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第57話 敵を知る

 ザインは敵を知ろうとした。


 武勇で勝てぬ相手なら、なおのこと知らねばならない。どんな男か。何を好み、何を嫌い、どこで隙を見せるのか。ザインはマルトを連れて谷を北へ忍んだ。


「軍曹殿、こんな深くまで来て大丈夫ですかね」


 マルトが声を潜めた。


「ヴァレクの陣がすぐそこですよ。見つかったら、生きて帰れません」


「見つからなければいい。お前の脚を信じている」


 二人は枯れた灌木の陰を縫って進んだ。やがて丘の上から王国軍の陣が見下ろせる場所に出た。整然と並んだ天幕。その中央に、ひときわ大きな旗が立っている。鉄の甲を描いた、黒い旗だった。


「あれがヴァレクの旗か」


 ザインは草の中に伏せて陣を観察した。長く、丹念に見た。兵の動き。歩哨の替わり方。馬の世話のされ方。そのひとつひとつから、指揮する者の人柄が滲み出る。


「妙だな」


「何がです」


「捕虜だ。あの天幕の脇に、帝国兵の捕虜がいる。だが縛られてもいないし、痛めつけられた様子もない。飯まで与えられている」


 ザインは目を細めた。普通、敵の捕虜は手荒に扱われる。情報を絞り、用が済めば捨てられる。だがヴァレクの陣の捕虜は、まるで客のように座っていた。


「武人だな」


 ザインは低く呟いた。


「降った者を辱めない。弱った者を斬らない。そういう男だ。戦場でだけ、全力で殺しにくる。陣に戻れば、ただの誇り高い騎士に戻る」


「厄介な相手じゃないですか。残忍な奴のほうが、まだ隙がありそうだ」


「逆だ」


 ザインは静かに首を振った。


「誇りのある男には、誇りという縛りがある。卑怯を嫌う。だまし討ちを恥とする。正面から来た敵には、正面から応える。そこが付け入る隙だ」


「縛りが、隙ですか」


「人は強さに溺れると、その強さの外を考えなくなる。武勇で勝ち続けた男は、武勇でしか勝てぬ場所へ自分から踏み込んでくる。そこを読む」


 マルトは半信半疑の顔だった。だがザインの横顔は真剣だった。草を分けて陣を見つめるその目は、敵将の一挙手一投足を残らず拾い上げていた。歩哨が交替する間合い。馬を曳く兵の歩数。すべてが、いつか役に立つ材料だった。


 その時。陣の奥から一人の騎士が姿を現した。鎧を脱ぎ、革の上衣だけの姿だった。背は高く、肩は岩のように厚い。歳の頃は四十ほどか。白いものの混じった髪を短く刈り、顔には深い傷が一本走っている。


 男は捕虜のもとへ歩み寄り、何事かを話しかけた。捕虜が驚いたように顔を上げる。男は笑い、捕虜の肩を叩いた。


「あれがヴァレクだ」


 ザインは確信した。立ち姿に、兵を率いる者の重みがあった。


「敵兵にまで、ああして声をかけるのか」


 ザインは胸の奥がざわつくのを感じた。憎むべき敵のはずだった。だがその男の振る舞いには、敬意を抱かずにはいられない何かがあった。ロウガに感じたものと、よく似ていた。


「マルト。覚えておけ。あの男は強い。そして、清い。だからこそ、まともにぶつかってはいけない」


「清い相手と、どう戦うんです」


 ザインはしばらく答えなかった。やがて低く言った。


「分からない。だが必ず道はある。あの誇りを、こちらの武器に変える道が」


 その答えはまだ、ザインの中で形を成していなかった。


 二人は草の中を這って退いた。陣を離れるとき、ザインはもう一度だけ振り返った。革の上衣の男は、まだ捕虜のそばに立っていた。


 味方の陣へ戻ると、セドが駆け寄ってきた。


「軍曹殿! ご無事で。心配しました」


「斥候は無事に帰るのが仕事だ。心配するな」


「敵将は、どんな男でした」


 セドの目に、子供じみた好奇心が光っていた。ザインは少し考えてから答えた。


「強い男だ。そして、悪い男ではなかった」


「敵なのに、ですか」


「敵にも善い者はいる。味方にも悪い者はいる。お前もいずれ分かる。戦は、悪を斬る話ではない。立場の違う者同士が、互いの旗のために殺し合う話だ」


 セドは難しい顔で黙り込んだ。まだ呑み込めぬ言葉だったろう。だが胸のどこかに残ればいい。ザインはそう思った。


 頭上に二つの月が昇り始めていた。大小ふたつの蒼い光が、敵味方の区別なく、北の戦場を等しく照らしている。


 その月の下に、いつか正面から相見えるべき男がいた。鉄甲のヴァレク。知れば知るほど、ザインの胸は重くなった。


 倒さねばならない。だが、できることなら――。その先の言葉を、ザインはまだ口にできなかった。

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