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第33話 綻び

 その失敗は思わぬところから来た。


 敵の補給隊を叩く作戦だった。ザインの斥候隊が道を探り、本隊が待ち伏せる。これまで幾度も成功してきた、手慣れた段取りのはずだった。


 だがその日の敵は違った。


 補給隊に見えたものは、囮だった。荷馬車の幌の下に隠れていたのは、糧ではなく、武装した兵。待ち伏せたはずの本隊が、逆に横合いから別働隊に突かれた。罠の中に罠が仕込まれていた。


 ザインはその二重の罠を読み切れなかった。


 今思えば、兆候はあった。荷馬車の車輪が糧を積むにしては深く沈んでいた。護衛の数も妙に少なかった。だがザインはこれまでの成功体験に無意識に頼っていた。いつも通りの補給隊だと、どこかで決めつけていた。


 その油断が罠の二枚目を見落とさせた。


「退け! 罠だ、下がれ!」


 ザインは叫んだが混乱の中で、声は届きにくい。味方の隊列が乱れ、あちこちで斬り結びが始める。雨の谷で読み勝った、あの楟触が今度は通用しなかった。


 斥候隊も巻き込まれた。


 ザインは槍を振る、隊を一つにまとめようとした。だが敵の動きは速い。ティムが横から来た敵の刃を肩に受けた。


「ティム!」


 ガロがその敵を突き伏せる。ザインはティムを抱え、納屋の陰へ引きずり込んだ。


 肩の傷は深かった。血が止まらない。


 ザインは布を裂き、必死に傷を縛った。手が震えていた。あの渡しの森で足を捻り、ザインとガロが運んだ若い兵。人として扱われたことに涙したティム。その潽機が朩轢した。


 ティムの顔から、血の気が引いていく。あの渡しの森で足を捻り、ザインとガロが運んだ若い兵。人として扱われたことに涙したティム。その彼が今、自分の読み違いのせいで死にかけている。


 ザインの頭が真っ白になりかけた。だがここで取り乱せば、ティムは確実に死ぬ。歯を食いしばり、震える手で傷を縛り続けた。


「すみ、ません……俺、足手まといに……」


「喋るな。死なせはしない」


 ザインは布を強く締めた。


 やがて本隊が態勢を立て直し、敵を退かせた。だが損害は小さくなかった。死者も出た。ザインの斥候隊もティムが重傷を身にいた。


 戦が引いた後、ザインは納屋の壁に背を預け、深く俯いた。


 読み違えた。囮の中の囮を見抜けなかった。その一つの綻びが味方に死者を出し、ティムを傷つけた。


 戦場にはいつも読み切れない部分が残る。どれほど目を凝らしても、敵の全ての企てを見通せるわけではない。それは頭では分かっていた。だがその読み切れなさが、今日は人の血で現れた。理屈では割り切れなかった。


「お前のせいじゃねえ」


 ガロが隣に腰を下ろした。


「あんな二重の罠、誰にも読めねえよ。お前はいつも通り、最善を尽くした」


「最善を尽くして、ティムが斬られた」


 ザインの声は低かった。


「俺の読みに、皆が命を預けてる。その俺が読み違えれば、人が死ぬ。今日は、それが起きた。慰めは、いらない」


 ガロは口をつぐんだ。


 ザインは自分の手を見つめた。これまで誰も死なせなかった。その自負が今日、初めて綻びた。指揮を執る者の読みは、いつも正しいわけではない。そして読み違えた時の代償は、いつも誰かの血で支払われる。


 その重さをザインは初めて、骨身に刻んでいた。


 誰も死なせない。その誓いをザインはずっと掲げてきた。隘路でも渡しでも会戦でもそれを守り抜いてきた。だがその誓いは今日、初めて綻びた。


 指揮を執るとはこういうことだ。自分の判断がそのまま誰かの生死になる。読み勝てば皆が生きる。読み負ければ、誰かが血を流す。その重圧の本当の意味を、ザインは今、思い知っていた。


 軍医の天幕でティムは辛うじて一命を取り留めた。だがしばらくは槍を握れない。


 ザインは眠るティムの傍らに長く座っていた。


 二つの月が雲の切れ間から覗いていた。


 その蒼い光が傷ついた若い兵の顔を、静かに照らしている。ザインは握りしめた拳をしばらく解けなかった。



 外では雨が再び降り始めていた。


 その音を聞きながら、ザインは誓いを立て直した。二度と、同じ油断はしない。ティムが流した血を無駄にはしない。失敗の痛みを忘れない。それを次に誰かを生かす力に変える。


 それだけが今のザインにできる、唯一の償いだった。


 ガロが黙って隣に座り直した。何も言わない。だがその存在が沈み込むザインを辛うじて支えていた。仲間がいる。読み違えて、人を傷つけた夜も隣には誰かがいる。それだけがわずかな救いだった。

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