第24話 蒼い焔
会戦を翌朝に控えた夜半、ザインたちの中隊に一人の兵が配された。
魔法使いだった。
帝国でも稀少な攻撃魔法の使い手。マレンの後は本陣に引き上げられていたが、左翼の守りを固めるため、再び前線へ回されてきたのだという。
「魔法使いが、こんな端の中隊に?」
ガロが訝しげに呟いた。
魔法使いは軍にとって貴重な戦力だ。それが左翼の端の名もなき中隊に付けられる。異例の事だった。
ザインはその姿を見て、足を止めた。
知った顔だった。
コルネリアだ。マレンの戦の後、城壁の上で幾度か言葉を交わした、あの寡黙な魔法使い。痩せた体に軍の外套を羽織り、フードを目深に被っている。その下から覗く瞳は相変わらず不思議なほど静かで、感情の色がなかった。
まさか、同じ戦場の、それも同じ隊に回されてくるとは思わなかった。
兵たちは彼女を遠巻きにしていた。人を一息で焼き払う力。それを宿す者をただの兵はどう扱っていいか分からない。だから近づかない。彼女の周りだけ人のいない空白ができていた。
その空白の中でコルネリアは微動だにせず立っていた。あの孤独に彼女はとうに慣れきっている。城壁で見た時と、何も変わっていなかった。
「砦の天幕にいた魔法使い様だろ。……話したことなんて、あったのか」
ガロが囁いた。
「ああ。前に、少し話した」
ザインは短く答え、コルネリアの方へ歩み寄った。
その時、ドレクが二人の間に立った。
「コルネリア。攻撃魔法の使い手だ。明日の会戦では、左翼の要となる」
軍曹はザインを見た。
「ザイン。お前の斥候隊が、彼女の護衛に付け。魔法使いは詠唱の間、無防備になる。お前たちがそれを守るのだ」
「承知しました」
ザインは頷いた。皮肉なものだ、と思う。城壁で言葉を交わしただけの相手の命を、明日は自分が背負う。
コルネリアはザインに気づくと、わずかに目を見開いた。
「……あなたが、護衛なの」
「縁があるらしい」
ザインが言うと、コルネリアは小さく息を吐いた。
「守らなくていい」
その声は城壁で聞いた時と同じように低く、抑揚がなかった。
「私が死んでも、魔法は撃てる。詠唱が終わるまで敵が来なければ、それでいい。私を人として庇おうとするな。あなたの仲間を、一人余計に死なせるだけだ」
冷たい言葉だった。
だがザインはその奥にあるものを知っていた。城壁で聞いた、眠れぬ夜の話。遠くから炎を放ち、殺した相手の顔も知らずにいるという、あの声。
幼い頃から、力ゆえに囲われてきたのだろう。人としてではなく、兵器として扱われ続ければ、人は自分を人として数えなくなる。「私が死んでもいい」という言葉の裏には自分の命を誰かの命より軽く見積もる癖が、染みついていた。
「死んでいい兵なんて、いない」
ザインは静かに言った。
「あんたも、明日からは俺の隊の一人だ。必ず生かして、この夜をもう一度迎えさせてやる」
コルネリアはまっすぐにザインを見た。
火に照らされたその瞳がわずかに揺れる。何かを言いかけ、だが言葉にならず、彼女は再びフードの陰に顔を隠した。
ザインはそれ以上、踏み込まなかった。
夜が更けていく。
二つの月が平原を埋める無数の篝火を蒼く見下ろしていた。
明日、夜明けとともに何万の兵がぶつかる。その渦の中で自分はこの寡黙な魔法使いを守り、隊の七人を生かし、そして初めての大会戦を生き延びねばならない。
ザインは自分の掌を見た。
マレンで人を突き、敵を縛り、隊を導いてきた手。明日、この手は何を掴むのか。
握り込めば、掌にこれまでの戦の感触が蘇る。槍の柄の重み。捕虜を縛った縄の硬さ。地図をなぞった指の記憶。その全てが明日、大会戦で試されようとしていた。
遠く、平原の彼方で王国軍の角笛が低く鳴った。
腹の底に響く、重い唸りだった。一つ鳴れば、また一つ。角笛は夜の闇を伝って、次々と連なっていく。王国の大軍が夜明けの戦に向けてゆっくりと身を起こす音だった。
戦の刻が刻一刻と近づいていた。
ザインはゆっくりと槍を握り直した。
明日、夜が明ければ、何もかもが試される。ザインは静かに目を閉じた。眠りは浅く、すぐに夜明けが来るだろう。
その時まで、二つの月だけが、戦場を見守っていた。
風が、篝火を揺らした。蒼い焔のような魔法の光を、ザインはふと思い浮かべた。明日、その光が戦場を照らすのだ。
成り上がりの道。その最初の、大きな関門が――目の前に口を開けて待っていた。




