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第94話 最初の物見

 夜明け前、ザインは三十の兵を率いて陣を出た。


 初めての偵察だった。隊の多くを陣に残し、足の利く者だけを選んだ。マルトが先頭で草を分け、バルガが古参を束ねて殿を固める。新参のヨナとカイルもこの中にいた。実戦を見せねば、隊の練度は測れない。ザインは霧の残る街道を黙って進んだ。


 南の野は帝国の糧道が幾筋も走っていた。麦を積んだ荷車が日々この道を通る。ロウガはその一筋を、どこかで細く食い荒らしている。どこを、いつ狙うか。それを読むのが今日の務めだった。


 半刻ほど進んだ頃、マルトが手を挙げた。一同が伏せる。マルトは草の上を這い、やがて戻ってきて低く告げた。


「街道の脇に、車の轍が乱れてやす。荷を奪われた跡だ。新しい。昨日か、一昨日」


 ザインは膝をついて轍を見た。荷車が脇へ引き込まれ、その先で円を描いて消えている。馬の蹄が浅く速い。重い騎兵ではない。軽く、速い手だった。土の乾き方からして、奪われたのは一日か二日前。荷を捨てた跡はなく、麦袋の擦れた藁屑だけが点々と落ちている。奪った糧を一粒も残さず持ち去る手際だった。慌てた略奪ではない。慣れた、冷えた仕事だった。


「奪って、すぐ散った。糧だけ持って、追っ手の来る前に消える」


「鴉みてえだな」


 ガロが吐き捨てた。ザインは頷いた。


「鴉か。言い得ている。死肉だけ漁って、戦らしい戦はせん。ロウガは、こういう手を使う将を放っている」


 その時、カイルが前へ出た。


「ならば、奪われた道に兵を伏せればいい。次に来た所を、囲んで討てばよいのでは」


 声に勢いがあった。だがザインは首を振った。


「同じ道には二度来ない。鴉は賢い。一度漁った道は、しばらく避ける。伏せるなら、まだ漁られていない道だ」


 カイルは口を閉じた。納得した顔ではなかった。だが反論もしなかった。ザインはそれでよしとした。今は従わせるより、考えさせる方がいい。


 一行はさらに東へ回り、糧道の交わる結び目を見下ろす丘へ登った。眼下に、麦を積んだ荷の列がゆっくり進んでいる。護衛の兵はまばらだった。ザインはその列と、周囲の林の影を順に読んだ。


「次に狙うなら、ここだ」


 ザインは林の縁を指した。


「荷が細くなり、護衛が手薄になる。林が近く、奪ってすぐ逃げ込める。鴉なら、この道を選ぶ」


 バルガが唸った。


「断言するのか」


「断言はしない。だが賭けるならここだ。明日、ここに兵を忍ばせる」


 ザインは林の影をなぞるように指を動かした。鴉の立場で野を見れば、答えは絞れる。糧を奪うなら護衛の薄い所。逃げるなら身を隠せる林の近く。その二つが重なる道は、この野にひとつしかない。敵がどこを狙うかではなく、敵がどこなら漁りやすいかを読む。それが読みの芯だった。


「将ってのは、こうやって戦う前から戦ってんだな」


 ガロが半ば呆れ、半ば感心した声で言った。バルガが新参の兵に低く告げる。


「これが少尉のやり方だ。槍を交える前に、もう半分は勝ち負けが決まってる。よく見ておけ」


 ヨナが息を呑んで地形を見つめていた。将の目に映る戦場を、初めて覗いた顔だった。ザインはその横顔をちらと見た。気負いはまだ消えていない。だが今日は、誰も死なせずに帰す。それが将としての最初の一日だった。手柄ではなく、全員を陣へ連れ帰ること。それが何より重い務めだと、ザインは静かに胸へ刻んだ。


 帰路、霧が晴れていく野の果てに、二つの月が薄く残っていた。昼を待たず消えゆく大小ふたつの影が、初陣の偵察を終えた隊の頭上に、淡く浮いている。


 陣へ戻ると、コルネリアが出迎えた。蒼い焔を操る攻撃魔法使いの女は、今日の偵察には加わっていない。無言でザインの顔を覗き込み、誰も欠けていないのを確かめてから、わずかに息を吐いた。


「読めたの」


「明日の道を、一筋に絞った。鴉が来るならそこだ」


「外れたら」


「外れたら、また読み直す。何度でもな」


 コルネリアは小さく頷いた。それ以上は問わなかった。ザインの読みを、この女は誰より信じている。だからこそ、外れた時の重さも分かっている。言葉にせぬその気遣いが、ザインには分かった。


 その夜、ザインは伏せる兵の割り振りを練った。誰をどこに置くか。逃げ道はどう塞ぐか。新参のヨナとカイルをどう使うか。一人ひとりの顔を思い浮かべながら、駒を並べる。陣の中で兵が眠る寝息を聞きながら、ザインだけが地図の上に起きていた。


 陣へ戻る道で弾き続けた算盤は、夜になっても止まらなかった。読みが当たれば、明日この手で鴉を一羽落とせる。外れれば、伏せた兵がただ草の中で夜を明かすだけだ。だが本当に恐ろしいのは、当たりも外れもせぬ半端だった。


 将の読みひとつに、明日の戦が懸かっていた。

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