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第59話 動く鉄甲

 にらみ合いは唐突に破れた。


 夜明け前。マルトが息を切らして陣へ駆け込んできた。


「軍曹殿! 敵が動きました。ヴァレクの本隊です。重騎士が、谷の西へ回り込んでいます」


「西だと」


 ザインは即座に地図を頭に広げた。谷の西は緩やかな斜面が続く開けた土地だ。重騎士が最も力を振るえる地形。敵は自らの強みが生きる場所を、自ら選んで動いている。


「正攻法か」


 ザインは唇を結んだ。


「真っ向から、力でねじ伏せるつもりだな。あの男らしい」


 ドレク軍曹のもとへ伝令が走った。中隊全体に動員がかかる。帝国軍は西の斜面の下に布陣して、騎兵の突撃を受け止める構えを取った。


「ザイン」


 ドレクがザインを呼んだ。


「お前の隊は右翼の端だ。斜面の裾、岩場の近くに置く。騎兵が突っ込みにくい場所だ。だが端は崩れやすい。お前の読みで、持ちこたえろ」


「承知しました」


 ザインは隊を率いて岩場の裾へ向かった。配置を見て、すぐに地形の利を読み取った。背後に大岩が連なり、騎兵は横から回り込めない。正面の斜面はやや急で、馬が勢いを得にくい。守るには悪くない場所だった。


「ティム。お前は隊の左の角を見ろ」


 ザインは傷の癒えた若兵に命じた。


「角は崩れやすい。馬がそこへ集まったら、すぐ俺に知らせろ。俺が穴を埋める」


「任せてください、軍曹殿。もう前みたいなへまはしません」


 ティムが力強く答えた。かつて二重罠で重傷を負った若兵だった。だがあの傷を越えて、今は頼れる手になっている。ザインはうなずいた。


 マルトには伝令を任せた。足の速いこの男は、戦場を駆けて隊と中隊本陣をつなぐ。コルネリアは岩場の高みに置いた。斜面の全体を見渡せ、焔を放つに最も良い位置だった。


 配置を終えると、ザインは斜面の下を見据えた。布陣はすべて整った。あとは敵を待つだけだった。


「皆、聞け」


 ザインは隊の前に立った。


「正面から重騎士が来る。だが慌てるな。ここは騎兵に不利な地形だ。斜面を駆け上がる馬は、思ったほど速くない。落ち着いて、来た一騎ずつを仕留めろ」


「軍曹殿の言う通りにすりゃ、生きて帰れる」


 ガロが軽く言って場を和ませた。緊張に強張っていた若兵たちの顔が、わずかにほぐれた。


「セド」


 ザインは新兵を呼んだ。


「お前はバルガの隣だ。前にも言った。あいつの真似をしていろ。考えるな。今日は、ただ生きて日没を迎えることだけ考えろ」


「はい!」


 セドの声は、前よりも落ち着いていた。最初の前哨戦を越えた者の顔になっていた。ザインはその成長を頼もしく思った。同時に、胸の奥がちくりと痛んだ。


 朝もやの向こうから蹄の音が湧き上がってきた。地が揺れる。重騎士の群れが斜面の下に現れた。鈍く光る鉄の壁。その数は、前哨戦の比ではなかった。


 先頭にひときわ大きな騎影があった。革ではなく、今日は鉄甲をまとっている。深い傷の走る顔。鉄甲のヴァレク本人だった。


 ヴァレクが槍を高く掲げた。低く、よく通る声が斜面に響いた。


「帝国の兵よ。正々堂々、相見えよう!」


 その声に偽りはなかった。だまし討ちも、奇策もない。ただ力でぶつかると、敵将は宣言していた。


 帝国軍の中からは応える声がなかった。誰もが鉄甲の壁に気圧されていた。ヴァレクの名は北辺の兵なら誰もが知っている。その槍にかかって砕けた帝国の隊は、ひとつやふたつではない。


「ザイン」


 バルガが低く言った。


「あの男は正面からしか来ねえ。それは確かだ。だが正面ってのは、いちばん強え場所だ。まともに受けりゃ、この隊もただじゃ済まねえ」


「分かっている」


 ザインは斜面の地形をもう一度目で追った。岩、勾配、馬のたわむ場所。読みうるものは、すべて読んだ。


「受けるが、受け流す。あの勢いを岩場へ逃がす。正面で踏ん張るのは一瞬だけだ。あとは地形に殺させる」


「来やがった」


 ガロがつばを飲んだ。


「本物だぜ、軍曹。あれが鉄甲のヴァレクか」


「ああ」


 ザインは静かに槍を構えた。胸の鼓動が速くなる。だが頭は冷えていた。武勇では勝てない。ならば地形で受け、消耗を強い、隙を待つ。それしかない。


 頭上にまだ二つの月が残っていた。夜明けの薄明に、大小ふたつの蒼い月が淡く溶け残っている。


 その月の下で、知るべき敵とついに正面から相見えた。


「来るぞ。構えろ!」


 ザインの号令が、朝の斜面を裂いた。鉄甲の壁が、地を鳴らして動き出した。

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