第39話 カランドへ
カランドへの行軍は五日に及んだ。
帝国軍の長い列が西の街道を埋めて進む。その先頭近くにザインの分隊はいた。
「なあ、ザイン。いや、伍長殿」
ガロがわざとらしく言い直した。
「その『伍長殿』はやめろ。背中がむず痒い」
「だってよ、もう昔のただの新兵じゃねえんだぜ。一個分隊の長だ。少しは敬ってやらねえとな」
「敬うふりして、からかってるだけだろう」
「バレたか」
ガロがにやりと笑う。ザインもつい苦笑した。
行軍の列の後ろから、若い兵が駆けてきた。傷の癒えたティムだった。
「伍長殿! しんがりの新兵が足を痛めて遅れてます」
「無理に急かすな。荷を分けて、歩ける速さで来させろ。列から落ちこぼれた一人が、敵の餌食になる。それを防ぐのがお前の仕事だ」
「はいっ」
ティムが再び駆けていく。その背を見送って、バルガが低く言った。
「あいつ、すっかり伍長殿の言葉を、有り難がってるな」
「お前が俺を伍長殿と呼ぶのは、絶対に嫌だがな」
「当たり前だ。十年早え」
「しかし五日も歩きづめだと、尻が痛くてかなわねえな」
ガロが腰を叩きながらぼやいた。
「文句を言う元気があるならまだ歩ける」
「お、つれねえこと言うねえ、伍長殿」
「だからその伍長殿はやめろと言ってる」
ザインが顔をしかめると、周りの兵たちがどっと笑った。行軍の疲れがその笑いでわずかに紛れる。隊の空気を緩めるのも、ガロの軽口の、立派な役目だった。
バルガがふんと鼻を鳴らした。だがその口元は緩んでいる。
列の中ほどにコルネリアが馬を進めていた。魔法使いは徒歩ではなく騎乗を許されている。その手綱を引きながら、彼女は時折、ザインの方へ視線を送っていた。
「コルネリア。疲れてないか」
「平気よ。それより……」
彼女は西の空を見やった。
「あの街がカランド?」
地平の彼方に城壁に囲まれた街の影が、霞んで見え始めていた。西部の要衝、カランド。あの街を巡って、帝国と王国の大軍がまもなくぶつかる。
「ああ。あそこで大きな戦になる」
ザインの声が自然と低くなった。
「ラーゲンの時より、激しくなる。今度は俺たちが攻める側だ。街を落とすために何千が突っ込む」
「あなたはまた私を護衛に?」
「いや。今度はお前の魔法をもっと攻めに使う。だが護るのは変わらない。詠唱の間は必ず俺たちが盾になる」
コルネリアは小さく頷いた。その目に以前のような怯えはない。ただ静かな覚悟があった。
「魔法を攻めに使うのは久しぶり」
コルネリアがぽつりと言った。
「ずっと、後方で撃つだけだった。前に出て、誰かと一緒に戦うのは、初めて」
「怖いか」
「……少し。でも不思議と、嫌じゃない。前は戦うことに何の意味も感じなかった。今は守りたいものがあるから」
その言葉にザインは静かに頷いた。彼女の中で戦う理由が変わりつつある。それは確かな変化だった。
「ザイン」
彼女がぽつりと言った。
「私、初めて思ったの。生きて、この戦が終わるところを見たいって。あなたたちと一緒に」
ザインは一瞬、言葉を失った。
死を恐れず、生にも執着しなかった魔法使いが、生きたいと言った。その変化がザインの胸を静かに打った。
「ああ。全員で見届けよう」
ザインはまっすぐに答えた。
夕暮れの空に二つの月が昇り始めていた。
大小ふたつの蒼い光が、カランドへ向かう長い行軍の列を、静かに照らしている。
あの街の城壁の下で何が待っているのか。ザインにはまだ分からなかった。だが隣には仲間がいる。それだけで足は前へ進んだ。
その夜、野営の焚き火を囲んで、隊の者たちは束の間の休息を取った。
「明日にはカランドが見える。いよいよだな」
バルガが火に手をかざしながら言った。
「お前ら新兵は初めての大会戦だ。怖いか」
「そりゃ、怖いっすよ」
ティムが正直に答えた。
「でも伍長殿がいるから。あの人が道を読めば、俺たちは死なない。そう思えるんです」
「……ふん。生意気にいい目をするようになったな」
バルガがぼそりと呟いた。その声に確かな温かさが滲んでいた。
焚き火の炎が兵たちの顔を赤く照らす。明日の戦への不安と、わずかな高揚。その入り混じった空気の中で、ザインは一人一人の顔を、静かに見回した。この全員を生きて帰す。改めて、そう心に刻んだ。




