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第74話 断たれた糧

 報せを持ってきたのは、後方からの伝令だった。


 泥にまみれた伝令兵は、息も整わぬうちに巻紙を差し出した。ザインはそれを開き、文面に目を走らせた。読み進めるうちに、眉が険しく寄っていった。


「どうした、軍曹殿」


 ガロが覗き込む。ザインは低い声で読み上げた。


「後方の補給を、当面この戦線へは回さぬ。山岳の隊は現地調達で持ちこたえよ。……差配は、ボード殿だ」


 隊の空気が凍りついた。ボードの名は皆が知っていた。ヴェイル派の士官。かつてザインの昇進を阻もうとした男だ。その手が、いまこの山奥にまで伸びていた。


「あの野郎……」


 ガロが舌打ちした。


「俺たちが山で干上がろうが、知ったこっちゃねえってか。後ろで安全に座って、補給を握って、嫌がらせだ」


「落ち着け」


 ザインは巻紙を畳んだ。だがその指には力がこもっていた。怒りがなかったわけではない。後方の保身で前線の兵を死なせる。それは前世でも、この世界でも、ザインがもっとも憎むものだった。だが怒りで腹は膨れない。


 バルガが古参の顔で唸った。


「軍曹。これは、ただの怠慢じゃねえ。お前を山で失敗させる気だ。糧を絞って隊を弱らせ、敵に削らせる。お前の名が上がるのを、面白く思わねえ連中がいる」


「分かっている」


 ザインは尾根の敵陣を見上げた。それから、足元の谷を見下ろした。頭の中で、残された糧と日数を計算する。一食半に落とした蓄えでも、保って六日。山を越えるには足りない。


「ティム。隊の糧、正確な数を出せ。マルト、この谷で食えるものと、水場をすべて洗い出せ。バルガ、兵の体の具合を一人ずつ見ろ。弱っている者から、糧を厚くする」


 兵たちが慌ただしく動き出した。ザインは一人、地図の前に膝をついた。


 補給は来ない。それは動かせない。なら、その前提で勝つしかない。後方を恨んでも一粒の麦も湧かない。前世で叩き込まれたのは、まさにそういう局面の捌き方だった。無いものを嘆くな。在るもので組み立てろ。


 ザインは地図の前で、残る糧を几帳面に数え直した。乾し肉。麦の粉。塩。それぞれを兵の数で割り日数に直す。指先で数を追ううち頭の中に冷たい表が組み上がっていく。前世で補給を学んだ者の癖だった。腹の足りぬ戦は剣を交える前に負けている。


 だが嘆いても一粒の麦も湧かない。ザインは数えた糧を三つに分けた。動く者に厚く。弱った者に薬代わりに。そして万一に備えた蓄えに。配り方ひとつで同じ糧が幾日も延びる。これもまたひとつの戦い方だった。


 ガロが薄い椀を手に、苦笑いで近づいてきた。


「軍曹殿。後ろの偉いさんは、温かい飯を食ってるんだろうな」


「だろうな」


「腹が立たねえのか」


「立つさ。だが、その怒りで谷は越えられない」


 ザインは数えた糧の表を畳んだ。


「ボードが俺たちを飢えさせたいなら、飢えたまま勝ってやる。それが、いちばん効く意趣返しだ」


 ガロは一瞬きょとんとし、それから低く笑った。


「お前ってやつは、本当に敵の作りがいがあるな」


 コルネリアが隣に膝をついた。


「ボードのこと、悔しくないの」


「悔しいさ」


 ザインは正直に答えた。


「だが、悔しさは後で取っておく。今は、皆を生かすことだけだ。あの男の思惑通りに、山で隊を死なせてたまるか。生きて山を越えれば、それがあいつへの何よりの返しになる」


 その言葉に、コルネリアの目に小さな火が灯った。


「なら、私の魔法も、惜しまず使って。樋を断つのも、岩を崩すのも。あなたの策の役に立つなら」


「ああ。頼りにしている」


 ザインは尾根の敵陣と、その細い水の樋を、改めて見据えた。糧は絞られた。だが敵もまた、あの細い樋に喉を預けている。こちらが飢えるなら、敵を渇かせる。劣勢の中で、ただひとつ握った札を、ザインは強く握り直した。


「ボードは、糧を断って俺を殺すつもりだ」


 ザインは低く呟いた。


「なら俺は、水を断って敵を退かせる。後ろで糸を引く者がいようと、勝つのはこの山にいる者だ」


 頭上に、二つの月が冷たく光っていた。大小ふたつの蒼い光が、糧を断たれた隊と、それでもなお策を練る男を、静かに照らしている。


 飢えと渇きの競い合いが、いま始まろうとしていた。後方の敵意さえ、ザインは戦の盤面の一手として読み始めていた。

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