第3話 初陣
夜明けと共に中隊は砦を出た。
西へ向かう街道は朝靄に沈んでいた。二つの月の名残が空の端に薄く溶け残っている。
ザインは前列の右から三人目を歩いていた。粗末な槍を肩に担ぎ、革の胴鎧の重みに少しずつ肩を慣らしていく。
胴鎧は誰かのお下がりだった。胸の辺りに布で繕った裂け目がある。前にこれを着ていた兵が、どこをどう貫かれたのか。考えないようにした。
前を行く隊列は百を超える。だが揃いの装備の者はほとんどいない。継ぎ接ぎの革鎧。錆の浮いた槍。すり減った靴。寄せ集めの頭数だと、見ただけで分かる。
隣ではガロが無言で足を運んでいた。いつもの軽口はない。何度も唾を飲み込んでいる。
「……なあ」
しばらくして、ガロがぽつりと言った。
「お前、怖くねぇのか」
「怖いさ」
ザインは前を向いたまま答えた。
「怖くない奴がいたら、そいつは馬鹿か、嘘つきだ」
ガロが短く笑った。それで少し、肩の力が抜けたようだった。
「お前と一緒で、よかったよ」
ガロは小さく言って、また前を向いた。
半日の行軍だとバルガは言った。だが歩くほどにザインの胸の奥で何かが静かに鳴り続けていた。
地形だ。
街道は次第に狭まり、両側からなだらかな丘が迫ってくる。茂みは深く、人の背丈ほどの草が斜面を覆っている。
――伏せるならここだ。
前世の目が勝手にそう読んでいた。斜面の角度。草の高さ。街道の幅。どれもが待ち伏せる側に都合よくできている。
演習場で叩き込まれた基本だった。隘路は喉首だ。通る前に必ず頭上を疑え。
だが新兵の分際で口を挟める空気ではない。ザインは違和感を腹の底に沈めた。
昼前、隊列はマレンの村を見下ろす丘の上に出た。
村は小さかった。石と泥でできた家が二十ばかり。その中央に王国軍の天幕がいくつか張られ、見張りの兵が気怠げに槍を立てている。
数は四十に満たない。こちらは倍以上だ。
バルガが手で合図を送り、中隊は二手に分かれて斜面を下り始めた。
「いいか、新兵」
バルガが押し殺した声で言った。
「前に出すぎるな。槍を揃えて壁を作れ。お前らは壁だ。穴を開けるな。それだけでいい」
ザインは頷いた。心臓が肋骨の内側で重く脈打っている。恐怖はあった。だが頭の芯は妙に冷えていた。
その冷たさが前世の名残なのか、この体のものなのか、ザインには分からなかった。
村の入口に差しかかった時、王国兵の一人がこちらに気づいて、声を上げた。
次の瞬間、静寂が砕けた。
角笛が鳴り、王国兵が天幕から転がり出てくる。怒号。鉄のぶつかる音。地を蹴る足音。
ザインの隊列は槍を構えたまま前進した。穂先を揃え、肩と肩を寄せ、一枚の壁となって村の通りを押していく。
最初の数瞬、それは奇妙なほど整然としていた。
訓練でなぞった動きそのままに、足が前に出る。槍が前に出る。隣のガロの息遣いが自分の呼吸と重なっていく。
だが整然としていたのは、そこまでだった。
正面から、王国兵の一団がぶつかってきた。
壁と壁が噛み合い、槍が交差し、押し合いが始まる。誰かが叫び、誰かが倒れ、足元の土が瞬く間にぬかるみに変わっていく。
血の匂いだった。
訓練場では一度も嗅いだことのない、濃く、鉄錆びた匂いが鼻を突いた。喉の奥がひりつき、吐き気がせり上がる。
ザインの二つ右で味方の新兵が喉を貫かれて崩れた。声もなかった。ただ膝から落ち、泥に顔を埋めて動かなくなる。
たった今まで隣で唾を飲んでいた男だった。名も知らない。だが同じ村から来たのだと、昨夜誰かが言っていた気がする。
ザインは反射的に列の穴を埋めた。半歩踏み込み、空いた位置に肩を入れる。
壁を保て。バルガの声が頭の中で響く。穴を開けるな。
考えるより先に体が動いていた。
その時、正面の王国兵がザインを見た。
若い兵だった。自分とそう変わらない年に見える。恐怖に見開かれた目が、まっすぐにザインを捉えている。
たぶん向こうも初陣なのだ。そう思った。
だがそれを思う暇は許されなかった。
男の槍がザインの胸を狙って突き出された。
時が奇妙に間延びした。
穂先が迫る。逃げ場はない。後ろにも横にも味方が詰まっている。下がれば壁が崩れ、誰かが死ぬ。
ザインの体が前世の底から引き上げた動きで反応した。
半身をひねって穂先をかわし、踏み込む。槍の柄を握る手に力がこもる。
目の前に若い兵の喉があった。
突け。頭の芯がそう命じている。突かなければ、次に貫かれるのは自分だ。隣のガロだ。
ザインの腕が動いた。
二つの月はとうに空から消え、頭上には灰色の雲だけが、低く垂れていた。
その下でザインは生まれて初めて、人の命を奪おうとしていた。




