第64話 空いた席
翌朝のたき火は、静かだった。
いつもならガロの軽口が飛び、若兵が笑う。だがその朝は誰も口をきかなかった。火を囲む輪に、ひとつ空いた席があった。昨日までセドが座っていた場所だ。誰もそこへ座ろうとしなかった。
ザインは少し離れた岩に腰を下ろし、木彫りの小鳥を見つめていた。一睡もしていなかった。
「軍曹。少しは食え」
バルガが椀を差し出した。麦の粥だった。
「食わなきゃ体が保たねえ。お前が倒れたら、残った者はどうなる」
「……分かっている」
ザインは椀を受け取った。だが匙は進まなかった。
ティムが目を赤くして座っていた。マルトは黙って槍を磨いている。コルネリアは少し離れたところで膝を抱えていた。隊全体に重い沈黙が垂れ込めていた。新参のくせに誰より早く隊に馴染んだ少年。その席が昨日、空いた。
昨夜のうちにセドは岩場の脇に埋められた。深くは掘れなかった。北の土は固く、夜の闇は深い。それでも兵たちは交代で土を掘り、小さな塚を築いた。塚の上に槍を一本立てた。それが、新兵セド・ヴァロウの墓標だった。
誰もがその塚を一度は見て、目を逸らした。明日は我が身かもしれない。北の戦場で、その思いは誰の胸にもあった。
「なあ、軍曹」
ガロが口を開いた。いつもの軽さはない。
「お前が自分を責めてるのは分かる。けどな、昨日のあれは誰にも読めなかった。ヴァレクは一日かけて俺たちを欺いた。あんな深い罠、読めるほうがおかしい」
「読むのが、俺の仕事だ」
ザインは低く答えた。
「俺は読みで生き残ってきた。武勇では誰にも勝てない。だから読む。それが俺の戦い方だ。その読みが、外れた。だから、人が死んだ」
「軍曹殿」
ティムが顔を上げた。涙をこらえている。
「セドは、軍曹殿を慕ってました。あなたみたいになりたいって、いつも言ってた。あいつが最後にしんがりを買って出たのは、あなたから教わったからです。仲間を守れって。隣を離れるなって。あいつは、あなたの教えの通りに、死んだんです」
その言葉は慰めにも責めにも聞こえた。ザインは目を伏せた。
「俺の教えが、あいつを死なせたのか」
「違う!」
ティムが声を荒げた。
「あいつは、立派に死んだんです。誇りを持って。それを、軍曹殿が自分のせいだなんて言ったら……セドの死が、ただの軍曹殿の失敗になっちまう。そんなの、あいつが浮かばれない」
ザインははっとした。少年の言葉が胸の奥を突いた。
「セドは、自分で選んだんです。しんがりを。仲間を逃がすために。あいつの最後の選択を、軍曹殿の失敗にしないでください。あいつは、兵として、立派に死んだんだ」
ティムの目から、ついに涙がこぼれた。ザインは何も言えなかった。少年の言葉は正しかった。セドの死を自分の罪として抱え込むことは、セドの選択を奪うことだった。
「……すまない、ティム」
ザインは絞り出すように言った。
「お前の言う通りだ。セドは、立派な兵として死んだ。それを、忘れない」
頭上に二つの月が、白んだ朝空に薄く残っていた。大小ふたつの蒼い光が、空いた席を、静かに見下ろしている。
ザインは小鳥を握って立ち上がった。沈んでいる場合ではなかった。ヴァレクはまだ北にいる。次の戦は、必ず来る。セドの死を無駄にしないために、自分は立ち直らねばならない。
「皆、聞いてくれ」
ザインは隊の前に立った。まだ声は重かった。だがもう俯いてはいなかった。
「セドは、俺たちを守って死んだ。その死に、報いる。次こそ、一人も死なせない。そのために、ヴァレクを越える」
その言葉に隊の目がわずかに力を取り戻した。
ガロが立ち上がり、空いた席のほうを見た。それから低く言った。
「セドの分まで、生きてやろうぜ。あいつが守った俺たちが、ここでくたばったら、あいつに顔向けできねえ」
「ああ」
マルトがうなずいた。ティムも、バルガも。沈んでいた隊が、一つの方向を向き始めていた。喪失は隊を砕きかけた。だが同じ喪失が、隊をもう一度結び直そうとしていた。
ザインは小鳥を懐へしまった。この小鳥は、必ずセドの妹のもとへ届ける。そのためにも、自分は生きて、この戦を終わらせねばならない。新たな誓いが、胸の傷の上に重なった。朝の風が、たき火の灰を低く撫でていった。




