第31話 積み重ね
ラーゲンの会戦から、半月が過ぎた。
戦は将校が言った通りの展開になった。大きな会戦は起きず、両軍は街道と補給線を巡って、小さな衝突を繰り返している。村を一つ取り、橋を一つ落とし、また取り返される。地味で終わりの見えない駆け引きだった。
その中でザインの斥候隊は確かな働きを重ねていた。
敵の補給隊が通る道を読み、待ち伏せの位置を本隊に伝える。味方の隊が罠に近づけば、それを察して警告する。派手な戦功ではない。だがその地味な働きが、中隊の損害を着実に減らしていた。
斥候の仕事は孤独で地味だった。夜明け前に起き、誰よりも先に道を行く。危険な場所へ、真っ先に踏み込む。手柄を立てる花形ではない。だがその目が一つあるかないかで、隊の生死は大きく変わる。ザインはその役目を淡々とこなし続けた。
ある時は敵が橋を落とそうとする企てを、事前に見抜いた。
川下に流れてきた、わずかな木屑。ザインはそれを見て、上流で敵が橋脚に細工をしていると読んだ。本隊が渡る前にそれを伝える。おかげで橋もろとも川へ落ちるはずだった一隊が、難を逃れた。
またある時は味方の補給が尽きかけたのを、地形の読みで救った。
敵に見つからずに荷を運べる、隠れた間道。ザインはそれを地図から探し出し、補給隊を導いた。飢えかけた前線の兵に、糧が届く。誰もその間道を見つけた斥候の名は知らない。だが兵の腹は満ちた。
「お前さん、また間道を見つけたんだってな」
補給隊の隊長がザインに頭を下げた。
「お前の読みがなけりゃ、俺たちは飢えて野垂れ死んでた。この恩は忘れねえ」
「礼はいい。腹が満ちたなら、それでいい」
ザインは短く答えた。だがこうして名もなき兵に感謝されるたび、胸の奥に小さな火が灯る。誰かを生かせた。その実感だけが孤独な斥候の役目を支えていた。
「お前さんの隊は、よく働くな」
ある夜、バルガが焚き火を囲みながら、ぽつりと言った。
「派手さはねえ。手柄として数えられもしねえ。だが、お前の読みで、この中隊は何度も死なずに済んでる。古参の俺が言うんだ。間違いねえ」
「数えられなくていい」
ザインは火を見つめたまま答えた。
「兵が生きてりゃ、それでいい。功なんざ、後からついてくるかどうかの話だ」
バルガはふんと笑った。だがその目には確かな敬意があった。
ガロが串に刺した干し肉を炙りながら口を挟んだ。
「とか言ってるとな、いつの間にか出世してるんだよ、お前みたいなのは。ドレクの旦那が、お前の名を上に上げてるって噂だ」
「噂は噂だ」
ザインは肩をすくめた。だが内心ではその言葉が引っかかっていた。
もっと上へ。ロウガの名を知った夜から、その思いは胸の奥でくすぶっていた。今の自分はせいぜい七人を生かせるだけだ。だが隊を率いる立場になれば、もっと多くを救える。守れる命の数を増やすには、上へ行くしかなかった。
前世ではただ命じられるまま働いた。出世も地位も望んだことはない。だがこの世界では違う。上へ行くことがそのまま守れる命の数になる。一兵卒のままではせいぜい目の前の数人。だが指揮官になれば、何十、何百を生かせる。
野心ではなかった。守りたいという一念が、ザインを上へと駆り立てていた。
焚き火の向こうでコルネリアが静かに座っていた。
彼女も今ではこの輪の中にいる。言葉は少ない。だが以前のように一人だけ離れて立つことは、もうなかった。火を囲む七人と一人。それがいつしか当たり前の風景になっていた。
ザインはコルネリアに干し肉の串を一本、差し出した。彼女は少し戸惑った後、それを受け取った。火を囲み、同じものを食べる。たったそれだけのことが、かつての彼女には縁のないものだったのだろう。串を齧る横顔がどこか安らいで見えた。
頭上に二つの月が昇っている。
大小ふたつの蒼い光が、野営の焚き火を静かに見下ろしていた。
小さな働きの積み重ね。それがザインを少しずつ、次の段階へと押し上げていく。その予感が夜の冷気の中に確かにあった。
だが上へ行く道は平坦ではない。平民の徴募兵が士官になるには、いくつもの壁がある。功を立てても身分がそれを押し潰す。ザインはその険しさも薄々感じ取っていた。それでも進むしかなかった。




