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第95話 待ち伏せ

 翌日の夜明け前、ザインは林の縁に兵を伏せた。


 読み通りなら、鴉はこの道に来る。だが読みは賭けだった。当たる保証はどこにもない。ザインは兵を二手に分けた。林の中に主力を潜ませ、街道の先の窪みにマルトと数人を置く。鴉が現れたら退路を断つ手だった。あとは待つだけだった。


 待つというのは、戦の中で最も兵を蝕む。槍を握る手が汗ばみ、草の露が膝を冷やす。ヨナが隣で何度も唾を呑むのが聞こえた。ザインは小声で告げた。


「動くな。息をするように待て。来る時は、必ず来る」


「来なかったら……」


「来なかったら、何も起きん。それが一番いい外れ方だ。誰も死なん」


 ヨナはわずかに笑った。強張りが、少しほぐれた。


 日が昇り、糧の列が街道に現れた。麦の荷がゆっくり進む。護衛はやはり手薄だった。ザインは草の間から、林の奥の影を読み続けた。来るか。来ぬか。心の臓が静かに脈打つ。


 荷の列が林の縁に差しかかった、その時だった。林の奥から砂塵が湧いた。軽騎が十数騎、横合いから荷へ突っ込んでいく。鴉だった。読みは当たった。ザインの背を、冷たい確信が走った。賭けに勝った時の、安堵ではない冷えだった。ここから先は、読みが命のやり取りに変わる。


「囲め」


 ザインの声は低かった。だが隊は弾けるように動いた。林に伏せた槍が一斉に立ち上がり、奪いに来た騎兵の退路へ壁を作る。マルトの組が街道の先を塞ぐ。鴉の騎兵は、糧を奪った瞬間に逆に囲まれた。


 だが鴉も歴戦だった。指揮の騎士が短く叫ぶと、奪った荷を捨て、馬首を返して林の薄い側へ駆けた。逃げ足が速い。ザインは即座に読んだ。


「深追いするな。半数で押さえ、半数は荷を取り返せ」


 ところが、その声を待たずに動いた者がいた。カイルだった。手柄を求めて数騎の兵とともに、逃げる鴉を追って林へ飛び込んだ。


「ヴェント、戻れ」


 ザインの制止は届かなかった。林の奥で蹄の音が乱れ、悲鳴が上がった。鴉は逃げると見せて、追う者を林の中で待っていた。深追いした兵が、逆に討たれかけている。


「バルガ、左から。ガロは俺と来い」


 ザインは林へ突っ込んだ。木立の間で、囲まれかけたカイルが必死に槍を振っていた。その肩へ、ザインは横から槍を入れて敵の一騎を払い落とした。ガロが続き、バルガが回り込む。鴉はそれ以上の長居を嫌い、林の奥へ散って消えた。


 荷は取り返した。死人は出なかった。だが擦り傷を負った兵が数人いた。カイルもその一人だった。林を出たカイルは、青ざめて荒く息をしていた。


「……申し訳、ありません」


 ザインはすぐには答えなかった。怒鳴れば簡単だった。だが怒鳴って済む話ではない。怒りは隊の外へ撒くものではない。胸の内で冷ましてから言葉にする。後方の審査で学んだことの一つだった。


「手柄を取りに行ったな。鴉は、それを待っていた。逃げる敵ほど、追う者を釣る。覚えておけ。お前一人が死ぬだけなら自業自得だ。だが、お前を助けに入った兵まで死ぬ。それが、隊を率いるということだ」


 カイルは唇を噛んで俯いた。今度の沈黙は、侮りの沈黙ではなかった。


 ガロが横から低く口を挟んだ。


「坊ちゃん。少尉はな、お前を助けに真っ先に林へ飛び込んだんだぞ。家名なしの平民がだ。覚えとけ」


「ガロ」


 ザインが名を呼ぶと、ガロは肩をすくめて口を閉じた。だがその一言は、カイルの胸に深く落ちたらしかった。青い顔の中で、目だけが何かを問うように揺れていた。家名で人を測ってきた若者が、初めて家名の外にあるものを見た顔だった。


 ザインは取り返した荷を兵に運ばせ、傷を負った者の手当てを急がせた。一人も欠けてはいない。だが欠けかけた。その紙一重の差を、ザインは重く受け止めた。今日は読みが当たったから誰も死ななかった。だが読みは、いつか外れる。その日のために、隊の綻びを今のうちに縫っておかねばならない。


 陣へ戻ると、コルネリアが傷を負った兵の手当てを手伝っていた。ザインと目が合うと、何も言わずに小さく頷いた。誰も死ななかった。その一事を、女は確かめていた。


 帰路の高揚は、ザインの胸にはなかった。あるのは冷えた手応えだけだった。読みは当たった。鴉の手口も掴んだ。だが隊はまだ一つではない。手柄に逸る者がいて、命令より逸る者がいる。次に読みが外れた時、その綻びが命取りになる。


 薄明の空に二つの月が残っていた。大小ふたつの蒼い光が、初めて鴉を退けた隊と、まだ整わぬその将を照らしている。勝った。だが綻びも見えた。


 ザインは胸に刻んだ。次は、林の奥にもう一手、用意しておく――と。

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