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第32話 囲われた娘

 雨の夜だった。


 行軍が天候で足止めされ、中隊は廃村の納屋に身を寄せていた。屋根を打つ雨音が絶え間なく続いている。兵たちは濡れた装備を乾かしながら、思い思いに夜をやり過ごしていた。


 ザインは納屋の隅で地図を検めていた。


 その向かいにコルネリアが座っている。彼女は膝を抱え、雨の滴る軒先をぼんやりと眺めていた。


「眠らないのか」


「雨の音は、苦手なの」


 コルネリアはぽつりと言った。


「小さい頃を、思い出すから」


 ザインは地図から顔を上げた。彼女が自分の過去に触れるのは、初めてのことだった。


「私はね、五つの時に魔法の才を見出されて家から引き離されたの」


 コルネリアは雨を見つめたまま続けた。


「魔法使いの才は稀少だから。国にとっては、宝物。だから囲い込まれて塔の一室で育てられた。来る日も来る日も、魔法の訓練。外に出ることも友達を持つことも許されなかった」


「同じ年頃の子が、塔の下で遊んでいるのが、窓から見えた。笑い声が風に乗って届くの。私はただ、それを見ているだけ。指導役の魔導士は言った。お前は特別だから、あんな子供たちとは違うのだ、と。特別。その言葉がずっと私を、人から遠ざけていた」


 コルネリアは膝に顔を埋めた。


 その声に恨みはなかった。ただ遠い事実を語るだけの、静かな声だった。


「塔の窓から、雨を見ているしかない夜が何度もあった。だから、雨の音を聞くと、あの部屋に戻った気がする。誰にも必要とされず、ただ力だけを求められた部屋に」


 ザインはしばらく何も言えなかった。


 力ゆえに囲われ、人として扱われなかった少女。その孤独の深さが雨音の向こうから伝わってくる。彼女が自分を道具だと思っていたのは、そう育てられたからだった。


 ザインは自分の過去を思った。前世の名取真も孤独な人間だった。任務に生き、誰かと深く関わることを避けてきた。形は違う。だが人の輪の外側にいた感覚は、痛いほど分かった。


「俺も、人付き合いは得意じゃなかった」


 ザインはぽつりと言った。


「だから、少しは分かる。輪の外から中を見ている感じは。寒いもんだ」


 コルネリアは意外そうにザインを見た。


「あなたみたいに皆に頼られる人でも、そうだったの」


「昔の話だ。今は、隣に煩い奴らがいるからな」


 ザインが焚き火の向こうで眠るガロを顎で示すと、コルネリアの口元がわずかに緩んだ。小さな、けれど確かな笑みだった。


「……ひどい話だ」


 ようやくザインは言った。


「才能があったせいで、子供が一人、部屋に閉じれ込められた。守られてたんじゃない。囲われてたんだ。それは、同じじゃない」


 コルネリアがザインを見た。


 その瞳が雨明かりの中でわずかに援れていた。


「……あなたは、変なことを言う。みんな私の力を褒める。でも誰も、私が閉じ込められてたことを、ひどいなんて言わなかった。当然だと思ってた。才能があるんだから仕方ないって」


「才能は、人を閉じ込める理由にはならない」


 ザインはきっぱりと言った。


「お前は道具じゃない。塔に飾る宝でもない。雨が嫌いで、誰かの隣にいたい、ただの人間だ。それでいい」


 コルネリアは長い間、黙っていた。


 やがてその口元がほんの少しだけ緩んだ。塔の中では汼して見せたことのない、ささやかな表情だった。


「……あなたの隊に来て、よかった」


 彼女は小さな声で言った。


「初めて、雨の夜が、少しだけ怖くない」


 ザインは火に薪をくべた。


 炎がぱちりと爆ぜる。その温もりが二人の間の冷えた空気をわずかに和らげた。


「雨が嫌なら、嫌だと言っていい」


 ザインは言った。


「眠れないなら、こうして話せばいい。お前はもう、塔の中にはいない。ここには、隣に人がいる」


 コルネリアは何も言わなかった。だがその肩から、強張りが少しずつ抜けていくのが分かった。


 しばらくして、コルネリアはぽつりと言った。


「……ありがとう」


 それは彼女がザインに告げた、初めての感謝の言葉だった。短く、ぎこちない。だが塔の中で誰にも言えなかった言葉を、今、彼女は口にしている。ザインはそれ以上何も言わず、ただ火を見つめていた。


 雨はまだ降り続いている。


 だが二人のいる納屋の隅には、焚き火の温もりと、ぽつぽつと交わされる言葉があった。


 二つの月は厚い雨雲の向こうに隠れて見えない。


 それでもその夜、囲われていた娘の心に、確かに一筋の光が差し込んでいた。

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