第63話 小鳥
日が沈んだ。
ヴァレクの騎兵は退いていった。夜は重騎士の刻ではない。鉄甲の壁は斜面の下へ引き、北の闇へ消えた。中隊の中央はぎりぎりで持ちこたえた。隊は岩場へ逃げ込み、半数を欠きながらも全滅は免れた。
ザインはセドの倒れた場所へ走った。
少年は斜面の半ばに倒れていた。槍を握ったまま空を仰いでいた。鉄甲の槍がその胸を深く貫いていた。助からぬ傷だとひと目で分かった。
ザインは膝を斜面につき、少年の体を抱き起こした。軽かった。まだ大人になりきらぬ、痩せた体だった。この体が、家で待つ三人の弟妹のために戦場へ来た。その重みのなさが、かえって胸を締めつけた。
「セド」
ザインが呼ぶと、セドの目がわずかに動いた。まだ息があった。
「軍曹、殿……」
声はかすれていた。血の泡が唇に滲む。
「皆、無事、ですか」
「無事だ。お前のおかげで皆、岩場へ逃げ込めた。お前が隊を救ったんだ」
ザインの声が震えた。セドの顔に安堵の色が広がった。痛みより先に、それを聞けてよかったというような穏やかな顔だった。少年は仲間の無事を、自分の傷より先に喜んでいた。
「よかった……役に、立てた」
「立った。お前は立派な兵だった。誰よりも、立派だった」
セドの手が、ふところを探った。震える指が、小さな木彫りを引き出した。あの、いびつな小鳥だった。
「これ……妹に、届けて、ください。俺は、ちゃんと、戦ったって。逃げなかったって……伝えて」
「お前が、自分で届けるんだ。しっかりしろ。今、医者を呼ぶ」
ザインは叫んだ。だが分かっていた。もう間に合わない。
「軍曹殿の、おかげで……俺、最後まで逃げずにいられました。臆病でも、長く生きるって……でも俺は……仲間を守れた。それで、いい」
セドの指から力が抜けていった。小鳥がザインの手のひらに落ちた。木彫りの小鳥は、まだ少年の体温をわずかに残していた。
「セド。セド!」
ザインは少年の手を握った。だがその手は、もう握り返さなかった。空を仰いだ目は、二つの月を映したまま、動かなくなった。
ザインは動けなかった。握った手の温もりが、少しずつ冷えていく。それをただ、感じていた。
「軍曹……」
ガロが背後に立っていた。声が詰まっていた。バルガもティムもマルトも、誰も言葉を持たなかった。岩場の高みから降りてきたコルネリアが口を手で覆って立ち尽くした。
斜面には味方の屍が点々と転がっていた。一日かけて削られた隊の、半分が帰らぬ者になっていた。生き残った者たちは岩場の陰に座り込み虚ろな目で暮れた空を見ていた。勝ちでも負けでもない。ただ生き延びた。それだけの一日だった。
ザインは少年の体を斜面からそっと抱え上げた。冷えていく重みを腕に感じながら岩場へ運んだ。誰も口をきかなかった。聞こえるのは風の音と、遠くで馬がいななく音だけだった。
ザインは、初めて、名も夢も知る兵をその手の中で失った。隊はこの一日で多くを欠いた。だが家で待つ妹の話まで聞いた兵の死は、重さがまるで違った。守ると誓った。その誓いが、今、崩れた。
「俺が……読み違えた」
ザインの声は低かった。
「ヴァレクの狙いを、読み切れなかった。中央を空けさせる囮に、乗せられた。俺が正しく読んでいれば、セドは、死ななかった」
「軍曹殿のせいじゃ――」
「俺のせいだ」
ザインは木彫りの小鳥を強く握りしめた。掌に食い込む木の角が痛みとして胸の奥まで届いた。
ガロが何か言いかけてやめた。慰めの言葉が無力だと知っていた。バルガが黙ってザインの肩に手を置いた。古参のその手は、何も言わなかった。ただ重みだけがあった。お前は一人ではない。その手は、そう言っているようだった。
だがザインの胸の傷は、誰の手でも塞がらなかった。守ると誓った。家へ帰すと誓った。その誓いを、自分の読み違いで反故にした。指揮する者の責めは、ただ一人で背負うしかなかった。
頭上に二つの月が冷たく昇っていた。大小ふたつの蒼い光が、動かなくなった少年の顔を、静かに照らしている。
その月の下で、ザインは初めて、勝利の代償の重さを知った。守ると誓った命を、守れなかった。その事実が、鉄槍の成り上がりの胸に、消えぬ傷として刻まれた。
小鳥は、まだいびつに笑っていた。




