第49話 水を断つ
策は動き出した。
ザインは分隊と工兵を率いて、夜陰に紛れ、城の北の水路へ向かった。川から城へ水を引く、あの石組みの水路を断つためだ。
「静かに進め。見つかれば、城壁から矢が飛んでくる」
ザインは声を殺して、皆を導いた。
水路の上流に取りつくと、工兵たちが土嚢と杭で流れを塞ぎ始める。川の水が少しずつ、城への流れを失っていく。
「伍長殿、これで城は渇くんですか」
ティムが囁いた。
「すぐには渇かない。だが城は貯水に頼るしかなくなる。その蓄えが日に日に減る。守る側に見えない焦りが積もっていく」
「なるほど……。じわじわ、真綿で首を絞めるみたいな策っすね」
「えげつないって、言いたいのか」
「い、いえ! すごいって意味で!」
慌てるティムにザインは小さく笑った。
「戦は派手なだけじゃ勝てない。地味で確実な一手こそが最後に効く。お前も覚えておけ」
「はい!」
ティムが土嚢を運ぶ手に力を込めた。
その時、城壁の上で松明が揺れた。
「気づかれたか……!」
城壁から、王国兵の声が響く。水路の異変に見張りが気づいたのだ。矢が闇を裂いて飛んでくる。
「作業を急げ! あと少しだ!」
ザインは盾を構え、工兵たちを庇った。ガロとバルガも前に出て、矢を防ぐ。
「ちっ、思ったより早く気づかれたな!」
ガロが盾で矢を弾きながら叫んだ。
「ロウガの城だ。見張りも一流さ。だがもう遅い」
「ガロ、バルガ、もう少しだけ持ちこたえてくれ! 工兵を一人も死なせるな!」
「言われなくても!」
ガロが矢を盾で弾きながら吼える。バルガも無言で前に立ち、降りかかる矢から工兵を庇い続ける。
その盾の壁の内側で、工兵たちは必死に最後の土嚢を積み上げた。誰かが守るから、誰かが手を動かせる。この隊の、いつもの形だった。
ザインは塞がれていく水路を見て、低く息を吐いた。
最後の土嚢が積まれ、水路は完全に断たれた。川の水は城へ流れることをやめた。
「よし、退くぞ! 全員、無事か!」
ザインは分隊を確認した。工兵に軽い傷を負った者はいる。だが死者は出ていない。
一団は闇に紛れて、陣へと退いた。
陣に戻る道でティムが息を弾ませながら言った。
「伍長殿。俺、水路を断つなんて戦い方、初めて見ました。槍を振るうばっかりが、戦じゃないんですね」
「ああ。むしろ槍を振るうのは、最後の手段だ。その前に勝てる形を作る。血を流さずに勝てるならそれが一番いい」
「……かっこいいっす、その考え方」
「茶化すな」
ザインは苦笑したが、ティムの目は真剣だった。
効果が現れるまでの数日、ザインは城の様子を、絶えず観察し続けた。
「マルト、城壁の見張りの数は」
「昨日より、減ってます。それに動きが鈍い。明らかに消耗してます」
「よし。水が効いてきてる」
ザインは頷いた。目に見えぬ攻撃が確実に、城を蝕んでいる。剣を交えずに敵を弱らせる。それが兵站を断つ戦いの、恐ろしさだった。
数日後、効果は目に見えて現れた。
城壁の上の王国兵の動きに、明らかな変化が出た。水を節約しているのか、動きが鈍い。城内では貯水を巡って、混乱が起きているという噂も、斥候から上がってきた。
「効いてるな」
バルガが城を見ながら言った。
「籠城ってのは蓄えとの戦いだ。水が細れば、兵の心も細る。ロウガがどれだけ名将でも、渇いた兵は励ませねえ」
「ああ」
ザインは頷いた。
「あとは敵が焦って、動くのを待つ。籠城を諦めて、北門から打って出てくる。その瞬間が勝負だ」
頭上に二つの月が昇っていた。
その蒼い光が水を断たれて、静かに渇いていくカランドの城を、照らし出している。
力では崩れなかった鉄壁が、今、内側から、ゆっくりと軋み始めていた。
「しかしお前さんも人が悪いねえ」
バルガがにやりと笑った。
「水を断って、敵が干上がるのをじっと待つ。気の長い策だ。だが確実だ。……十年戦ってきたが、こういう勝ち方は初めて見るぜ」
「血を流さずに勝てるならそれが一番だ。派手じゃなくていい。兵が生きて帰れれば」
ザインの言葉にバルガは静かに頷いた。
「敵が動くまで、あと少しだ」
ザインは渇いていく城を見据えて、低く呟いた。仲間たちもその時を待って、静かに牙を研いでいた。決着の時は、もう目前に迫っていた。
ザインの読みは、まだ一度も外れていない。




