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第15話 森の沢

 斥候隊は北の森へ分け入った。


 バルガの言う沢を自分たちの目で確かめておくためだった。中隊を導く前にその水が本当に綺麗か、周囲に敵がいないか。確かめずに導けば、それこそ罠に嵌まりかねない。


 森は昼でも薄暗かった。


 梢が陽を遮り、足元は湿った苔に覆われている。鳥の声がまばらに響く。ザインはその声に耳を澄ませた。鳥が鳴いているうちは、近くに人はいない。


 空気がひやりと湿っていた。土と、朽ちた葉の匂い。一歩進むごとに足元の苔が柔らかく沈む。その感触にザインは神経を尖らせた。湿った地面は足跡を残す。こちらの跡が残るという事は、敵の跡もまた残るという事だった。


 ザインは隊の足の運びにも、目を配った。枝を踏み折る音。藪を擦る音。森の中ではその一つ一つが、遠くまで響く。「足を置く前に見ろ。音を立てるな」――低い声で皆にそう囁いた。


 半刻ほど分け入ると、せせらぎの音が聞こえてきた。


 沢だった。澄んだ水が岩を縫って流れている。バルガの記憶は確かだった。


「綺麗な水だ」


 ガロが手で掬って口に含んだ。


「冷たくて、うまい。これなら中隊も助かる」


 ザインは水を飲むより先に、周囲を見回していた。


 沢のほとり。湿った土。そこに足跡があった。


 ザインは膝をつき、その跡を検めた。新しい。馬の蹄。それも複数。


 蹄の跡はまだ崩れていなかった。縁が鋭く、水も染み出していない。半刻と経っていない。土の湿り具合がそれを物語っていた。指先で跡の深さをなぞる。蹄が深く沈んでいるのは、馬が荷を負っていた証だ。斥候の馬にしては重い。


「……ここに、馬が来ている。それも、ついさっきだ」


 ザインの声に一同が緊張した。


「王国の斥候だ。向こうも、この沢を知っている。水場として、目をつけている」


 ザインは足跡の向きを読んだ。蹄は沢の上流から来て、また上流へ戻っていた。


「上流に、敵がいる。沢沿いに進めば、鉢合わせる。だが――」


 ザインは考えを巡らせた。


 敵がこの沢に目をつけているなら中隊がここで水を取る時、襲われる恐れがある。だが水場を変える余裕はない。ならば敵がいつ来るかを読み、その隙に水を取らせるしかない。


「マルト。お前は足が速い。上流を、慎重に探ってこい。敵が何人で、いつ動くか。決して見つかるな」


「は、はい」


 マルトが身を低くして上流へ消えた。


 残った者でザインは沢のほとりに伏せ、待った。


 待つ、というのも斥候の仕事だった。焦って動けば、敵に見つかる。じっと身を潜め、相手の動きを読む。その忍耐が生死を分ける。


 草の中でザインは身じろぎ一つせず、伏せ続けた。


 頬を虫が這う。背に汗が伝う。それでも動かない。動けば、草が揺れる。草が揺れれば、敵の目を引く。前世の訓練で幾度も叩き込まれた。斥候は動く時よりも待つ時にこそ試される、と。


 若い兵たちは待つことに、慣れていなかった。指先が貧乏ゆすりのように震える。ザインはその肩に手を置き、無言で抑えた。落ち着け、と。焦りは伝染する。一人が動けば、皆が動きたくなる。だから長が誰より静かでいなければならなかった。


 しばらくして、マルトが戻ってきた。


「上流に、王国の斥候が五人。野営しています。馬を休ませて……たぶん、夕方には移動します」


「五人か」


 ザインは思案した。五人ならこちらの七人で討てなくはない。だが戦えば音が出る。音が出れば、敵の本隊に知られる。


「討たない。やり過ごす」


 ザインは決めた。


「奴らが夕方に動くなら、それを待つ。敵が去った後、中隊を呼んで水を取らせる。戦わずに水を得る。それが一番いい」


「逃げるのか」


 バルガが低く言った。挑むような響きがあった。


「斥候の仕事は、敵を討つ事じゃない。中隊を、無事に通す事です」


 ザインは静かに返した。


「五人討って、本隊に知られて、中隊が水も取れずに襲われる。それと、戦わずに水を得るのと。どちらが、勝ちですか」


 バルガは口をつぐんだ。


 夕暮れ、上流の敵はザインの読み通りに動いた。馬の蹄の音が沢を遠ざかっていく。


 敵が去り、森が静まると、ザインは詰めていた息を吐いた。


 二つの月が梢の間から覗いていた。蒼い光が沢の水面に二つの欠片となって揺れている。


「……いいだろう」


 バルガがぽつりと言った。


「お前の目は、本物だ。十年やってきた俺が言うんだ。間違いない」


 それは古参の壁がわずかに崩れた音だった。


 だが敵の斥候がこの沢を知っているという事は、中隊の進路はもう敵に読まれ始めているという事でもあった。

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