十七話
夜子は店の奥をふらふらしている翠の元へ駆けていき、戻ってくると、
「他のお店も見て回ろうよ。その中から決めようと思うんだけど、どうかな?」
「そうだな、それが良いと思う」
三人はフロアガイドとフロアマップを見ながら、他の店にも移動する。
夜子が適当なものを何着かピックアップし、それらを翠に見せ、意見を聞く。
結ノ介は大したアドバイスもできず、たまに夜子から男目線だとどっちがいいと聞かれ、曖昧な答えを返すのが精いっぱいだ。
「翠、これなんかどう?」
もう何着目か、夜子が尋ねると、翠は難しい顔をして考え込み、「う~ん」と唸って、
「ちょっと違うかも」
この応酬が繰り返される。
店をいくつも回り、何十着と候補が上がったが、一向に決まらない。
選ばない理由も曖昧模糊としていて、不十分な所を故意に探しているようにも見える。
結ノ介は食傷気味に、
「具体的に何が不満なんだ? さっきから違う違うって。そりゃできれば黒凍が気に入ったものにするのがいいと思うけど、灰半が客観的に選んでくれてるんだから、その中から決めるっていうことも考えるべきなんじゃないのか。さすがに優柔不断過ぎだろ」
言ってから、強い言葉と口調になってしまったことに気づく。
翠の口が何か言いたそうにわずかに開いたが、すぐに閉じてしまう。
そして、体を翻し、黙って歩いて行ってしまった。
結ノ介は、自分も悪かったけど、それでも黒凍のあの態度はないだろうと思う。
夜子が気を遣ってか、
「翠を連れ戻してくるね。その後は、私ちょっと疲れちゃったから休憩していい?」
結ノ介は、夜子の言葉に頷いた。
一階のエントランスホールに、休憩する場所が設けられている。
丸くて白いテーブルと椅子が並び、そこに腰を落ち着ける。
夜子と翠は、手洗いに行った。
時刻は二時半で、この階にはファーストフードの店がいくつかあり、昼のピーク時にはテーブルが埋まってしまうが、この中途半端な時間だと空席が残っている。
結ノ介は二人が戻る前に飲み物でも買いに行こうと思い、飲料を売っている店に行く。
「結ノ介くんだよね?」
店のすぐ隣に二階への階段があり、その方向から声をかけられた。
そこにいたのは、夜子のバイト先の友人の、陽向だった。
「あれ、陽向ちゃん?」
陽向は周囲が明るくなるような眩しい笑顔で、結ノ介に駆け寄ってくる。
動きやすそうな恰好で、彼女のキャラクターによく合っている。
「奇遇だね、こんなところで会うなんて。もしかして運命かもね~」
「そうだな」
「あ、なんか適当な感じ」
「そんなことないって、あー、嬉しいなー」
「え~、白々しい~」
陽向は頬を膨らませる。
リアクションが大きくて、話していて楽しい。
「陽向ちゃん、今日は買い物?」
「ここの二階にね。新しくカフェがオープンしたの」
「カフェ大好きだな」
バイト先もカフェで、休日も新しくできたカフェに足を運ぶとは、筋金入りだ。
「休みの日は、カフェ巡りしてるの。有名処から隠れ家的なお店まで、ネットとか雑誌でチェックして、もう趣味みたいな感じになってて、あ、そうだ、これ見て」
陽向はスマホの画面を見せた。
カプチーノの写真が写っていて、泡立てられた牛乳の表面が、猫の顔になっている。
「可愛いでしょ? 結ノ介くんもそう思わない?」
「こだわってるな」
「そうなの! あんまり可愛くて飲むのがもったいなくて」
「飲まない方が、もったいないけどな。結局飲んだんだろ」
「そういうことじゃないでしょ、もぉ!」
陽向は楽しげに頬を膨らませた。
「ごめんごめん、陽向ちゃんが飲んでたらそれは可愛いけど、俺みたいなのが注文したら失笑されるよ」
「そんなことないよ。あ、じゃあ今度二人で行って、私が頼んだのを結ノ介くんにあげる」
「考えとくよ」
陽向はくすくす笑う。
「結ノ介くんは何してるの?」
「この前一緒にいた黒凍 翠って覚えてる?」
「うん。あの超可愛い子ね」
「その子と灰半と買い物してるんだ。俺は付き添いに近いけどな」
「へ~、両手に花で羨ましいよ」
「陽向ちゃんは、女の子だろ」
「女の子でも可愛い子と一緒にいるとテンション上がるんだよ?」
陽向は周囲を見回し、
「夜ちゃんもここに来てるんだね」
「あぁ、今は手洗いに行ってるよ。こっちと合流するか?」
「ううん、邪魔しちゃ悪いよ」
陽向はゆっくりかぶりを振った。
「邪魔ってことはないだろ。じゃあ挨拶くらいだったら」
「実は時間がないの。このフロアにね、もう一軒カフェがあるんだけど、そこのランチが十五時までなの」
時計を見ると、確かに時間に余裕はなさそうだ。
「そういうわけだから、二人によろしく言っておいて。良かったらお店にも来てよ。私平日の夕方と休日の午前中は、ほとんどシフト入ってるから」
「ほぼ毎日かよ、すごいな」
店の宣伝とは、商売上手だ。
「私目当てに来てもいいんだよ?」
もちろん陽向のウエイトレス姿も魅力的だが、本当は夜子を目当てに通いたい。
でも、そんなあからさまなことは到底できない。
「気が向いたらな」
「これでも結構いるんだよ、私に会いに来るお客さん。夜ちゃんには及ばないけどね」
結ノ介はぴくっと反応し、「へぇ……」と興味の無いふりをする。
「すごいんだから。夜ちゃんのために常連になる人多いの。夜ちゃんのウエイトレス姿を食い入るように凝視する男性客の視線、あれは野性の目だよ。獲物を狙う肉食動物。連絡先教えて、とかしょっちゅうだし。もちろん丁重にお断りするんだけどね。それでもスーツ着た人に、お会計のとき名刺とか渡されるんだから」
胸が締め付けられるように痛む。
学校にもバイト先にも、敵が多いと思い知る。
「ねぇ、結ノ介くん。夜ちゃんのことお願いね」
「どういう意味?」
陽向は少し、憂いを帯びた調子で言う。
「夜ちゃんって、危ういところがあるような気がするの」
「そうか? 俺には完璧超人に見えるけど」
「う~ん、うまく言えないんだけど、完璧すぎる気がする」
「それって悪いこと?」
「大変なこと、かな。結ノ介くん、これからずっと夜ちゃんと仲良くしていくつもりなら、夜ちゃんのことちゃんと見てあげて、何があっても」
快活な笑顔が印象的な陽向が、あまりに真剣な顔つきで言うものだから、結ノ介は気圧されてしまう。
「わかった。覚えておくよ」
「うん。結ノ介くんも大変だと思うけど、がんばってね。応援してるから」
「え、応援?」と聞き返す間もなく、陽向は「それじゃあね」と去っていった。
結ノ介が飲み物を三つ買って休憩所に向かっていると、夜子と合流した。
翠はまだ手洗いに行っているらしい。
「飲み物、ありがとう」
「そこで陽向ちゃんと会ったよ。急いでるみたいで、よろしく伝えるように言われたよ」
夜子は「そっか」と、残念そうに言った。
テーブルで翠を待つ、夜子の横顔を眺める。
果たして自分たちは仲良くなったのだろうか?
挨拶と短い会話だけの頃よりは、交わす言葉の数は断然増えた。
お互いについて知っている情報も多くなった。
だが、この時間が、ミスコンが終わってしまった後も続くとは限らない。
今はただ、夜子にとって結ノ介が、隣の席のクラスメートから、翠の協力者になっているだけで、元の関係に戻るだろう。
元の木阿弥だ。
クラスメートというカテゴリーで、大勢の内の一人。
夜子は誰に対しても優しく、平等だ。
話しかければ答えてくれるだろうし、授業のノートを貸してほしいと言えば貸してくれるだろう。
でもそれは結ノ介じゃなくたって、誰にだってそうする。
夜子は他の誰でもない、結ノ介という個人と一緒にいることを選ぶだろうか。
夜子と両想いになるなんて、想像もできない。
そもそも他人から好きだと思われることは、イメージできないほど、すごいことだ。
きっと自分たちはこのままずっと同じ距離で、来年の春にはクラスが変わり、たまに下駄箱で鉢合わせて簡単な挨拶をしたり、廊下ですれ違って短い会話をしたりするだけで、夜子のことを遠くから眺めるだけになる気がする。
夜子が知らない男と親しげに話していれば嫉妬に狂い、空虚な気持ちになるだろう。
それに自分が別の女の子と仲良くなっても、きっと夜子と比べるはずだ。
そのたびにどれだけ自分の恋心が強く、一方的で、当ての無いものかと自覚する。
高校を卒業して、片想いは虚しく終わっていく。
そして、何年かして卒業アルバムを見て、勝手に傷つくのだ。
自分には、他の男たちより優れているところなんてない。
夜子に彼氏ができて、それを知ったとき、俺はどうなってしまうのだろうと思う。
それまで通り、彼女と接することは、たぶんできない。
こうして夜子と一緒にいられる時間は、本当に幸せだと思う。
俺のことどう思ってる? といっそ聞いてしまえれば――。
「灰半と同じクラスになれて、良かった」
「何? 突然」
「灰半は皆に気を配って、優しくして、そういう振る舞いのおかげで、うちのクラスの雰囲気が良くなってる気がするんだよ」
これが結ノ介に示せる、最大限の好意だった。
「そんなことないよ。五野くんは、どこでも楽しくできると思うよ。相手のことを考えられるし、頭の回転も早いし、私なんかは関係ないと思うけどな」
「いや、俺はそんな出来た人間じゃ……」
夜子に、自分たちが関係ないと言われるのが嫌だ。
私がいなくても、席が隣りにならなくても、例え二人が出会わなかったとしても、お互いの人生に大きな変化は無かった、つまりは無関係でも良かったのだと、夜子本人に思われていることが悲しい。
夜子のおかげと言ったのは、夜子への感謝を知っていてほしいというのもあるが、恩人という繋がりがほしいだけだ。
ただの隣の席のクラスメートというだけでなく、もっと強い関係性、特別な縁が。
「私も五野くんと同じクラスになれて、良かったよ。ありがとう」
夜子は、柔和に微笑む。
完璧だと思う。理想なんだ、全てが。
自分が一番、彼女のことを見ているに違いなかった。
誰よりも、強く、熱心に、見ているに決まっていた。
翠が戻ってきて少し休憩した後、衣装選びは再開されたが、翠は終始屈託顔だった。
結局、一度も首を縦に振ることはなく、大した成果がないまま解散となった。
帰り際、翠が呟いた。
「今日はごめんなさい、わがままばっかりで」
結ノ介と夜子は、顔を見合わせる。
夜子が心配そうに、「どうかしたの?」と聞く。
「どうもしないよ。ただ二人に悪いことしちゃったなって思って。せっかく付き合ってもらったのに。衣装は最初のお店の、白いやつにするね」
翠の表情は、浮かないままだ。
結ノ介はいよいよ分からなくなり、
「さっきは言い過ぎたよ。ごめん。でも、本当にいいのか?」
「いいの。今日は本当にごめんなさい。二人が私のために衣装を選んでくれて嬉しい。衣装のことはもう決まったから、この話はやめよう」
翠が納得したのなら、結ノ介から言うことは何もない、はずだ。
「分かった、黒凍がそう言うなら、もう何も言わない」




