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第14話 枯れた井戸

 斥候隊は中隊に先んじて街道を東へ進んだ。


 七人。ザインを長にガロ、マルト、バルガ、それに若い兵が三人。荷は軽く、足は速く。


 ザインはただ道を辿るだけではなかった。


 水場の位置。野営に適した窪地。身を隠せる森。それらを頭の中の地図に一つずつ書き込んでいく。中隊が二日かけて進むなら必ず一度は、どこかで水を補給し、夜を明かす。その場所を先に見定めておかねばならなかった。


 歩きながら、ザインの目は絶えず左右を測っていた。


 道の幅。両脇の地形の高低。伏兵が潜めそうな茂みと、視界の開けた場所。それを足の運びを止めずに、頭の中で帳面に書きつけていく。前世の習い性だった。地形を読むことはザインにとって、息をするのと変わらなかった。


 空は薄曇りだった。風は西から、わずかに東へ流れている。その風の向きひとつにも、ザインは意味を読み取ろうとした。匂い。音。風が運ぶものの全てが、この道の先にあるものを、教えてくれる。


「妙だな」


 半日進んだところでザインは足を止めた。


 道沿いの集落が無人だった。家の戸は開いたまま、家畜の影もない。井戸端に洗い物が干したまま放られている。


「住人が、慌てて逃げた跡だ」


 バルガが家の中を覗いて言った。


「王国軍が来ると聞いて、逃げたんだろう。よくある事だ」


 だがザインの目は井戸に吸い寄せられていた。


 井戸の縁に土と、何かの汚れがこびりついている。ザインは縄を手繰り、桶を引き上げた。


 水が濁っていた。鼻を近づけると、嫌な臭いがする。


 澱んだ、腐敗の臭い。井戸の底に何かが沈められている。桶の水には油のような濁りが浮き、底に黒い澱が揺れていた。本来、井戸の水はこんな色をしていない。


「……毒だ。いや、毒とまではいかなくとも、汚されている」


 ザインは桶を地に置いた。


「死んだ家畜でも、放り込んだか。逃げる住人がやる事じゃない。これは、わざとだ」


 一同の顔が強張った。


「王国軍が、やったというのか」


 マルトが掠れた声で言った。


「先回りして、街道沿いの水場を潰している。中隊が渇いて弱るのを、待っているんだ」


 ザインは地図を思い浮かべた。この集落の井戸は街道で最初の大きな水場だった。ここが使えなければ、次の水まで半日は乾いた道を行くことになる。


 兵は水がなければ動けない。喉が渇けば、判断も鈍る。たかが水。だが戦場ではその水が兵を殺す。


 前世の教練でも繰り返し叩き込まれた。兵を倒すのは敵の刃よりも、渇きと飢えと病だと。剣で死ぬ兵より、水を絶たれて崩れる軍の方が、はるかに多い。王国軍はそれを知っている。だからこそ、刃ではなく、水を狙ってきたのだ。


 目に見えぬ攻撃だった。だが見抜けねば、中隊はじわじわと干上がり、戦う前に瓦解する。


「バルガ。この先に、街道から外れた沢か、湧き水を知らないか」


 ザインは古参に問うた。


 バルガは少し驚いたように眉を上げた。それから記憶を辿るように目を細めた。


「……北の森に、小さな沢がある。昔、行軍で使った。街道からは半刻ほど逸れるが、水は綺麗だ」


「それだ」


 ザインは即座に頷いた。


「中隊には、この集落の井戸を使わせない。半刻逸れても、北の沢で水を取らせる。道は遠回りになるが、渇いて倒れるよりましだ」


 ザインは地図にその沢の位置を書き込んだ。バルガの記憶がそのまま中隊の命綱になる。


「……お前」


 バルガがぽつりと言った。


「井戸の濁りひとつで、そこまで読むのか」


「水を制する者が、行軍を制する。前世で……いや、昔、そう教わりました」


 ザインは言葉を濁した。


 バルガはそれ以上問わなかった。ただその目から、わずかに冷たさが薄れていた。


 十年、戦場を生きてきた男だ。口先だけの新兵か、本物の目を持つ者か。その違いを見分ける勘は持っている。井戸の濁り一つから、敵の企てを読み解いたザインの言葉に、嘘や気負いの匂いはなかった。ただ淡々と、事実だけがそこにあった。


 古参はザインの書き込んだ地図を、横目で覗き込んだ。沢の位置、迂回の道筋。その印の付け方が長年の行軍を知る者の手つきと、どこか似ていた。


 空を見上げると、二つの月が薄い昼の光の中に滲んでいた。


 水ひとつ。されど水ひとつ。


 その地味な読みがこれから何百の兵の喉を潤すのだと、ザインは静かに思った。


 だが敵が水場を潰すほど周到なら罠は水だけでは済むまい。


 道の先にもっと大きな企みが待っている。ザインの背をその予感が冷たく撫でた。

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