第5話 占領の後
戦が終わっても戦場はすぐには静かにならなかった。
マレンの村に残ったのは、勝者の喧騒と、敗者の沈黙だった。
帝国兵は天幕を漁り、王国軍が残した兵糧や武具を運び出していく。手柄を誇る声。負傷者の呻き。死者を運ぶ、無言の列。
勝った側にも少なくない屍が転がっていた。今朝、ザインの二つ右で唾を飲んでいた新兵も、その中にいた。
ザインは分隊と共に村の外れで小休止を取っていた。
手の震えはようやく収まっていた。だが胸の奥に詰まった重いものは、まだ消えない。たぶんしばらくは消えないのだろう。
ガロが隣に腰を下ろし、水袋を差し出してきた。
「飲め。お前、さっき全部吐いただろ」
「……ああ」
ザインは水を含み、口の中の苦さを流した。生ぬるい水がわずかに鉄の味がした。
「お前は、平気なのか」
ガロは少し黙ってから、低い声で答えた。
「平気なわけねぇだろ。手は今も震えてる。隠してるだけだ」
差し出された手を見ると、確かに指先がかすかに揺れていた。
強がりだった。だがその強がりが今のザインにはありがたかった。
二人ともまだ生きている。それを確かめ合うように、しばらく黙って座っていた。
その時、村の方から、女の悲鳴が上がった。
ザインの体は考えるより先に動いていた。
声のした家へ駆け込むと、一人の帝国兵が年若い村娘の腕を乱暴に掴んでいた。娘は床に押さえつけられ、必死に身をよじっている。
兵の目は据わっていた。
勝利の昂りと、戦の恐怖の反動。それが最も醜い形で噴き出そうとしていた。
「やめろ」
ザインは低く言った。
兵が振り向き、ザインを睨んだ。同じ帝国軍の、しかも見覚えのある古参兵だった。
「新兵が何の真似だ。引っ込んでろ。これは勝った側の権利だ」
「権利じゃない」
ザインは娘と兵の間に、体を割り込ませた。
「軍律にそんなものはない。略奪も乱暴も禁じられてる。ドレク軍曹に確かめてもいい」
兵の顔が歪んだ。掴んだ手は離さない。
「……ガキが。誰に向かって口を利いてる。お前も、ついさっきまで人を突いてた口だろうが。今さら聖人ぶるな」
その言葉はザインの古傷をえぐった。確かにその通りだった。自分の手もまだ乾いていない。
それでもザインは退かなかった。
殺すことと、これとは違う。うまく言葉にはできない。だが違うのだ。
空気が張り詰めた。
ザインは槍を構えはしなかった。だが一歩も引かず、まっすぐに相手を見据えた。
ここで退けば、この娘は終わる。そして自分は二度とまともに自分を見られなくなる。
奪う手と、守る手。同じ一日のうちにその両方を背負う。せめて後者だけは手放したくなかった。
「何の騒ぎだ」
戸口に影が差した。
ドレク軍曹だった。髭面の下の目が家の中の有様を一瞥で読み取る。
「……またお前か」
軍曹は古参兵を見て、太い声で言った。
「離せ。次やったら鞭打ちだ。略奪で軍を乱す奴は、敵より先に俺が始末する。失せろ」
古参兵は舌打ちして娘を突き放し、肩を怒らせて出て行った。
娘は床に蹲ったまま、震えていた。
ザインは村の奥にいた老婆を呼び、娘を託すと、静かに家を出た。礼を言われる前にその場を離れた。礼を受け取れる気分では、なかった。
ドレク軍曹が戸口で腕を組んでいた。
「新兵。名は」
「……ザインです」
軍曹はしばらく、ザインを値踏みするように見ていた。
「妙な奴だ。今朝の戦で、初めて人を突いた顔をしてる。なのに、味方に槍の柄を向けるのは平気か」
「平気じゃありません。ただ、見過ごすのも嫌でした」
軍曹はふっと鼻を鳴らした。笑ったのか、呆れたのか、判じがたい音だった。
「いいか。略奪を許せば、軍はただの野盗の群れになる。野盗は土地を治められん。治められん土地は、いずれ反乱で兵を食う。俺が乱暴を禁じるのは、善人だからじゃない。その方が、長い目で得だからだ」
軍曹はザインをじっと見た。
「……だが、それを新兵の口から先に言われたのは、初めてだ。覚えておく」
それだけ言って、軍曹は去っていった。
空を見上げると、雲が切れ、東の端に二つの月が薄く戻り始めていた。
ザインは長く息を吐いた。
戦場で命を奪い、戦場の外で命を守る。その二つが同じ一日のうちに自分の中に同居している。その事の重さをまだうまく飲み下せずにいた。
だがこれがここで生きるという事なのだと、ザインは静かに理解し始めていた。




