは真面目に話してんのに食い意地張るのやめてくんない⁉︎」


 ややキレ気味の水澄から奪い取ったカップ麺の中身は九割方消失していて、ホントに全部食べられる寸前だった。食い意地張ってんのはそっちだバカ!

 わずかに残った麺を少しでも長持ちさせるために一本ずつ啜りながら、あたしは水澄に懇々とあたしたちの現状を説く。


「こうやってさ、食費を極限まで削って音楽続けてるけど、もう限界じゃない? ライブ出るのだって結構掛かるし、その前のスタジオ練の費用も馬鹿にならないじゃん。そのくせチケットは売れねーし、名前も売れねーし。……もう無理くない?」

「はぁー? 全然無理じゃないし、むしろまだ食費でもなんでも削る余地くらい残ってますけど?」

「いや割り勘したカップ麺をほぼほぼ独り占めしてた奴が説得力ねーのよ。飢えてんじゃん、もう。限界じゃん」


 水澄は去勢を張りながらもちらちらとあたしが持ったカップ麺を横目で見てきていてやっぱり飢えているし、でももう中身はあんたがほぼ食ったからないよ? という感じであたしは仕方なくスープをずずずず、と空きっ腹に流し込む。うぅ……お腹は空いてるのに、カロリーと塩分ばかり溜まっていく……もうやだこんな限界生活……。


「……じゃあ、なに。晴菜は何が言いたいわけ?」


 最近ちゃんとしたご飯を食べたのはいつだっけ……と目が遠くなっていたあたしは、水澄の拗ねたような声に遠出していた目をゴーホームさせてすぐ隣の水澄を見つめる。


「……別に。ただ、そろそろ潮時かな、って」

「はぁ⁉︎ 何それ、バンド辞めるってこと⁉︎」


 水澄はあたしが曖昧にボカした部分を明確な言葉に直した上でキレた。


「……まぁ、うん」

「は? なんで急にそんなこと言うの? 私たちで武道館行こうって言ったよね?」

「いや、急というかうっすらずっと考えてたっていうか――てか武道館行こうなんて言ったっけ?」

「最近ハマってるバンドが武道館ライブやるからそれ行こうよって前言ったじゃん」

「客としてなら別に全然行くけど! いやでも今は金がないから無理!」

「ずっと前から考えてたって、いつから? なんで?」

「なんで自分からボケといてスルーなの……別にいつとかじゃなくて、なんか、ずっとだよ」

「は? 今までずっと『辞めたいなー』って思いながら一緒に練習したり、ライブ出たりしてたわけ?」

「いやそんなずっと思ってたわけじゃないよ? ただなんかふとした時に『このままでいいのかなー』って思ったら『辞める』っていうのもあるかな、って思ったりはしてた」

「全然売れないから?」


 ざくり、と水澄はあたしがちょっと避けていた言葉を使って切り込んできた。


「……まぁ、ね」


 それだけじゃないけど……と思いながらも、もし売れていたら辞めるとは言い出さなかっただろうと考えて、あたしは曖昧に首肯する。


「だって考えてもみなよ、水澄。今はまだなんとかなる気でいるけど、こんな生活がこの先ずっと、三十歳とか四十歳とかになっても続いてたら、ってさ。バイトで日銭を稼いで、稼いだ分でライブやって、でも全然意味なくて……てか、むしろいつまで続けられんの? って感じ」


 早口で捲し立てるみたいになってしまったあたしをうるさそうに睨め付けると、水澄は雨の止まない灰色の空を見上げてぽつりと言う。


「こんなの、下積みってやつでしょ。いつかは報われるって、言ってるじゃん」

「でもあたしたちは積むだけ無駄っていうか、なんかほら、賽の河原? みたいなやつ。地獄で子どもたちが石を積まされて、でも積み終わる前に鬼に崩されてまた最初っから、みたいなのあるじゃん? あれな感じあるんだよね。積んでも積んでも意味ないっていうかそもそも積めてないみたいな」

「は? 何その鬼クソじゃん。私が賽の河原行ったら石積む前にその鬼を殺すわ。それからクソデカ石タワー建てるわ」

「地獄の鬼を殺すのマジで殺意高いんだけど。もうお前が鬼だろ」


 というか地獄に落ちるの前提か? と思ったけれどあまりにどうでもいいし話が逸れているので口に出すのはやめておいた。


「とにかく、あたしたちもそろそろ現実的に将来のことを考えるべきなんじゃないの、ってこと。で、その結果バンドを辞めることもあるんじゃない、ってあたしは思う」


 いつまでも険しい目でこちらを睨んでくる水澄から顔を逸らしながら、あたしは言いにくいことを早口で言い切った。

 雨はいつまでも止まずに、あたしたちの目の前のアスファルトを黒く染めていく。


「…………あっそう。そーですか、はいはい、わかりましたよ!」


 だん、とぺたんこのスニーカを地面に叩きつけ、水澄はいきなり立ち上がる。


「ちょ、急にどうしたの、水澄――」

「はいじゃあ解散! お疲れ! 今までありがとーございました!」


 ブチギレ気味に手を叩きながら水澄は叫ぶ。はぁぁぁ?


「何言ってんの水澄? そんな雑な――」

「辞めたいって言ったのはそっちでしょー⁉︎ だったらお望み通り辞めてやるってのよバーカっ!!」

「っはぁぁぁ⁉︎ 何キレてんの⁉︎ 子どもかぁ⁉︎」

「はいはいそーですよ! 私は子どもですよ! 大人の晴菜さんはさっさと音楽なんか辞めて就職して二十代後半で結婚して共働きで二人の子どもの面倒でも見ていればいいんじゃないですかね⁉︎ 育児ノイローゼで夫と不仲になって離婚してシングルマザーでの子育てに苦しめばいいんじゃないですかね⁉︎」

「やだよ! 悪意マシマシであたしの人生設計をするな!」

「大人になるってそーゆーことでしょーが!!」

「大人観狂ってんな!」


 水澄に釣られて立ち上がりながら、あたしたちは至近距離で怒鳴り合う。


「だいたい! ずっと思ってたけど水澄のベース、くっっっっっそド下手だから! リズム隊のくせにリズムがったがたなんですけど!」

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ⁉⁉ それを言うなら晴菜のギターもめちゃめちゃ音汚いですけどぉぉぉ⁉ ちゃんとコード抑えられないんですかぁぁぁ⁉⁉」

「「あぁぁぁん⁉」」


 バキバキに青筋の浮いた額をぶつけて、あたしたちは睨み合う。なんかもう普通にただの悪口の言い合いになっているけど引き下がれない勢いだった。まったく、どの口がさっきまで『大人になろうよ』みたいなことを言っていたのか、とは思うけれどそれ以上にあたしは水澄にムカついていたのだと思う。

 楽器も下手なくせに、いつまで無邪気にこんなこと続けていられる気なんだ、って。


「――つか、晴菜が辞めるなら清々するわ。下手なギターなんてクビにして、ドラムとキーボードの二人と新しいギター探すから」

「あ、ドラムとキーボードならもう辞めたよ」

「なぁぁぁん⁉⁉ 私聞いてないんですけどぉぉぉ⁉⁉」


 もはやブチギレ過ぎて凄んでいるというよりも変な生き物の鳴き声みたいな声で水澄は吠えた。いや、あたしも言い忘れていた。


「なんかあたしら二人とも下手過ぎるから、よそのバンドでやるってさ」

「じゃあなんだったのよ、今までの話はぁ⁉ ドラムもキーボードも既に辞めてるとか、もう事実上の解散みたいなもんでしょーが! 何を悠長に『将来のことを考えたらバンド辞めるのもありだと思う』、とかカッコつけてんだ⁉ 下手過ぎて捨てられただけでしょーが!」

「捨てられたのはそっちもだろー⁉」


 言い返したあたしの声は、多分少し弱々しかったと思う。

 ふぅぅぅ、と長く深いクソデカため息を吐くと、水澄は真正面から真っ直ぐにあたしの目を見つめた。


「それで? 下手だって言われて、愛想尽かされて、嫌になっちゃったってわけ? うまくいかないし、誰からも認められないからもう辞めまーす、って?」


 それまでとは打って変わって、静かに水澄は問う。

 あたしは、すぐには何も言い返すことができなかった。

 ぶっちゃけ水澄の言うことも一理あるっていうか、ほぼほぼ事実だった。あたしが今回のことを水澄に切り出したのは、結局、目の前の現実が今まで通りにはいかなくなってしまって、それが嫌で、怖くなってしまっただけなのだ。


「ねえ、晴菜」

「……なに」


 静かに降る雨のような声で、水澄はあたしの名を呼んだ。そんなふうに呼ばれるくらいなら、さっきみたいにクソうるさい大声で怒鳴ってくれた方がまだマシだった。


「昔、言ってくれたよね。一緒に、ずっと音楽やってようって。終わらない歌を歌おうって」


 いつだったっけ。そんなこと、あたしはどの口で水澄に言うことができたんだっけ。

 わかんないや、もう。


「…………あるわけねーだろ、終わらない歌なんて」


 低く、掠れた声が食いしばった歯の隙間から漏れた。

 どんな歌もいつかは絶対に終わる。そんなの誰だって知っている。

 それなのに水澄。なんであんたは今さらそんな顔をするんだよ?


「……あっそう。わかったよ」


 淡白に、感情のこもらない声で言う水澄の頬には、雨粒が伝ったような跡があった。

 どん、と立ち尽くすあたしの肩にタックルをかまして、水澄はコンビニの軒下から走り去っていく。

 遠ざかって雨の中に薄れていくその背中とは裏腹に、すれ違いざまに彼女が残した「嘘つき」という言葉だけは鮮明に、いつまでもあたしの耳から離れることはなかった。


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