第97話 餌と針
ガディウスが残した餌の道を、ザインは半分の兵で守らせた。
残る半分は、別の街道へ静かに回した。本命がどこかは、まだ読みきれていない。だが餌が餌である以上、針はどこかに隠れている。ザインはその針の位置を、敵の立場から探った。鴉の頭なら、こちらの守りが薄くなる道を狙う。守りを餌に吸い寄せて、空いた背を刺す。盤を逆さに置けば、敵の手は見えてくる。
その読みは、半ば当たり、半ば外れた。
二日目の朝、餌の道ではなく、その隣の細道で荷が襲われた。だが奪われはしなかった。ザインが回しておいた半数の兵が、ちょうどその近くにいた。鴉は荷に手をかけた瞬間、横から槍を突きつけられ、慌てて散った。
「読み勝った」
ガロが拳を握った。だがザインの顔は晴れなかった。
「いや。ガディウスは、本気で奪う気はなかった。あれは、こちらがどこに兵を回したかを確かめる手だ。俺は、手の内を一つ見せてしまった」
ガロの拳がほどけた。
「……勝ったと思ったら、見られてたってことか」
「ああ。鴉は、奪うより先に、こちらを測っている。獲物より、まず相手の癖を覚える。厄介な男だ」
ザインは地図に新しい印をつけた。ガディウスがどこから自分の動きを見ていたか。その視線の出所を逆に読む。敵がこちらを測るなら、こちらも敵がどこから測っているかを測り返す。鏡を向かい合わせにしたような読み比べだった。終わりは見えない。だが先に底を見せた方が負ける。
探り合いは隊を静かに削った。鴉がいつ来るか分からぬ以上、兵は常に張りつめていなければならない。槍を握る手はいつでも汗ばみ、夜の眠りは浅くなる。血の流れぬ睨み合いは刃を交える戦よりも兵の芯を蝕んだ。ザインはそれを見抜いていた。だから無理に追わせず組を入れ替えて休ませた。半数が張れば半数を眠らせる。緩急をつけねば隊は戦う前に擦り切れる。将の務めは勝つ段取りだけではない。兵を擦り減らさず戦場へ立たせることもまた将の仕事だった。
夜の見回りで、ザインはコルネリアと並んだ。
「あなたも休んでいない」
「将が先に眠っては、兵が眠れん」
「私が見ている。少しだけ眠って」
コルネリアは短くそう言った。戦場でだけ饒舌になる女が、こういう時は言葉を惜しむ。だがその短さに込められたものをザインは受け取った。張りつめた糸をこの女だけはふと緩めてくれる。ザインは小さく頷きほんの一刻だけ目を閉じた。睨み合いの中でそれは何より贅沢な休息だった。
眠りの淵で、ザインはガディウスのことを考えた。狩人の将は、今ごろどこの暗がりからこちらを覗いているのか。盤を挟む相手の顔を、ザインはまだ知らない。だが手だけは日に日に見えてくる。冷えた手だった。獲物を急がず、罠の熟れるのを待つ手だ。その手が、いつか必ず本気の牙を剥く。ザインは浅い眠りの底でそう確信していた。
その夜、カイルがザインの天幕を訪れた。以前のような硬さはなかった。
「少尉。一つ、教えてください。あなたは、なぜそこまで敵の身になって考えられるのですか。私には、敵が何を考えているかなど、まるで見えない」
ザインはしばし黙った。前世のことは語れない。だが伝えられることはある。
「相手を、勝たせてやるつもりで考える。自分が敵なら、どう勝つか。そう考えれば、敵の一番嫌な手が見えてくる。その手を、先に潰す。それだけだ」
「敵を……勝たせる、つもりで」
「ああ。憎んでいては読めない。怒っていても読めない。冷えた頭で、敵の勝ち筋をなぞる。それが読みだ」
カイルは長く考え込んだ。家名の重さだけで戦を測ってきた若者にとって、それは初めて触れる戦の地肌だった。やがて深く一礼して、天幕を出ていった。
「あいつ、変わったな」
ガロが布の外から覗いた。ザインは小さく頷いた。
「家名の外に、戦があると気づき始めた。悪くない」
天幕の隙間に、二つの月がかかっていた。大小ふたつの蒼い光が、底を見せまいと探り合う将と、その背を学び始めた若い士官を照らしている。
ガディウスとの読み比べは、まだ序の口だった。互いに餌を撒き、互いに針を隠す。だがこの探り合いが、いつまでも血を流さずに済むはずもない。
次の一手で、どちらかが先に、針を突き立てる。ザインはその刻を、静かに待ち構えた。




