第44話 名将の手
破城槌が東門に取りついた。
守兵を払われた門へ、丸太の巨大な槌が轟音とともに叩きつけられる。一撃、二撃。鉄の門が軋みを上げて、わずかに歪む。
「いけるぞ! このまま破れる!」
ガロが興奮して叫んだ。
だがザインの表情は晴れなかった。
「……おかしい」
「あ? 何がだよ。門が破れそうじゃねえか」
「敵が東門の守兵をこれ以上補充してこない。あれだけ重要な門なのに、見捨てたみたいに静かだ」
ザインの目が城壁の他の箇所へ向いた。
その時、城壁の上で王国兵が一斉に動いた。彼らは東門ではなく、その両脇の壁の上に集まっていく。そして煮え立った油の大釜を、傾け始めた。
「……まずい。退け! 破城槌を引け!」
ザインが叫んだ、刹那。
城壁の上から、熱した油が滝のように降り注いだ。破城槌に取りついていた兵たちが、悲鳴を上げて転げ回る。続いて、火矢が射かけられ、油は一気に燃え上がった。
破城槌が炎に包まれる。
「な、なんだよこれ……!」
ガロが青ざめた。
「門をわざと囮にしやがった。破城槌をおびき寄せて、油で焼く気だったんだ」
ザインは唇を噛んだ。
東門の守りが薄かったのは、油断ではない。罠だった。攻め手を一点に誘い込み、まとめて焼く。見事な、城の守り方だった。
「くそっ、味方が焼かれてる……! 助けねえと!」
ティムが駆け出そうとした。その腕をバルガが掴んだ。
「行くな。今飛び込んだら、お前も焼ける。あの油はまだ落ちてくる」
「でも……!」
「気持ちは分かる。だが無駄死には誰も救わねえ」
バルガの声は低く、苦かった。十年の戦場でこうして仲間を見捨てる痛みを、何度も味わってきたのだろう。その重みがティムの足を辛うじて止めた。
「この采配……ロウガか」
ザインの背筋に覚えのある冷たさが走った。
退却戦で見せた、あの鋭さ。攻める者の心を読み、その勢いを逆手に取る。今、城の守りで見せられているのも、同じ手だった。ロウガはこのカランドの守備も、指揮している。
「伍長殿、あの将のこと、知ってるんですか」
マルトが震える声で尋ねた。
「ああ。ラーゲンの後、退却戦で一度知恵を競った。王国の名将、ロウガだ。……攻め方も守り方も一級だ。生半可な力攻めは全部読まれる」
ザインは燃える破城槌を見つめた。
まともにぶつかれば、帝国軍は城壁の前で屍の山を築くだけだ。ロウガがいる限り、力押しは通用しない。
「なあザイン。その、ロウガってのはそんなにすげえのか」
ガロが燃える門を見ながら尋ねた。
「すごい。退却戦も籠城戦も一流だ。あの男はこっちが何を考えてるかを、先に読む。俺たちが『門が破れそうだ』と勢いづいた、まさにその心を利用された」
「うへえ……敵にしたくねえ将だな」
「ああ。だがいつか必ず、正面からぶつかる。その時のために今は学ぶ。あの男の手を一つ残らず、頭に刻む」
ザインの目は燃える門の向こう、見えないロウガの姿を、睨んでいた。
退却する分隊の背に、城壁の上から、勝ち誇るような角笛が響いた。
「ちくしょう、笑ってやがる」
ガロが悔しげに振り返った。
「ガロ、振り返るな。今日は負けだ。それを認めろ」
「認めたかねえな」
「認めなきゃ、次がない。負けを認めて、なぜ負けたかを学ぶ。それができる奴だけが、最後に勝つ」
ザインの言葉にガロは渋々頷いた。悔しさを糧に変える。それがこの隊の流儀になりつつあった。
陣へ戻る道でザインは燃え落ちた破城槌を、もう一度振り返った。あの炎の中で何人が死んだか。その重さを忘れまいと胸に刻む。
ロウガ。次は必ず読み勝つ。ザインの闘志は敗北の中でかえって硬く研ぎ澄まされていた。
「ガロ、バルガ。一度退くぞ。ここで無理に攻めても、兵を失うだけだ」
「逃げるのか」
「逃げるんじゃない。仕切り直すんだ」
ザインは静かに言った。
「力で破れない壁は頭で破る。ロウガが攻め手を読むならその読みの、さらに裏をかく。だがそれにはこの城をもっと知らないといけない」
分隊は燃える東門から、後退した。
頭上で二つの月が戦塵の向こうに霞んでいる。
カランドの城壁は名将ロウガの守りによって、鉄壁となっていた。だがザインの中ではその鉄壁を崩すための、新たな問いが静かに芽生え始めていた。
負けた日こそ、学ぶことは多い。ザインは、その教訓を、胸に深く刻んだ。




