十八話
結ノ介が帰途に着く頃には、夕方に差し掛かり、辺りが薄暗くなってきた。
行きつけのスーパーの帰りに、麗とばったり会った。
ひらひらとした装飾の多い服装の麗は、
「買い物の帰りみたいだね」
「今日は卵が安売りだったんだ。オムライスにしようと思って」
チラシやビラといった広告をチェックするほど徹底してはいないが、店頭や店内の安売り、セールの案内は活用している。
一人暮らしをさせてもらっている手前、基本的に節約を心がけている。
贅沢はできない。
「一緒に帰ろう。二人分作るよ」
「それだと僕が、オムライスに釣られるみたいじゃないか」
「餌付けっていうのはそういうことだろ」
麗は苦笑した。二人は一緒に帰ることにする。
「何してたんだ」
「何だろうね」
麗ははぐらかすように答えた。
また例の「あれ」か、と結ノ介は思う。
麗は何日か、ふらっといなくなることがある。
数日間姿を消した後、突然舞い戻ってきて、何事もなかったかのように元の生活を再開する。
姿を消す前と同じく、いつも穏やかな表情で帰ってくる。
何をしていたかそれとなく聞くこともあれば、一切を聞かないこともある。
聞いた場合の答えは、どれも同じようなものだった。
結ノ介はそれ以上聞かない。
麗には麗の事情があるからだ。
思慮深い麗が、無目的に行動しているとは思えないし、ましてや自分のようなものが麗を諭すなど滑稽でしかない。
必要以上に詮索するのは不躾だと思うし、何か重大な事情があれば、麗の方から話してくれるだろうという信頼と楽観もある。
麗が買い物袋の卵を一瞥し、
「オムライスと言えば、ケチャップで何て書くか迷うところだね」
「自分の名前がベタなんじゃないか」
「それもいいけど、そうだな……、世界平和、なんてどうかな」
「メッセージ性が強すぎる」
麗が楽しそうで、結ノ介は少しほっとする。
「そう言えば、今日は衣装を買いに行っていたんでしょ。どうだった?」
「一応決まった、みたいだけど」
結ノ介の顔に「納得いかない」と書かれているのを見た麗は、
「何か問題あった?」
「黒凍がずっと不満顔だったんだよ、どれも気に入らない感じで。よく分からん」
強く言い過ぎたのは認めるけど、それにしても黒凍だってあの態度はないと思う。
「特別な事情があるんじゃないかな」
事情、と聞いて考えを巡らせる。
衣装のことで何かあったか思い出そうとする。
「そう言えば衣装とかの資料見せてもらうために、委員会室に行ったな。俺たちと同じ一年の女の子が、一人で当番やってて大変そうだった」
「ミスコン実行委員会と言っても、生徒会の役員が看板を変えてやってるだけだから」
「そうなのか」
「うん、生徒会室の隣だったでしょ。あの部屋は、本来は生徒会の物置なんだ。この時期だけミスコンの委員会室として、機能しているんだよ」
思い返せば、室内は雑多なもので溢れていた。
あれは体育祭や文化祭の備品だったのか。
「生徒会はこの時期、通常の業務に加えてミスコンの運営もあるから、忙殺されてるじゃないかな。まったく頭が下がる思いだよ、彼らには」
一年生一人の当番は受付が簡単という以外に、人手が足りないという内情もあるようだ。
「そうそう、過去十年分の資料はあったんだけど、それ以前のがなかったんだ。無いものは仕方ないし、俺は充分な量だと思ったんだが、黒凍が見たそうにしてたな」
麗は可愛い眉間に少し皺をよせ、
「確か十年前に校舎の改装があったんじゃなかったかな。もしかしたら、資料はそのときに散逸したのかもしれないね」
「よく知ってるな」
この辺りも、さすがとしか言い様がない。
「差し出がましいようだけど、心当たりがあるから資料については僕が当たってみようか」
「本当か? そりゃ助かる。でも心当たりって」
「ちょっとね。と言っても、可能性の話だから、あまり期待はしないでね」
「悪いな、ありがとう」
「ううん、いいよ。僕も黒凍さんに力添えをしたいだけだから。もちろん、君にも」
歩道橋に差し掛かり、二人は階段をゆっくりとした足取りで上る。
橋の中央で麗が立ち止まった。
結ノ介が「どうした?」と聞くと、麗は唐突に、
「この服、僕には似合わないと思わないかい?」
「そんなことないけど」
お世辞ではなく、本心でそう思う。
「僕はファッションに対して、執心や頓着がほとんどない。高価なものを着たいと思わないし、オシャレがどういうものか、おそらく本質的には分かっていない。興味がないからだ。興味がない物事については深く考えない。人は自分に関係していること、主に不利益なことだね、困ったり、嫌に思ったり、そういうことについては深く考える。だけどそれ以外は考えない。だから、上手く理解できない。僕にとっての服装がそうであるように。制服というものがあって本当に有難く思っているよ。ただ、ファッションについて唯一気にかけていることがある。それはね、違和感だよ。違和感を覚える取り合わせってあるでしょ? 一見無関係のもの」
麗は車道に視線を移した。
「例えば、車と浴室とか、信号と先住民族とか。カレーライスとお箸なんてのも、そうかもね。そして、理屈っぽい話し方と、いかにも女の子っぽい恰好も。対照的、正反対の位置にある二つの事柄。それは僕にとって、とても大事なことなんだ」
少し先に駅があり、二人は駅前の雑踏を眺める。
学生、会社帰りのサラリーマン、OLなど様々な人々が行き交う。
改札に列を成して吸い込まれていったり、製氷機のように吐き出されたりしている。
「不思議に思わないかい? あの人たちそれぞれに彼らの人生があることが。いや、当たり前の話なんだけどね。当たり前のことのはずなのに、改めて考えると僕は不思議に思ってしまう。生まれて最初は皆乳児だった。それぞれに生家があり、親がいて形態や事情は違うけど家庭があった。幼少期を経て、教育機関に通い出す。友人と出会い、好きな人ができて、恋に落ちることもあるだろう。良いこともあれば、悪いこともある。そのたびに一喜一憂する。朝起きてから、夜眠りに着くまでの生活がある。何かに影響を受けて、自意識が固まっていく。それぞれ考え、悩み、主義や主張が生まれる。正義と悪があり、どこかで折り合いをつけながら、妥協したり、諦めたり、棚に上げたりして生活している。僕は僕のこの意識しか知らないから、それが僕の世界だから、他の人たちはまるでゲームや小説の登場人物みたいに、過去も未来もなく、ただそこにいるだけだと、とんでもなく利己的な勘違いをしそうになるんだよ」
「何かあったのか」
「何もないよ」
麗はあの諦観にも似た表情で、
「何もなくてもそう思うんだ。特に理由がなくても。僕には大きな問題も困難もないのに、真っ当に生きることができない。僕は自分が甘えてると自覚してる。自覚してるのに、それをやめない」
「問題も困難も人ぞれぞれじゃないか。なんか上から目線になっちまうな。そういうのは杓子定規じゃはかれないと思う。人によって、苦しいこととか悲しいことは違う。その大きさも。問題や困難がないのに、考え込んでしまうことがコンプレックスだっていいんじゃないか。他のやつなんか関係ない。誰が何て言おうと、麗が苦しいなら、俺は麗のために何でもしたいよ」
「僕を甘やかしちゃダメだよ。違うんだよ。ただの惰性なんだ。救済される権利なんてない。僕にそんな価値はない」
「麗は俺よりも物事を深く考えてて、ずっと先にいるから、俺が知ったようなことは言えないけど、麗のために何でもしたいっていう気持ちは、俺の勝手な感情だ。お節介とか邪魔になるなら押し付けない。俺はそこまで思い上がってないつもりだ。それだけは覚えておいてくれ」
全部、本心だった。
麗が初めて見る表情になる。
危機感とでもいうべき、逼迫した様子だ。
「君はどうして……」
少しの間があり、
「どうして黒凍さんに協力しようと思ったの?」




