第93話 預かりし隊
南の戦線に着いて三日目、ザインは初めて己の隊と正面から向き合った。
与えられたのは百に満たぬ混成の一隊だった。前線で苦楽を共にしたガロやバルガの分隊が芯にある。だがそれだけではない。後方から回された見知らぬ兵が半ば、そして数人の士官候補が含まれていた。古い顔と新しい顔が泥の上で混じり合っている。ザインはその一人ひとりを順に見渡した。古参は将を信じる目で、新参は値踏みの目で、こちらを見ていた。隊の温度がまだ一つになっていない。それが地肌でわかった。
列の端に、磨かれた具足の若い士官が立っていた。
「カイル・ヴェント少尉補佐であります」
若者は名乗った。だがその声には隠しきれぬ侮りがあった。家名を持つ者の声だった。
「ザインだ。家名はない。だがこの隊を預かる」
「存じております。後方でも、ずいぶんと噂でしたので」
言葉は丁寧だった。だが棘があった。ガロが横で鼻を鳴らしかけたのをザインは目で制した。ここで噛みつけば隊は二つに割れる。それは敵に塩を送るのと同じだった。割れた隊は、戦う前に死ぬ。
ザインは隊の前に進み出た。
「俺は家柄で兵を率いない。読みと段取りで率いる。お前たちを生きて帰す。それだけが俺の流儀だ」
短い言葉だった。古参は黙って頷いた。新参の幾人かは戸惑い、カイルは唇を結んだまま動かなかった。ザインはそれ以上は語らなかった。言葉で従わせる気はない。従わせるのは結果だと、後方で何度も証してきた。
列が解けたあと、一人の若い兵がおずおずと近づいてきた。背は低く、頬にまだ幼さが残っている。
「あの、少尉殿。おれ、ヨナといいます。後方から回されました」
「ヨナか。槍は持ったことがあるか」
「訓練だけです。本物の戦は、まだ……」
声が震えていた。ザインはその目を見た。怯えではない。気負いだった。死を知らぬ者の、まっすぐな気負いだ。かつての自分にも、ティムにもあったものだった。
「気負うな。最初に覚えることは一つだけだ。隣の兵から離れるな。離れた兵から死ぬ。それだけ守れば、まず生き残る」
「……はい。隣から、離れない」
ヨナは噛みしめるように繰り返した。ザインはその肩を軽く叩いた。覚えてしまった顔だった。覚えてしまえば、この兵が倒れた時、ただの数では済まなくなる。それが将の重さの一面だと、ザインはすでに知り始めていた。
その夜、ザインは天幕に地図を広げた。南の戦線は街道が幾筋も交わる要衝だった。ロウガはこの地で帝国の補給路を食い荒らしている。線で守るには広すぎる土地だった。
「敵は太い軍ではない。細く速い手で糧道を断っている」
バルガが古参の顔で身を寄せた。
「ロウガらしいやり方だな。正面で殴り合わず、こちらの兵糧を干上がらせる気だ」
「ああ。だから俺たちも、太く構えては負ける。細い手には、細い手で応じる」
ザインは地図の一点を指した。幾筋もの街道が束ねられる結び目だった。そこを敵がどう見ているか。読みの糸口はそこにある。
天幕の外で物音がした。布をめくると、カイルが立っていた。地図を覗き込もうとして足を止めた、そんな顔だった。
「少尉補佐。聞きたいことがあるなら入れ」
ザインが言うと、カイルは硬い表情で踏み込んできた。
「……一つだけ。あなたは本当に、貴族の兵を率いられるのですか。私を含めて」
ザインは顔を上げた。問いは率直だった。侮りの裏に、わずかな不安が滲んでいる。家名でしか自分を支えられぬ者の、細い震えだった。
「率いる。お前に家名を捨てろとは言わない。だが戦場では、家名は誰も守ってくれない。守るのは隣の兵の槍だ。それだけは覚えておけ」
カイルは何か言いかけ、結局口を噤んだ。一礼して天幕を出ていった。その背をザインは静かに見送った。あの硬さがほぐれるか、固いまま折れるか。それは戦場が決める。
天幕の隙間から、二つの月が覗いていた。大小ふたつの蒼い光が、見知らぬ兵の混じる新しい隊と、その重さを負った将を照らしている。分隊を率いるのとは、まるで違う重さだった。判断ひとつで、顔も知らぬ兵が死ぬ。
ザインは地図に目を戻した。明日にはこの隊で、初めての偵察に出る。読みを誤れば、まだ名も覚えぬ兵から先に倒れる。
将としての最初の試しが、すぐそこに迫っていた。




