第69話 武人の最期
幾合、打ち合ったか分からなかった。
ヴァレクの槍は重く速く、正確だった。ザインは受け流し、躱し、わずかな隙を探した。だが武勇の差は埋めようがなかった。肩の傷から血が流れ続け、足はもつれ始めていた。
限界が近かった。
だがヴァレクもまた限界に近かった。岩と矢の雨を一人で抜けたのだ。鎧のあちこちに矢が刺さり、体には岩のかすった傷が無数に走っていた。化け物じみた武勇でも、人の体には限りがある。
ザインはその事実に賭けていた。武勇で正面から勝てる相手ではない。だが消耗だけは対等に近づけられる。岩と矢の雨を抜けさせたのは、ヴァレクを倒すためだけではなかった。あの死の道を一人で抜けさせ、消耗を削り切らせるためでもあった。すべては、この一瞬のためだった。
受け、躱し、退きながらザインはひたすら待った。敵の踏み込みが鈍る、その刹那を。痛みと出血で霞む意識の中で、ただその一点だけに全神経を注いだ。
その一瞬を、ザインは見逃さなかった。
ヴァレクの踏み込みがほんのわずか鈍った。矢傷の痛みがその足を縛ったのだ。ザインは渾身の力でその隙へ槍を突き込んだ。穂先がヴァレクの脇腹を鎧の継ぎ目から深く貫いた。
ヴァレクの巨体がぐらりと傾いだ。
「……見事だ」
ヴァレクは膝をついた。だがその顔に悔いはなかった。むしろ満足げに笑っていた。
「俺は、武勇で生きてきた。武勇で死ぬのが、本望だ。だが、お前のような男に討たれるならそれも悪くない。お前は強い。腕ではない。ここが、強い」
ヴァレクは血に濡れた手で自分の頭を指した。
「お前は戦の全体が見えている。一兵の働きから軍全体の流れまで。お前はいずれただの軍曹では終わらん。将になる。大きな将に」
ザインは膝をついて崩れゆく武人を支えた。
「あなたに、聞きたいことがあります」
「言え」
「なぜ、馬を降りたのです。馬上のままなら、傷ついた俺を容易に討てたはずだ」
「ふ……」
ヴァレクは苦しい息の下で笑った。
「お前がまっすぐ来たからだ。誇りを餌にされたとて、お前の挑みはまっすぐだった。まっすぐな男には、まっすぐ応える。それが武人だ。小僧、お前もいつか、その意味を部下に教えてやれ」
「……必ず」
ザインの声が震えた。
「お前の隊にも、死んだ兵がいるだろう。お前はそれを背負っている。背負い続けろ。だが潰されるな。死んだ者の分まで勝て。生きろ。それが将の務めだ」
ヴァレクの目から光が薄れていった。その大きな手がザインの肩を一度だけ強く握った。それから力が抜けた。
鉄甲のヴァレクは崖の道で、武人として死んだ。
ザインはしばらく動けなかった。憎むべき敵だったはずだ。だが今、胸にあるのは深い敬意と言いようのない喪失だった。倒した相手を悼む。そんな自分をザインは奇妙に思わなかった。
「軍曹殿……」
崖の上から降りてきた兵たちが、言葉を失って立ち尽くした。誰も勝鬨を上げなかった。この勝利は喜びとは違う何かだった。北辺で名を馳せた鉄甲の武人。その隊を一兵残らず屠り、その本人をも討った。帝国にとっては大きな戦果だった。だが崖の道に立つ者の胸に、勝者の高ぶりはなかった。
ガロが静かに歩み寄ってザインの肩を支えた。
「軍曹。お前、勝ったんだ。立派にな」
「ああ。勝った」
ザインの声は低かった。
「だが、こういう勝ち方は、何度もしたくない。強い相手を、敬う相手を、地形と数で削り殺す。これが、俺の戦い方だ。誇れるものじゃない。だが、これでしか、皆を生かせない」
ガロは何も言わなかった。ただザインの肩を支える手に、少し力を込めた。
頭上に、二つの月が昇っていた。大小ふたつの蒼い光が、倒れた武人とそれを討った男を、等しく照らしている。
ザインは立ち上がり、ヴァレクの亡骸に深く頭を下げた。亡骸は丁重に弔うよう兵に命じた。敵将であろうとこれほどの武人を野晒しにはできない。それが、討った者の果たすべき礼だった。
懐の小鳥がわずかに重みを伝えた。セドの分まで勝て。ヴァレクの最期の言葉が、まるでセドの声と重なって聞こえた。死んだ者の分まで生きろ。背負って、潰されず、前へ進め。
ザインはその言葉を、胸の奥に刻んだ。
その背を、蒼い月が静かに見守っていた。




