十二話
「前にミスコンに出る理由聞いただろ。自分が嫌いだからって答えたよな。黒凍はどうなりたいんだ? 良かったら教えてくれないか」
「私は自分を変えたいの。ミスコンで優勝するような、友達が多くて、皆の輪の中心にいる、きらきらした女の子になりたいの」
自分を変えたい。
結ノ介は、どうして自分が翠を応援したいと思ったのか分かった。
それは翠が変化を望んでいるから。
共鳴しているのだ。
「大丈夫だよ。黒凍なら大丈夫。俺はそう思う」
「ありがとう。私がんばるから」
麗が子猫を抱えながら、
「僕も同感だよ、彼女には人を惹きつける魅力が眠っている」
麗は子猫をベンチの上に乗せ、翠に視線を送る。
その意図を気取った翠は、神妙に頷いた。
子猫と向かい合うようにしゃがみ込む。
子猫は興味がなさそうに、前足をぺろぺろと舐め始めた。
翠は硬い表情で子猫の顔を見つめ、瞬きを忘れるほど集中している。
タイミングを計っているわけではなく、心の準備をしているようだ。
あなたと仲良くなりたいです。
頭の中で、そう強く繰り返しているのだろう。
結ノ介と麗は邪魔をしないように、そっと見守る。
翠が子猫の頭に向かって、恐る恐る手を伸ばした。
途中でぴたっととまる。
不可視の壁があるように、それ以上近づかない。
翠は表情を強張らせている。
もしかすると、これまで何度も猫たちの頭を撫でようと、試みてきたのかも知れない。
そしてその度、背中を見せられたのだろうか。
拒否されたらどうしよう、嫌われたらどうしよう、人付き合いはそれの連続だ。
自分の感性に自信のない翠にとって、その一歩を踏み出すことはとても難しい。
翠は一度空を見上げ、深呼吸し、――それを呟いた。
再び子猫に視線を戻すと、表情が緩み、花が綻ぶように笑った。
「こんばんは」
止まっていた手が進み始め、白く細い指が子猫の頭を撫でた。
子猫は嫌がる仕草を見せず、翠の行為を受け入れている。
翠はよほど嬉しいのか、喜びに震えながら「可愛いな~」と言って、しばらく子猫の頭を撫で続けている。
子猫は気持ちよさそうに喉を鳴らした。
結ノ介と麗は顔を見合わせ、安堵の微笑みを交わした。
結ノ介は翠の横にしゃがみ、
「良かったな」
「うん!」
翠は分かっているのだろうか、もう人前で笑顔になれたことを。
一段落し、結ノ介は麗に聞く。
「今更だけど、逃げる必要なかったよな。ちゃんと説明すれば済んだ気がするんだけど」
麗は「実はね」と前置きして、リュックから何か取り出した。
それは写真の束だった。
何枚か見たが、すべて女の子が写っている。
「忘れ物ってこれだったのか?」
「そうだよ、うっかり机に入れたまま帰ってしまってね。ミスコンにエントリーしている子たちの写真だよ」
結ノ介はまじまじと写真を見る。
「何でこんなものが? なんか盗撮っぽいな、アングルがきわどいのもあるし、被写体がどれも無防備すぎる気がするんだが」
カメラのレンズを向けられれば、多くの人はカメラ目線になるし、ポージングもするだろう。
これらの写真は、まるで日常の欠片を切り取ったようだ。
「彼女たちの有りのままの姿を見たくて。とあるルートから入手したんだ。さすがにこれを見られるわけにはいかなかったんだ。説明するのが難しいからね。おそらく納得してもらえなかったよ」
「あんまり危ない橋渡るなよ」
麗はリュックに写真を仕舞いながら、
「ところで、君たちは本当に付き合ってないの?」
「だからそれは勘違いだって。だいたい、もし俺と黒凍が恋人同士だったら、俺は自分の彼女をミスコンで勝たせようとしてるのか?」
「そうなるね」
「そりゃ、とんでもない話だな」
それは盛大な彼女自慢に他ならない。
「恋は盲目というじゃないか、君もいよいよそういう季節なのかと」
結ノ介は肩をすくめた。
「そこまで盲目にはならないよ」
夜子のことを思い出し、せいぜい「良い線行くんじゃないか」って言うくらいだと思う。
翠は頬を紅潮させて、小さく丸まってしまっている。
普段から可愛い少女が好きだと公言して憚らない麗のことだ。
翠のこの反応を楽しんでいるだけなのかも知れない。
探るような眼差しで麗を見やると、小首を傾げて「なに?」と言う。
翠は小さな声で、
「二人こそ付き合わないの? すごく仲良いよね」
「今度は黒凍が妙な誤解するのかよ」
「ちょっと気になったっていうか、友達にしてはすごく仲が良さそうだから」
「麗みたいな人気者が、何の取り柄もない俺を相手にするわけないだろ」
結ノ介は時間を確認し、
「帰るか、遅くなりすぎてる」
「そうだね」と翠が言い、子猫を撫で、別れを告げた。
「バス亭まで送るよ、帰ろう」
「いい、一人で帰れるから。今日は、ありがとう」
そう答えて、翠は早足で歩き出した。
麗が傍に寄ってきて、
「このまま女の子を一人で帰らせていいの?」
「確かにそれは良くないな、女の子が一人で帰るには、夜道は危険すぎる」
結ノ介は、麗の意見に賛同した。
麗は背中のリュックを見せ、
「僕は一足先に帰っているよ。この写真を観賞したいからね」
学生アパートの方向に歩を進め始めた。
結ノ介は麗を呼び止める。
「麗も一緒に行こう」
驚いたように振り返った麗に、
「揚げ足取るつもりじゃないけど、俺だけ黒凍を追いかけたら、麗を一人で帰らせることになるんだが」
「僕は大丈夫だから、黒凍さんを追ってあげて。こうしてる間も彼女は一人でいるんだよ」
結ノ介は納得できず、眉間に皺を寄せる。
麗は諭すように、
「僕たちのアパートの方が、彼女の家よりも近いでしょ。今日は彼女を送ってあげてよ」
結ノ介は、不承不承頷く。
「……なるべく早く帰るから、気を付けてな」
麗を見送り、急いで翠を追う。
やがて追いつき「黒凍!」と名前を呼ぶと、翠が振り返った。
「何で? 一人で帰れるって言ったでしょ」
「やっぱり危ないから。時間も時間だし。ほら、ビーフストロガノフが出るかもしれないだろ。あいつら夜行性で、人里に下りてくることもあるから」
「動物か何かなの?」
「ウチのビーフストロガノフなんて、俺が帰ると尻尾をふって喜ぶんだ」
「犬みたいなもの?」
翠は体を翻し、呆れたように、
「意味分かんない、過保護すぎ」
と呟きながらも、結ノ介を追い返したり、本気で憤慨して突き放したりはしない。
翠は黙り込んでしまっていて、無言で歩いている。
バス亭に着き、次のバスが来るまで並んで椅子に座って待つ。
結ノ介は間を持て余し、ずっと足元を見下ろしている。
突然、何かの気配を感じ、その方を見やると、翠が結ノ介の頭に向かってゆっくり右手を伸ばしているところだった。
視線がぶつかると、翠の手はぴたりと止まった。
しかし空を見上げ、それから意を決したように再び手を伸ばしてきた。
微笑みながら、結ノ介の頭を撫でる。
ごろごろと喉を鳴らす真似でもした方がいいかなと思いながら、結ノ介はおとなしくしていることにした。
やがて翠は手をひっこめ、
「明日のお昼ご飯、一緒に食べてほしいんだけど」
「別にいいよ」
「もちろん二人で、じゃなくて、月黄泉さんも一緒に! 分かってると思うけど」
「伝えておくよ」
それを聞くと、翠は安心したように溜息を吐いた。
間もなく、バスがやってきた。
結ノ介が「また明日」と言うと、翠は振り返らず「今日は本当にありがとう。それじゃあね」と早口で言ってバスに乗り込んだ。
結ノ介が帰宅すると、麗の部屋の灯りはもう消えていた。
昼食のことは朝起きてから言うことにしよう。
寝る準備をしながら、翠と仲直りできて良かったと思う。
笑顔ができるようになって良かった。
目覚ましのアラームをセットしている最中、灰半にお礼のメールをしようとしたが、こんな夜分に悪いと思い直し、明日会ったとき直接伝えることにした。




