第34話 立て直す
翌朝、ザインは塞ぎ込んでいた。
ティムを傷つけた読み違いが、胸に重くのしかかっている。斥候の役目に自分は本当に値するのか。そんな迷いが初めて頭をもたげていた。
眠るティムの寝顔が頭から離れない。あの傷は自分の読み違いが刻んだものだ。もし次も読み違えたら。もし今度は誰かが死んだら。考えるほどに槍を握る手が重くなった。
迷う斥候は危うい。それは分かっていた。だが分かっていても心は簡単には晴れなかった。
そこへ、バルガがやってきた。
古参の男はザインの前にどかりと腰を下ろすと、しばらく黙って、煙管をふかした。それからおもむろに口を開いた。
「いいか、小僧。一つ教えてやる」
バルガの声は低く、重かった。
「戦場で、読みを外さねえ将なんて、いねえ。十年見てきて、断言できる。名将と呼ばれる奴も、必ずどこかで読み違える。違うのは、その後だ」
「その後……」
「外した時、どう立て直すか。そこで、本物かどうかが分かれる。一度の失敗で潰れる奴は、それまでの器だ。だが、失敗を糧にする奴は、もっと上へ行く」
バルガは煙を吐いた。
「お前は今日、初めて人を死なせかけた。その痛みを、忘れるな。だが、その痛みに溺れて、次の判断を鈍らせるな。お前が立ち止まれば、次に死ぬのは、また別の誰かだ」
「十年の間に、俺も何人も死なせた」
バルガは煙管の灰を落としながら言った。
「その顔を、今も覚えてる。忘れちゃいねえ。だが忘れねえからこそ、次は死なせねえように頭を使う。死んだ奴への手向けは、涙じゃねえ。同じ過ちを繰り返さねえことだ」
古参の言葉には十年分の重みがあった。ザインは深く頷いた。
その言葉はザインの胸を静かに刺した。
立ち止まっている場合では、ない。ティムは生きている。残りの仲間もまだ自分の読みを待っている。迷いに沈むことは彼らへの裏切りだった。
「……ありがとう、バルガ」
ザインはゆっくりと立ち上がった。
その日、ザインは敵の二重罠の手口を、徹底的に検証した。
なぜ見抜けなかったのか。どこに兆候があったのか。囮の荷馬車の、車輪の沈み方。護衛の兵の、不自然な少なさ。今思えば、読み解く手掛かりは確かにあった。ザインはその一つ一つを頭に刻みつけた。
二度と、同じ手は食わない。失敗を知恵に変える。それがバルガの言う立て直しだった。
数日後、再び敵の補給隊を叩く機会が巡ってきた。
今度こそ、本物の補給隊か。ザインは慎重に兆候を読んだ。車輪の沈み方。護衛の配置。荷の匂い。前回の失敗で得た、新たな目で。
「……これは、本物だ。だが、念のため、別働隊を警戒する」
ザインは二重三重に手を打った。一つの読みに頼らず、裏を取る。退路も確保する。前回の苦い教訓がその全てに生きていた。
ザインは隊にも新しい手順を徹底させた。一つの読みを必ず別の目で裏づける。マルトに別方向から偵察させ、バルガに地形を確かめさせる。自分一人の読みに隊の命を賭けない。前回の失敗がその用心深さを生んでいた。
一度の綻びが隊をかえって強くしていた。
数日後、ザインは軍医の天幕に、ティムを見舞った。
ティムはまだ起き上がれない。だが顔色は戻りつつあった。
「ザインさん。俺、また槍を握れますか」
「握れる。傷が癒えたら、また俺の隊に戻ってこい。お前の居場所は、空けてある」
ティムの目に涙が滲んだ。ザインはその肩にそっと手を置いた。失った時間は戻らない。だが繋がりは切れていなかった。
作戦は成功した。
敵の補給隊を叩き、しかも味方に一人の死者も出さなかった。別働隊が来た時もザインの警戒がそれを未然に防いだ。
「見事なもんだ」
戦の後、バルガがにやりと笑った。
「ちゃんと、立て直したな。一度転んだ奴は、転び方を覚える。次から、転びにくくなるもんだ」
ザインは小さく頷いた。
失敗は消えない。ティムの傷も消えない。だがその痛みを糧に自分は一つ、強くなった。
東の空に二つの月が昇っていた。
その蒼い光を見上げながら、ザインは思った。立ち止まらない。倒れても立ち上がる。それが成り上がる者の、ただ一つの道だった。
ティムの傷はいつか癒える。失敗の痛みは知恵に変わる。倒れた分だけ、立ち上がり方を覚える。ザインは自分の進む道の険しさを、改めて噛みしめた。それでも足は止めない。隣にまだ生きている仲間がいる限り。




