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第37話 伍長

 ボードの試験をザインは見事に切り抜けた。


 仕組まれた罠を逆手に取り、味方の損害をほとんど出さずに、敵の補給隊を壊滅させた。その手腕はもはや誰の目にも明らかだった。ボードでさえ、表立っては難癖をつけられなかった。


 数日後、ザインの推薦は正式に認められた。


 ドレクがその報せを持ってきた。


「通ったぞ、ザイン。お前は今日から、伍長だ」


 軍曹の声には誇らしげな響きがあった。


「ヴェイル派もさすがに今回は引かざるを得なかった。ボードの試験をあれだけ鮮やかに切り抜けたんだ。潰す口実がなくなった。お前は実力で壁を越えた」


 ザインはしばし、言葉を失っていた。


 伍長。最底辺の徴募兵として、この世界に放り込まれた自分が、初めて、正式な階級を得た。槍一本から始まった成り上がりの、最初の一段を確かに上ったのだ。


 ふと初陣の朝を思い出した。隣を歩くガロの背を見つめ、恐怖に唾を飲み込んでいた、あの朝。名も知らぬ村娘を救った日。隘路で殿を救った日。その一つ一つの戦が、今日のこの一段に繋がっている。長い道のりだった。


 徴募官に名前を書き込まれ、頭数の一人としてこの戦場に放り込まれた、あの日。隣で人が死ぬのが当たり前の、最前線。そこから、ここまで来た。武勇でも血筋でもなく、ただ読みと、仲間との絆だけで。感慨が静かに胸に満ちた。


「……ありがとうございます」


 ザインは深く頭を下げた。


 その夜、斥候隊の天幕でささやかな祝いが開かれた。


「伍長殿、おめでとうございます!」


 ガロがわざとらしく敬礼してみせる。皆がどっと笑った。


「やめろ。気色悪い」


 ザインも苦笑した。


「だがめでたいのは本当だぜ」


 ガロが酒の入った椀を掲げた。


「最底辺の徴募兵が伍長だ。しかもヴェイル派の罠を蹴っ飛ばしてな。痛快じゃねえか」


 バルガも珍しく相好を崩していた。


「十年、戦場を見てきたがお前みたいなのは初めてだ。武勇じゃなく、頭で這い上がる兵。……俺がお前の下につくとはな。悪くない気分だ」


 傷の癒えかけたティムも、寝床から声を上げた。


「俺も早く戻ります。伍長殿の隊に」


 天幕は温かな笑い声に満ちていた。


 ガロが皆の椀に酒を注いで回る。粗末な濁り酒だった。だが生き延びた者たちが酌み交わすそれは、どんな美酒より旨かった。


「ザインに。そして俺たち全員に」


 バルガが椀を掲げた。皆がそれに続く。ささやかな、けれど確かな祝いだった。戦場の片隅で生きている者たちが生きていることを祝う。それだけのことが何より得難かった。


 その輪の隅にコルネリアがいた。彼女は静かにザインを見ていた。


「おめでとう」


 コルネリアはぽつりと言った。


「あなたは上へ行く。それが嬉しい。あなたみたいな人が上に立てば、救われる兵が増えるから」


 その言葉にザインは胸を打たれた。


 彼女はザインの昇進を自分のことのように喜んでいた。一人で塔に囲われていた魔法使いが、誰かの幸いを心から願えるようになっている。それもまた、一つの変化だった。


 ザインは椀の濁り酒をゆっくりと飲んだ。


 苦い。だが温かい。この温もりを守りたかった。ガロの軽口もバルガの不器用な祝いも、ティムの涙もコルネリアの微笑みも。その全てを失わないために、自分は上を目指す。伍長はその通過点に過ぎなかった。


 ラーゲンの会戦の前、城壁で初めて言葉を交わした頃、コルネリアは死を恐れず、生にも執着しない、空虚な目をしていた。だが今、その目には確かな光がある。誰かの幸いを願い、誰かの隣にいることを選ぶ。彼女は少しずつ、人としての温もりを取り戻していた。


「お前のおかげでもある」


 ザインは言った。


「ラーゲンでお前が左翼を守らなければ、俺の評価もなかった。これは俺たち全員の昇進だ」


 コルネリアは少しだけ、微笑んだ。


 天幕を出ると、東の空に二つの月が昇っていた。


 大小ふたつの蒼い光が、戦野の陣を静かに照らしている。


 伍長、ザイン。その肩にはこれまで以上に多くの命が、乗ることになる。重い。だがその重さこそがザインの望んだものだった。守れる命の数がまた一つ、増えたのだ。



 だがその重さにザインは怯まなかった。


 むしろ待ち望んでいた重さだった。一兵卒のままでは目の前の数人しか救えない。伍長になった今、より多くの兵の生死に責任を持てる。それは負担であると同時に、ザインがこの世界で見出した、生きる意味そのものだった。

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