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第99話 届かぬ糧

 鴉との睨み合いが続く中、ザインの隊を別の渇きが襲い始めた。


 後方から届くはずの糧が、滞り始めたのだ。三日に一度の補給が、五日、七日と間延びする。届いても量が足りない。麦も塩も見る間に底をついていく。前線で敵と睨み合いながら味方の兵站が細っていく。覚えのある渇きだった。


「またか」


 補給の遅れを聞いたザインの声は、低く沈んでいた。山の戦線で味わったのと、同じ手口だった。ヴェイル派のボード。後方から補給の糸を細く絞り、前線の手柄を泥にまみれさせる。あの男が、また伸ばしてきた手だった。


「証はあるのか」


 バルガが渋い顔で問うた。ザインは届いた荷の覚え書きを指で叩いた。


「日付が飛んでいる。割り当ての数も、書き換えた跡がある。前線の不手際なら、こうは揃わない。整いすぎている。後方で、意図して絞った跡だ」


 ガロが舌打ちした。


「敵と戦ってる味方の背中を、味方が刺すのか。反吐が出る」


「珍しくもない。後方には、前線の手柄を妬む者がいる。手柄を立てさせぬために糧を絞る。兵が飢えれば勝てる戦も勝てなくなるのを承知でな」


 ザインは怒りを腹の底へ沈めた。山でも同じことをされた。あの時は飢えたまま勝った。怒りを敵にぶつけては、読みが濁る。ボードという男の手は、戦場の外から伸びてくる一手だ。盤の外の手も、盤の一部として読む。後方を知った今、ザインにはそれが見えていた。


 ザインはガレウス将軍へ早馬を立てた。補給の滞りと、その不自然さを記した文を送る。証を添えてだ。だが、すぐに糧が届くとは期待しなかった。後方の糸は、そう簡単にはほどけない。


「待つ間に、こちらでできることをやる」


 ザインは隊に倹約を命じた。麦を薄く割り、塩を惜しむ。同時にマルトを放ち近くの村との交渉を探らせた。略奪はしない。山でやったように銀を払って買う。民を敵に回せば糧道はもっと細る。飢えても一線は越えない。それがザインの戦い方だった。


 飢えは、目に見えぬところから隊を蝕む。腹が減れば兵の気は短くなる。些細なことで諍いが起き、夜の眠りは浅くなる。槍を握る腕からは、じわりと力が抜けていく。敵の刃よりも先に、味方の飢えが隊を弱らせる。ザインはそれを誰より知っていた。だからこそ倹約の中にも、わずかな温もりを残した。夜には小さな火を焚かせ、薄い粥でも温かいまま兵に配らせた。冷えた腹に冷えた飯を入れれば、体だけでなく心まで縮む。温かい一杯は、欠けた糧の埋め合わせにはならない。だが兵の目に、まだ将が自分たちを見ていると映る。それが、飢えた隊をかろうじて繋ぎとめた。


 火を囲む兵の中で、ヨナが薄い粥をすすっていた。村で初めて人を殺した震えは、まだ完全には抜けていない。だが今は、飢えた仲間と肩を寄せ、黙って椀を傾けている。ザインはその姿を遠目に見た。育っている。だが育ちきる前に、次の戦が来る。それが将の焦りだった。


「将ってのは、敵だけじゃなく、味方とも戦うんだな」


 ガロが乾いた笑いを漏らした。ザインは小さく頷いた。


「ああ。前は、敵の槍だけ読んでいればよかった。今は、後方の筆の動きまで読む。どちらも、兵を殺しにくる手だ」


 カイルが拳を握っていた。後方の家柄の世界を知る若者にとって、ボードのやり口は他人事ではなかった。


「私が、後方へ証言を送ります。これは、明らかな妨害だ。家名のある者の名なら、いくらか届く」


 ザインはその申し出を、静かに受けた。家名で人を測る世界を、家名のある者が内から崩そうとしている。隊の中で、確かに何かが変わり始めていた。


 その夜、二つの月が痩せた陣の上に冷たく昇った。大小ふたつの蒼い光が、前と後ろの双方から削られる隊と、その渇きを呑み込む将を照らしている。


 ザインは細る糧を見つめながら、嫌な予感を拭えずにいた。ガディウスは、こちらの渇きをいつまでも見逃すまい。味方に糧を断たれた今こそ、狩人の将が本気の牙を剥く好機だった。前線の敵は地形と数で読める。だが後方から伸びる手は顔が見えない。見えぬ刃ほど、防ぐのは難しい。それでも防がねば兵が死ぬ。将になった以上、その見えぬ刃まで読み切るのが務めだった。


 前と後ろから、同時に手が伸びてくる。ザインはその二つの手を、闇の中で睨み据えた。

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