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第96話 鴉の頭

 鴉を退けてから、ザインの隊は南の糧道に張りついた。


 偵察と待ち伏せを繰り返し、奪われる前に手を打つ。読みが当たるたびに荷は守られ、鴉は獲物を逃した。十日のうちに三度、ザインは鴉の襲撃を空振りに終わらせた。糧道は静けさを取り戻し、麦の荷は再び滞りなく前線へ流れ始めた。隊の中に、勝ち癖のような空気が芽生え始めていた。


 だが、ザインはその空気を喜ばなかった。


「敵の頭が、変わった」


 地図を囲む夜、ザインはそう切り出した。バルガが眉を寄せる。


「変わった、とは」


「ここ数日、鴉の動きが鈍い。だが鈍いんじゃない。こちらの手を読んで、無駄打ちを避けている。獲物に喰いつかず、こちらの伏せ方を覚えようとしている。頭のいい男が、後ろにいる」


 マルトが低く口を開いた。


「捕らえた鴉の一人が、頭の名を吐きやした。ガディウス。ロウガが放った遊撃の将でさ」


「ガディウス、か」


 捕らえた鴉は痩せた中年の兵だった。縄を打たれてなお、その目に怯えはなかった。ザインが水を与えると、男は意外そうに喉を鳴らした。


「殺さねえのか」


「糧を奪う兵を、糧で殺す気はない。お前たちの頭は、どんな男だ」


 男はしばらく黙り、それから低く笑った。


「ガディウス様か。あの人は、戦を狩りだと言う。獲物の足跡を読み、罠の張り方を読む。正面でぶつかるのは下手の戦だと、いつも言ってる。鴉は、賢い鳥なんだとよ」


 ザインはその言葉を胸に刻んだ。狩人の将。正面を嫌い、相手の癖を読む男。自分とよく似た手を使う。だからこそ厄介だった。


 ザインはその名を口の中で転がした。ロウガの配下。糧道を荒らす鴉の頭目。正面で戦わず、こちらの兵糧と忍耐を削る手を使う。ロウガという将が、自分の手の一本としてこの男を南に放った。それはつまり、ロウガがすでにこちらの存在を知り始めているということだった。


「将軍同士の盤が、もう動いている。俺たちは、その盤の端の駒だ」


 ガロが口を尖らせた。


「端の駒は嫌だな。すぐ取られる」


「取られないために読む。それだけだ」


 翌日、ザインは糧道の異変を掴んだ。鴉が一筋の道だけ、わざと荒らさず残していた。護衛の薄い、奪いやすい道だった。普通の鴉なら真っ先に喰いつく。だが手をつけない。


「餌だ」


 ザインは即座に読んだ。


「奪いやすい道をわざと残して、こちらに守らせる。守りに兵を割いた隙に、別の道を断つ。ガディウスは、俺たちの守りを動かそうとしている」


 カイルが地図を覗き込んでいた。林で命を救われて以来、この若い士官の目から侮りが消えていた。代わりにあるのは、必死に読みを追おうとする目だった。


「では……守ってはいけないのですか。奪われると分かっていて」


「守る。だが半分だけだ。残りの半分は、別の道に回す。餌に喰いつくふりをして、本命を待つ。鴉のやり方を、こちらが借りる」


 カイルは唸った。今度は反論ではなかった。理を追う唸りだった。ザインはその変化を横目で確かめた。初めて会った日の侮りはもう薄い。この若者は戦の地肌に触れ始めている。隊が一つに溶けていく音が、ザインには微かに聞こえた。


 翌日からザインは隊を二色に塗り分けた。餌の道を守る組と、影で本命を待つ組。古参と新参を混ぜ、家柄の有る者と無い者を組ませた。バルガが古参の口ぶりで新参を仕込み、ガロが軽口で強張りをほぐす。前線で何年もかけて固めた分隊の呼吸を、ザインは今この混成の隊に移そうとしていた。一日で固まるものではない。だが一日ずつ固めるしかない。


 ヨナは餌の道の守りに置いた。まだ前に出すには早い。だが後ろに隠してばかりでは育たない。守りの中で戦場の流れを覚えさせる。ザインはそう決めた。若い兵は素直に頷き、与えられた持ち場で槍を握り直した。気負いは抜けていない。だが命じられた場所を離れない芯は、確かに育ち始めていた。


「離れません。隣から、離れません」


 ヨナはそう繰り返した。ザインは黙って頷いた。


 その夜、二つの月が南の糧道の上に冴えていた。大小ふたつの蒼い光が、敵の頭の影を読み始めた将と、ようやく一つになりかけた隊を照らしている。


 ガディウス。顔も知らぬ敵の将と、ザインはすでに盤を挟み始めていた。盤の上では、まだどちらの手も血を流していない。


 だが、この読み比べが続くほど、いずれ血の出る一手が来る。ザインはそれを、肌で感じ取っていた。

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